エルシイ

誕生数秘学協会認定NICカードマスターとしてたくさんのセッションを行ってきました。また…

エルシイ

誕生数秘学協会認定NICカードマスターとしてたくさんのセッションを行ってきました。また、同時に2015年からTCマスターカラーセラピスト/ココロの色処方せんアドバイザーとして、色で心を元気にするセッションも行ってきました。 数秘とカラーで豊かな人生を応援します。

最近の記事

プロフィール

私の母方の祖父は神主でした。地域の人々の相談にのり、地鎮祭や祝い事などの際には祝詞をあげる役割を担っていました。 私自身も日々八百万の神に守られて生かされていることを感じています。 人生の後半を迎えた時、祖父のように皆様の悩みを聞いたり相談にのり、周りを照らして明るくする存在になりたいと思ったのです。 50歳頃からいくつかの数秘を学び、現在は日本誕生数秘学協会認定NICセラピスト・マスターとしてセッションを行っています。特に誕生日だけでなく名前からも導く数で あなたの隠れた

    • 悲しい女

      「子どもはまだできないの?」 上から目線というか、嫌味たっぷりの口調でKさんは言いました。 30代まで独身だった私は、結婚してからも仕事を続け、既に結婚から6年ほど経っていましたが、まだ私たち夫婦の間に子どもはいませんでした。 それでも、夫は楽観主義者で「心配ないよ。絶対できるから!」と自信たっぷりに言うし、義理の両親も一言も「まだできないのか?」などと無神経なことは言いませんでした。 ですから、私は子どもが居ないことを何とも思っていなかったのです。 それなのに、親戚で

      • ストレスフルな今の社会。足りなかったのは生きた花の力でした

         2024年1月より、横浜でフラワーカラーセラピー入門編を開講します。  長年ガーデニングをしてきた私にとって、毎朝起きてまずやる事は、ベランダの花に水をやる事です。  一戸建ての実家に住んでいた頃は、10代の頃からバラやフリージア、梅や藤まで育てていました。 ですから自然に花や樹々に触れてきましたし、育て方も経験から覚えたのです。  そしてどんなに忙しくても、学校や仕事で嫌な事があっても、毎朝花の世話をする事で、実は私自身が癒されてきた事に気がついたのです。  そう、花は素

        • 六十路の峠を越えたら三叉路があった

           私が還暦を迎えた年は平成が終わる年。翌年の5月には新しい天皇が即位される事が決まっていました。  そして迎えた2018年。平成最後のお正月でした。  私たち家族は実家に集まってお節料理ややローストビーフを囲んで、両親や姉一家といつも通りにお正月を祝ったのでした。  でも、2週間も経たずに私の母が自宅で脳出血で倒れました。救急搬送されたものの、翌日そのまま病院で亡くなりました。  突然の母の死は本当にショックでしたが、それよりも気掛かりだったのはそ既に90歳を超えていた父の事

        プロフィール

          年中行事で心を育てる

          一年を通じて、年中行事はなるべくやるようにしています。 例えばお正月の行事。 実は年末のしめ飾りや鏡餅の用意から始まりまっているのですが…「正月事始め」は12月の13日頃からと言われています。  我が家はしめ飾りと玄関の正月のお花は毎年用意します。煤払いや障子の張り替えなども年末にやる方もいるでしょうね。  私は少し暖かくなった3月に窓の大掃除などをやっています。 話を戻して、お節の準備。 母が生きていた頃は、実家で姉と私と母の三人で大晦日に「お煮しめ」や「なます」「田

          年中行事で心を育てる

          私の終活 最後の断捨離①

           4年前に母が亡くなり、その3年後の去年、父が亡くなりました。  両親ともに、亡くなる日までごく普通に生活し、寝たきりなることも入院する事もなかったのです。  誰もが憧れる「ピンピンコロリ」の人生を実現したのでした。  両親を見送る以前から、私は身の回りの片付けが人生後半では大事だと思い、「整理収納アドバイザー」の資格を取ったり「終活アドバイザー」の勉強をしたりしていました。  ですから普通の人よりは頭では「終活」の事を分かっていたつもりでした。 それでも実際に両親を亡くした

