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悲しみの抑止力

 ごきげんいかがでしょうか、お嬢様修行中のわたくしです。

 今日は原爆忌。

 8月6日、午前8時15分。

 あの忌むべき兵器……凄まじい爆風と高熱、有害な放射線によって破壊と殺戮を行う、原子爆弾が広島に投下された日です。

 その惨状がどのようなものだったか、わたくしごときが描写できるものではありません。

 わたくしが申し上げたいのは、今なおこの非道な兵器をチラつかせて他国を恫喝・脅迫・侵略している国があるということですわ。
 世界は平和とは真逆の方向に加速している──というのが、わたくしの思うところです。


 平和とは。


 それはすべての国や地域から暴力による争いがなくなり、力の強いものが力無きものを蹂躙することなく、優れた頭脳による対話で世界の均衡を保っている状態であると、わたくしは考えます。
 しかし、現状はそれとはほど遠いところにあり、未だに領土的野心を持つ国の暴力による現状変更、宗教的価値観の押しつけによる文化的破壊などはとどまるところを知りません。平和への道はあまりに遠く、一足飛びに実現できるものではないと思います。非武装を謳って非戦を訴えてみても、話し合いのテーブルに乗りさえせずに侵略してくるならず者国家が存在するとわかった今、憲法9条を堅守せよといった主張は現実に即さないものとなり、またそれと反比例するように、日本の軍事力強化を叫ぶ声も力を持つにいたっています。


 曰く、それは抑止力であると。


 我が国は相手国と同じかそれ以上の軍事力を持っている、ウチに侵略戦争を仕掛けてくればタダでは済まさない──と。

 それも選択肢のひとつであると思います。

 でも、わたくしは、唯一の被爆国である日本には、その悲惨な経験を糧にした別のやり方もあると思いますわ。


 それは、悲しみによる抑止力。


 あの日、あの時、何が起こったのか。
 どれほど恐ろしく、むごい仕打ちが、あの一瞬に、そして続く世代に起こったのか。

 それを世界の人々に知らしめるのです。

 海外からの観光客が戻りつつあり、世界が再び残酷な運命に向かいつつある今だからこそ、語り継ぎ、広く報せるべきだと思うのです。

 おそらく、世界の人々は知らない。

 原爆の熱線を浴びた人体がどうなるか。

 放射線を浴びた体細胞がどうなるか。

 ひょっとしたら、日本の人々も忘れつつある。

 戦争を早期終結させるためと言いながら、その実、適当な無人島に落として次は首都にこれを落とす、と威嚇することもできたことを。空港や港湾、兵器工場に落として戦力を減退させることもできたことを。でも、予告なく選ばれたのは「人口密集地」だったことを。

 明らかに、人間に対する殺傷力を試すためだけに落とされたことを。

 わたくしが世界に声を大にして伝えたいのは、報復の念ではありません。このようなことを平気で行える人間の残忍さを。それをただ受けるしかなかった人々の恐怖を、悲しみを、無念さを。今こそ、語り継ぎ、広く報せなければならないと思うのです。
 あの運命が自分の愛する者の身を襲ったら。子々孫々に至るまで苦しまなければならないと知ったなら。その時に口をついて出てくる言葉は「お前たちも同じ目にわせるぞ」ではないはずです。「そんなものを使うのはやめろ」であるはずです。


 悲しみを広めましょう。

 愛する者、大切なものを失う悲しみを想像してもらいましょう。それこそが抑止力になると信じて。


 それでもダメなら──嬉々として非戦闘員を殺し、尊厳を奪いに来るようなら──戦わなければならないでしょうね。その相手はヒトと呼べる存在ではありませんから。


 たとえ耳タコと言われようと、発信し続けましょう。できそうなことから、地道に、地道に。




 今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 それでは、ごきげんよう。

 百世不磨の祈りとともに。




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