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物は物でしかない

「お母さんの指輪やアクセサリー、持っていって良いからね。私はお義母様からもらったのがあるから」

母が亡くなった後、姉と私で遺品を整理していました。
母が持っていた指輪やアクセサリーがいくつかあったのです。確か山梨の宝石屋さんまで行って買ったものもあったと思います。
何百万円もする物ではなくて、ごく小さな石の指輪ばかりですが、普段使いには丁度良さそうでした。

母は宝石よりも、どちらかというと普段の洋服や靴にお金を使っていたのを思い出しました。
すらりとした体型だったので、稲葉賀恵(イナバヨシエ)のブランドをよく着ていました。

実家の天袋にはブランド物のバッグがたくさんしまってありました。
父とヨーロッパ旅行の時に買った物でしょう。かなり昔の物ばかり。
それでもまだまだ新品同様でしたから姉は大きめのバッグを、私は使いやすい大きさのを選んで2〜3個ずつ分けました。

母が残してくれた「物」は他にもたくさんありましたし、書道や木彫りなど多趣味だった母の作品もたくさん残っていました。
実家では見慣れた「物」ばかりでしたが、私や姉の住まいには大き過ぎたり、デザインが合いません。

ティーセットなど普段使えて揃っている物は姉と分けましたが、その他の日常使いの食器や家電などは業者に持って行ってもらいました。
業者の方によると、リサイクルしたり、家電などは壊れていても海外に輸出する事もあるそうです。
誰か使ってくれる人が居れば、物としての使命は果たせますよね。

母の使っていた物や服には確かに思い出は残っています。
でもそれよりも私の体の中に母のDNAはしっかり受け継がれているのです。
物は物でしかありませんし、殊更物だけにこだわる必要は無いと思うのです。

片付けをしている間、不思議と母の念や雰囲気を感じることはありませんでした。
ああ、母は人生を全うして思いを残すこと無く天国へ行ったのだなぁ。そう感じました。

遺品や形見を分ける時に兄妹や親戚で喧嘩になる。などと聞きます。
でも姉の方が経済的に私よりずっと余裕がありますし、幸い私も姉も物に対してはあまり執着が無いので、母の遺品整理は本当に短時間で終わりました。

その三年後に父も亡くなりましたが、父の遺産分けについてはまた別の機会に…。






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