リアルな生活の中でも 裏垢と呼ばれる界隈のSNSでも 男って…、女って… いい男の定義、いい女の定義 そうやって大きな主語で、かつ、すごく狭い決めつけで語られるのを目にするたびに 男とか女って何なんだろう?ってどこか胸の中にひっかかりを覚えながら過ごす中で 男と女というセクシャリティで語られる表現を、 男性性や女性性って言葉に置き換えてみると、 語られた内容も含め腑に落ちたりもするし、男性的な性質の一端、女性的な性質の一端として見るならば、そうだよねって頷けるものもちろんた
お花をよく買います。 いつもいつも何かを考えてる私にとって お花を選んでる時間はある意味「無」で ちょっと瞑想に近い時間。 このところ仕事のことで、心がモヤモヤキリキリする出来事が多かったので、ちょっと柔らかい気持ちになりたいなと思って今日も花を買いに行きました。 なんとなくね、白いお花とたくさんのグリーンをイメージして買いに行ったのだけど、実際買ったのは 全く違う感じ。 なんだかわちゃわちゃしてますね。 同系色でまとめることが多い私にとっては ちょっと珍しい感じ。 癒さ
突然ですが 私、物を選ぶまでのプロセスがすごく好きなんです。探す、考え迷い悩む、選ぶって、大袈裟ではなく自分の感性に集中してアクセスしてる瞬間が心地よいのです。 例えば家で飲むコーヒーのために、豆を選ぶプロセス。 自家焙煎をしてるようなお店は当然コーヒーのアロマに包まれているけど、香りが充満しているからと言って買おうか迷ってる豆の香りを直接嗅ぐことは出来ないことがほとんどなので、香りも味わいも想像の中のものでしかないのですが、その想像はすごく私を幸せな気分にします。 仕
もう何年も前のことになるけど、いつもいつもどこかしらのテイクアウトコーヒー片手に持ってる私に、知人が「ラテコストって知ってる?」って言ったんです。 ラテコスト、初めて聞いた言葉でした。 知人もその言葉を誰かに言われて愕然としたよって話で、例えばコーヒーとかお茶お水など習慣的に何気なく買ってる飲み物にかかってるコストをラテコストと言うらしいのだけど、それがね一体いくらくらいかかってるかって話。 当時の私は実はコーヒーはとりたてて好きなわけでもなくて、何となく飲むものだったん
実際の知り合いでさえ、実際の印象とSNSの印象がかけ離れた人というのはすごくたくさんいて。仕事でのアカウント、プライベートなアカウント、それぞれ用途も目的も違うけれども、どちらで見てもSNSと実際の印象が一致する人って、私の周りはすごく少ない。 仕事のアカウントは、もちろん社会的な立場が関係するからその乖離が強く出る気がする一方で、最近は仕事アカウントと言っても、職種によっては極めて個人的なことを語ったり垂れ流すのが当たり前みたくなってきている界隈も多く、本音と建前、理想と
知識やスキルは同じくらいの、でもすごく尊敬してる男の子と仕事した時に、「私この人には一生敵わない」とも思ったし「この人は私に一生敵わない」とも思ったの。ただ、その「敵わない」って感覚はどこか心地よささえ感じる圧倒的な「敵わない」で、その正体は何なのかなって感じながら丸一日一緒に仕事をした。何かを競い合っていたわけではなく協力し合う中で感じた、圧倒時な生物的遺伝子的な違い。努力とかでは補えない魂的な動物としての雄と雌の本能的な部分の肉体や精神の違い。それは時に、表面的な知識やス
久しぶりに会えた友人から、10年以上前の一つの恋の話を聞いた。短く切ない悲恋のお話、結婚したての彼とは不倫であったこと、12時間以上もかけ彼に会いに行き、それが短く熱い恋愛の最後になったこと、好きな気持ちのまま別れを決めたこと、etc…その切ないエピソードの全ての気持ちが痛いほど分かって、私も過去の恋愛の切なさと重なる部分が多くて共感しきりだったのだけど、「実はね…」と告白してくれたお相手の名前を聞いて、穏やかに息をのんだ。 男と女の関係のコマが 進んだり進まなかったり 進
予想や予感の範囲内では、出会い交わるなんて想像もしていなかった人とのほんのひととき出会いと交わり。全ての出会いには意味があり互いに影響し合うことを証明するかのような変化が、私の内側にも起きたけど、私と出会ったことでその人にもその影響が、翌日以降の仕事で日に日に消化され形になっていく変化を目の当たりに出来た事はすごく幸せな出来事だった。 突然天から降ってきたみたいな不思議な出会いだったわけだけど、プロジェクト中その人との個人的な関わりは後にも先にも一度きり、「また会いに来ても
物理的な面でも精神的な面でも お互いの存在が日常の中に存在するか日常の外に存在するかで作られていく関係性は全く変わるんだなって 会う頻度(物理的) 心の繋がり(精神的) そのどちらかだけで量ることは出来ないように思うし 好きだから日常の中に存在して ハマってないから日常の外にあるとかって そんな単純なことでもないような気はするけれど その理由はさておき 日常の外にある、言わば非日常として存在するならば 過ごすその時間も非日常になるわけで 出来うる限りで気持ちのいい時間
特にこの界隈の 表立っては言えないような関係の異性がいるような人達なんかは、Twitterで目にする限り自由な時間を捻出することにみんな頭を捻り工夫を凝らしてるんだなってよく思うけど、時間の捻出方法は人それぞれで、仕事の時間内に自由時間を見出だすような人もいれば、自宅には仕事の振りをして会社に休みをとるような人も多いかもしれないし、休日に嘘をついて出ていく人もいれば、そもそもの仕事形態が不規則族は自由な時間を捻出するのはわりと容易いという人もいる。 私の場合は誰かへのアリバ
小さい頃のお道具箱の中の色鉛筆やクレヨン 初めて手にしたセットは12色くらいだったかしら それでも12色を使いこなすことがうまく出来ずに すごく減ってしまう色と減らない色には差があったなって遠い記憶 そのうち、色は12色よりもっとたくさんの色があることを知ったし、色には濃淡があって、色と色を重ねると違う色が生まれることを知ったし、色と色を繋ぐ間にはグラデーションがあって、その狭間の美しさがあることも知った 子供のアニメにははっきりとした色が多いのは 認識出来る色の数がまだ