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心のパレット

小さい頃のお道具箱の中の色鉛筆やクレヨン
初めて手にしたセットは12色くらいだったかしら
それでも12色を使いこなすことがうまく出来ずに
すごく減ってしまう色と減らない色には差があったなって遠い記憶

そのうち、色は12色よりもっとたくさんの色があることを知ったし、色には濃淡があって、色と色を重ねると違う色が生まれることを知ったし、色と色を繋ぐ間にはグラデーションがあって、その狭間の美しさがあることも知った

子供のアニメにははっきりとした色が多いのは
認識出来る色の数がまだ少ないからだと聞いたことがあるけど、それはきっと認識できる感情や気持ちの種類が少ないってことね

認識する色が増えるのが先なのか
経験する新しい感情が先なのかわからないけど
自分の感情の数と手持ちの色の数は比例している気がする

小さい頃、絵を書くときに
誰かが空の色は水色だと教えてくれたけど
空の色は水色とは限らないし

レモンの黄色と言っても
瑞々しさを想像する人、酸っぱさを想像する人、
色からイメージするものだって無限大

大人になってせっかくこんなにも想像出来る色の種類が増えたはずなのに、いつしか「空?水色でいいんじゃない?」って縮こまっていく。決めつけとか諦めとかそういうものが想像出来る色を狭めてしまうのかもしれない

空にはいろんな色があっていいし
空の色は常に移りゆくし
その空を見る人の気持ちもみんな違う

結局自分の心の色は自分のものでしかないし
自分でしか想像出来ないし
共有することは出来ない
だからこそ自分の心の色はもっと無限で自由でいいし
同じ色を見て思う心の中は違ってたとしても
でも同じ色を見て「あぁ素敵だね」って
ほんの少し誰かと気持ちが交差したら
それだけで実はすごく幸せなことかもしれない