貪欲と自制
[箴言 23:4,5]
富を得ようと苦労してはならない。自分の分別によって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く。
今日の聖書箇所
箴言23:1〜16
今日から再び箴言から恵みをいただいていきたいと思います。
多くの人は自分の欲が満たされれば幸せになれると思っています。しかしそれが悪魔の最大の惑わしなのです。
人間の欲には際限がないからです。欲を満たせば満たすほどもっと欲は膨らんでいくからです。そしてその際限のない欲を満たすために手段を選ばないようになり,それによって破滅してしまうことがどれほど多いことでしょう。
このように貪欲というのは確実に人を不幸にしていくのです。それに対して自制,節制というのは人を幸せにしていきます。
第一に自制できる人は人に利用されることから守られます
[箴言 23:1,2,3]
あなたが支配者と食事の席に着くときは、前にある物によく注意するがよい。あなたが食欲の盛んな人であるなら、自分の喉に短刀を当てよ。そのごちそうを欲しがってはならない。それは偽りの食物である。
権力者,支配者は食事の様子一つを見てその人がどのような人かを判断することがあり,自制できない人であると分かるなら,その人を欲に働きかけてその人を自分のために利用してくるからです。
食欲だけではありません。悪しき者は権力欲,名誉欲などあらゆる欲に働きかけて人を騙し,人を利用するのです。詐欺に合ってしまうのもそれが原因であることがどれほど多いことでしょう。
自制できる人はそれらの悪から守られていくのです。
第二に自制できる人は不正な手段によって災いから守られるからです。
[箴言 23:10,11]
昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑に入り込んではならない。彼らの贖い主は力強く、彼らの訴えを取り上げて、あなたと争うからだ。
人が貪欲に富を求めていくならやがて手段を選ばなくなります。弱い者を搾取し,不正な手段も用いるようになります。
それによってどれほど多くの人が破滅してしまうことでしょう。またたとえこの地上の生涯で不正な手段によって成功し人を騙し通すことができたとしても,やがて神の御前でそのことは必ず裁きを受けていくことになるのです。
それはどれほど恐ろしいことでしょう。隠れていた罪もやがて必ず裁かれる時が来るのです。その時になって後悔してももう遅いのです。
[テモテへの手紙 第一 5:24,25]
ある人たちの罪は、さばきを受ける前から明らかですが、ほかの人たちの罪は後で明らかになります。同じように、良い行いも明らかですが、そうでない場合でも、隠れたままでいることはありません。
それではこのような貪欲から守られて自制を身につけていくためにはどうしたらいいのでしょうか?
第一に懲らしめから学ぶことです。
[箴言 23:13,14]
子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない。あなたがむちでその子を打つなら、その子のいのちをよみから救い出すことができる。
箴言は懲らしめの大切さを繰り返し語ります。人間の罪の性質,愚かさ,欲深さというのは甘いものではないからです。それは言って分かるようなものではなく骨身に染みる痛みを通して初めて人は初めて人は染み付いている罪から離れる可能性が出て来るからです。
それゆえ天の父も愛する子どもたちを必ず懲らしめ,訓練されるのです。
[へブル人への手紙 12:5,6]
そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」
第二に知恵の言葉,神の言葉を聞き続けることです。
[箴言 23:12]
あなたは訓戒に心を用い、知識のことばに耳を傾けよ。
人はすぐに忘れる者であり,どんなに苦しい思いをしたとしても「喉元過ぎれば熱さを忘れる」存在なのです。人は学べない者であり,変われない者なのです。
それゆえ私たちは繰り返し,繰り返し,絶えることなく祈りながら知恵の言葉,神の言葉を聞き続けなければならないのです。
その時,初めて聖霊の恵みによって自制という御霊の実が結ばれていくようになるのです。
今日の祈り
主よ,貪欲という悪魔の罠から守ってください。懲らしめから学び,神の言葉から悟る知恵を与えて自制の実を結ばせてください。
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