この世の評価と神の評価
[列王記 第一 16:25,26]
オムリは主の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。
今日の聖書箇所
I列王16:15〜28
今日も列王記から恵みをいただいていきたいと思います。
北イスラエルの王たちによる偶像崇拝はますます深まり、北イスラエルの混乱は深まっていきます。
バアシャの後継者となったエラは家来のジムリの反逆によって殺され、ヤロブアムと同じようにバアシャの一族郎党は根絶やしにされてしまいます。
そのジムリも軍の指揮官であったオムリによって殺され、やがてオムリが北イスラエルの王となります。
オムリはサマリヤの山の上に新しく町を建設し、そこを首都にします。外敵が攻撃してきても防御しやすい町を首都にして国の守りを強化したのです。
またオムリは周辺諸国との交易も盛んに行い、北イスラエルに経済的は繁栄ももたらしたのです。
オムリは政治的軍事的には優れたリーダーでした。それゆえオムリ王朝は48年間も続くことになります。オムリによって北イスラエルとサマリヤは繁栄の時代を迎えることとなったのです。
それゆえこの世の歴史ではオムリは高く評価されています。しかし神の評価は全く違い、オムリを誰よりも悪いことをした王であるとするのです。
それは北イスラエルに偶像崇拝を深く浸透させ、もう北イスラエルが立ち返ることができないところまで北イスラエルの民に罪を犯させてしまったからです。
オムリによって国が強くなり、豊かになると民はそれを偶像崇拝による結果だと思い込んで、ますます偶像を崇拝するようになってしまったのです。もう偶像崇拝について疑問など全く持たなくなってしまって、自分たちは間違ってはいないと思い込んでしまったのです。
エルサレム神殿のことも、神から与えられた律法のこともすっかり忘れて、自分たちが拝んでいる偶像は力がある、祝福してくれる神々だと思ったのではないかと思います。
北イスラエルの民は一時的な繁栄にすっかり目がくらみ、惑わされて偶像崇拝にますます深入りして、やがて国の滅亡と捕囚と離散という悲惨な結果を刈り取ることになってしまうのです。オムリはそのような惑わしをもたらしたゆえに誰よりも悪い王とされているのでしょう。
私たちもまた目に見えるものによって惑わされやすい者たちです。人は目に見える豊かさや繁栄をもたらすものなら、何でも受け入れてしまうことがどれほど多いことでしょう。
この世でのご利益をもたらすものなら、神の言葉に反していてもそんなことはお構いなしに受け入れ、それにより頼んでしまうのです。しかし長い年月が経つ時にそれが私たちを衰退と滅亡へと導くものであったことが分かるのです。
この世の評価と神の評価とは全く違うのです。
この世は目に見えるもの、その場で効果のあるもの、肉の欲を満たしてくれるものを高く評価します。しかし神は目に見えないもの、永続するもの。霊的な益をもたらすものを高く評価されるのです。この世の評価は時代によってすぐに変わりますが、神の評価の基準は全て神の御言葉に記されていてそれは変わらないのです。
私たちがこの世の評価を追い求めて人生を歩んでしまうなら、私たちは人生の失敗者になってしまいます。しかし神からの評価を追い求め、神が喜ばれることを追い求めていくなら私たちは永遠の成功者になっていくのです。
この世の目に見えるものはやがて全て消えてなくなります。しかし神とその御言葉は永遠に変わることがないのです。次の御言葉を心に刻み、神の御言葉を基準として神に評価される人生を歩んでいきたいものです。
[ヨハネの手紙 第一 2:15,16,17]
あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。
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