見出し画像

中途半端では勝利できません

[詩篇 60:1,2,3]

神よ あなたは私たちを拒み私たちを破られました。あなたは怒られました。どうか 私たちを回復させてください。あなたは地を揺るがし引き裂かれました。その裂け目を癒やしてください。地が揺れ動いているからです。あなたは 御民を苦しい目にあわせよろめかす酒を 私たちに飲ませられました。

今日の聖書箇所
詩篇60:1〜12

今日は詩篇60篇から恵みをいただいていきたいと思います。

この詩篇はダビデがエドムと戦い、エドムに勝利した戦いを背景にしています。

[サムエル記 第二 8:13,14]

ダビデが塩の谷でアラム人一万八千人を討って帰って来たとき、彼は名をあげた。
彼はエドムに守備隊を、エドム全土に守備隊を置いた。こうして、全エドムはダビデのしもべとなった。主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。

この時、ダビデは北でアラム・ツォバと戦っており、その隙をついて南からエドムが攻め込んできたようです。

ダビデは北と南で同時に苦しい戦いをしなければならなかったようです。その過程の中で敗北したように思われる状況も通ったのでしょう。

ダビデはこのような国家的な危機の中で自分たちが霊的に鈍く、信仰的に霊的に弱っているのでこのような状況になったと告白しているのです。

ここにダビデの霊の感覚の鋭さ、霊的な感受性の豊かさがあります。あらゆる状況を霊的に信仰的に捉えることができたのです。相手の軍事力が強すぎるとか、自分たちの作戦が失敗したとか現実的表面的なことだけではなく、そのもっと奥にある霊的なこと、本質的なことを捉えていったのです。

このように敵に苦しめられるのは自分たちが霊的信仰的に弱く、ズレてしまっているからだと捉えたのです。それゆえ勝利のためにまず信仰を立て直し、霊的な回復を図っていくのです。それが悔い改めであり、主をさらに求め、霊的な分別力を鋭くしていくことでした。

[詩篇 60:4,5]

あなたは あなたを恐れる者に旗を授けられました。弓から逃れた者をそこに集めるために。 セラ あなたの愛する者たちが助け出されるようあなたの右の手で救い 私に答えてください。

ダビデは主の旗の下に立ち返るのです。信仰を立て直し、祈りを立て直し、礼拝を立て直し、苦しみの中でますます主を求めていったのです。そして主の答えをいただき、再び戦いに臨み、大きな勝利を得ていくのです。

[詩篇 60:6,7,8]

神は聖所から告げられました。「わたしは 喜んでシェケムを分けスコテの平原を測ろう。ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムは わたしの頭のかぶと。ユダはわたしの王笏。モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上に わたしの履き物を投げつけよう。ペリシテよ わたしのゆえに大声で叫べ。」

私たちは問題が起こり、困難が許され、苦戦を強いられる時にどうしているでしょうか?ほとんどの場合、ああだから、こうだからという現実的な原因しか考えることはないと思います。

そして神はどうして助けてくれないのかと不信仰になってつぶやいたり、あるいは神を信じていても何も善いことはないと神を恨んで神から離れていったりしてしまうことが多いのではないでしょうか?

しかしそのような時こそ問題を霊的に信仰的に見ていくことが必要なのです。霊的な感覚を研ぎ澄まし、神との関係を点検していくことが必要なのです。表面に現れるあらゆる問題には霊的な原因があることがほとんどだからです。

問題があればあるほど、戦いが激しければ激しいほど神をもっと求め、もっと悔い改め、もっと祈り、もっとかみに近づいていくのです。そのように神を求める者たちは必ず神からの応答をいただいてダビデのように勝利していくことになるのです。

神を信じていると言いながら中途半端で神を求めることもなく、かといって自分で最善を尽くすわけでもなくただ流されるままになっているなら何一つ状況はよくならず、追い詰められるだけになってしまいます。

中途半端を捨てて、神に賭けるように神を求めていく者が信仰による勝利を得ていくことになるのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?