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とりとめないことをつらつらと


お花をよく買います。
いつもいつも何かを考えてる私にとって
お花を選んでる時間はある意味「無」で
ちょっと瞑想に近い時間。

このところ仕事のことで、心がモヤモヤキリキリする出来事が多かったので、ちょっと柔らかい気持ちになりたいなと思って今日も花を買いに行きました。
なんとなくね、白いお花とたくさんのグリーンをイメージして買いに行ったのだけど、実際買ったのは

全く違う感じ。
なんだかわちゃわちゃしてますね。
同系色でまとめることが多い私にとっては
ちょっと珍しい感じ。
癒されたかったより、元気になりたかったのかな。
面白いもんです。

頭で考えてることと心が求めてることって違うよねってお花ひとつ選んでても思うし、花を買おうと思った瞬間と花屋に向かう間にも気持ちって変化してて、人の気持ちは常に変わりゆくものなのね、って思うし、
お花と私の化学反応というか、私の感度、心身のコンディションによってもお花を目の前にしたときに感じることも違えば、日によって自分に語りかけてきてくれるお花のエネルギーも違うから、思ってた花と違うお花を選ぶことのが多いかも。

自分のために選ぶのと、誰かにあげるために選ぶのとでは選び方が全く違うけれど、どんな季節でどんなお花を選んでも、全体が決して「派手」方向にいかないあたり、私らしいなって自分でもくすっとしてしまう😚 例えばプレゼントの花も、お花屋さん全任せじゃない限りはあげる側の人柄が投影されているもので、面白いのです。私が作る花は、わりと金額をかけた時でもどう足掻いても「セレブ感」はゼロ。華やかでも必ず素朴な感じになってしまう笑
でも、仮にお金をかけて買う時でも、受け取った人に金額を想像させるような💴がちらつくような💐にはしたくないのですよね。「豪華だな」って感想はむしろ抱いて欲しくないかもしれません。

出張で家を長く空けるような時でもない限り
常にお花が家にあるほど、しょっちゅう花を買うのだけど、ずっと何の知識も持たずにお花を買い続けてる。
好きなものを選ぶとき、いつも心は自由でありたい。
お花を選ぶことも、生けることも、
敢えてルールやセオリーを知らないままでいるのは
学び教わってしまうと知識が自由を邪魔することが分かっているから。
知識は感性を育てるものでもあるけれど
知識が感性の邪魔をすることもある。
仕事なら前者、仕事以外はほぼ後者で生きてる。

お花を選ぶ時間は「考え」たくなくて
ただ「感じる」だけがいい。心の求めるままに。

お花が好きな男性は世の中にたくさんいるはずだけど
私が実際関わる人で「お花が好き」という男性にはまだ出会ったことがないな。
いつかお花好きの男性と出会って仲良くなることがあったら、お花をプレゼントしてみたいなぁ☺️