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白旗🏳

知識やスキルは同じくらいの、でもすごく尊敬してる男の子と仕事した時に、「私この人には一生敵わない」とも思ったし「この人は私に一生敵わない」とも思ったの。ただ、その「敵わない」って感覚はどこか心地よささえ感じる圧倒的な「敵わない」で、その正体は何なのかなって感じながら丸一日一緒に仕事をした。何かを競い合っていたわけではなく協力し合う中で感じた、圧倒時な生物的遺伝子的な違い。努力とかでは補えない魂的な動物としての雄と雌の本能的な部分の肉体や精神の違い。それは時に、表面的な知識やスキルなんてものをやすやすと通り超えて、ダイレクトにプロセスにも結果にも影響を大きく与えていてすごく興味深かった。本気であれば本気である時ほど、自分では抗えない本能的なものが顔を出すから、よりわかりやすいのかもしれない。この感覚は同性同士では感じることのない差違で興味深かった。相手を征したいという気持ちがお互いにない中での私と彼の差異は、結果的にお互いに持っていないものを補い合って、1+1以上のものが生まれたような気がする。

極端な言い方だけど
男は女に敵わないし、女は男に敵わない。そう思う。

でも一言で男だ女だ言っても、もちろん男女にもグラデーションはあって、なんていうかジェンダーの話をしたいわけではないのだけど、でも、そのジェンダーのグラデーションと、ジェンダーを抜きにしたそれぞれの「個」で考えてみれば、
私はあなたに敵わないし、あなたは私に敵わない、
そういうことになる。

何が言いたいのかって、全知全能で全ての感覚を持ち得た人なんていないから、私の持ち得ないものを相手が持っていたり、相手が持ち得ないものを私が持っていたりして、それはすごく面白い興味深い違いなの。それこそ、ジェンダーのグラデーションが自分の意識や意志とは関係なく、元々持って生まれてくるのと一緒で、それは抗えないものだし、その魂が育てた感性こそみんな違って、お互いに太刀打ち出来ない部分なんだろなって思う。

相手を征したい、勝ちたい気持ちって、勝てば成功しているように見えて案外こじんまりとした思考や発想やオーラを生み出すような気もしてる。相手を征したいって気持ちそのものが、自分が相手に敵わない部分すら自分で認められないマインドを生み出し、結果相手を絶対認めないって頑ななスタンスを作り上げていく。そうなったら、仕事でもプライベートでも家庭でも、その関係は円滑には進まない。

男には敵わない、女には敵わない、あなたには敵わないって、男も女も誰もかれも、その感覚ごと楽しめちゃったら人生はもう少し楽しくなるしお互い気持ち良くもいられるのにね。

相手をどういうふうに見るか見れるか、っていうのはまた別のお話。