          私の終活 最後の断捨離①

          心の底を映し出すもの

          えー、柄にも無い『丸文字』書いてる!(笑) この丸文字を書いていたのはあるIT関連の社長さん。 私の友人が本人の外見とのギャップに驚いて発した言葉でした。 ロマンスグレーのダンディな社長は声も素敵。長身で物腰も 柔らか。仕事もできるキレ者でした。 ところが・・・字が最悪でした(笑) 私は単に下手なんだと思ったのですが、よくよく思い返すと 確か丸文字っぽくて幼い感じがしたのです。 理数系の人は、読みやすいように丸っぽい数字を書きますが、同じようにひらがなや漢字も読みや

          心の底を映し出すもの

          ボランティアは義務じゃない

          「愚痴が出るようになったら、辞めた方が良いよ」 かつて財団法人で仕事をしていた私は、いくつかのボランティアグループのお世話役もしていました。 全寮制盲学校でのボランティアや、いわゆる日雇い労働者の住む町での炊き出しボランティアなど、たくさんのグループがありました。 そしてメンバーたちは、シンパシーを持って活動に参加していたのです。 ところが、ボランティアを続けているとどうしても本音が出てくる事があります。 やってもらっている人達にもプライドがあり、同情されるのが嫌という

          ボランティアは義務じゃない

          物は物でしかない

          「お母さんの指輪やアクセサリー、持っていって良いからね。私はお義母様からもらったのがあるから」 母が亡くなった後、姉と私で遺品を整理していました。 母が持っていた指輪やアクセサリーがいくつかあったのです。確か山梨の宝石屋さんまで行って買ったものもあったと思います。 何百万円もする物ではなくて、ごく小さな石の指輪ばかりですが、普段使いには丁度良さそうでした。 母は宝石よりも、どちらかというと普段の洋服や靴にお金を使っていたのを思い出しました。 すらりとした体型だったので、稲

          物は物でしかない

          悲しい女

          「子どもはまだできないの?」 上から目線というか、嫌味たっぷりの口調でKさんは言いました。 30代まで独身だった私は、結婚してからも仕事を続け、既に結婚から6年ほど経っていましたが、まだ私たち夫婦の間に子どもはいませんでした。 それでも、夫は楽観主義者で「心配ないよ。絶対できるから!」と自信たっぷりに言うし、義理の両親も一言も「まだできないのか?」などと無神経なことは言いませんでした。 ですから、私は子どもが居ないことを何とも思っていなかったのです。 それなのに、親戚で

          悲しい女

          ゆうちゃん

          「最後に抱っこさせて」 「いいよ」 そして私はもうすぐ遠くへ行ってしまう「ゆうちゃん」を抱っこしました。 あれから16年経ちました。ゆうちゃんも息子と同じ様に社会人になっているのでしょうか。 ゆうちゃんとの出会いは、息子が幼稚園に通い始めたばかりの頃でした。 その日は幼稚園に早く着いてしまい、正門が開くのを息子と外で待っていました。 すると、誰かがそっと私の手を握ってきたのです。 小さな柔らかい手でした。 見ると、ゆうちゃんと言う女の子でした。 照れた様に私を見上げてい

          ゆうちゃん

          「あーちゃん、はるはる!」 暖かな陽射しの中、娘をバギーに乗せてその日もお散歩に出かけました。 桜が満開でした。 少し風が吹くとハラハラと桜の花びらが落ちてきます。 春になって、言葉を話し始めた娘を連れて桜がまだ蕾の頃から毎日散歩に出掛けていました。 桜が咲き始めると、私は娘に 「しーちゃん桜がきれいね。もう春ね」と話しかけながら散歩に出かけました。 もう少し桜が咲き揃い五分咲きになると「しーちゃん暖かくなったね。春ねー。桜がたくさん咲いたね」と話しかけて桜の道を歩きま