【雑感】法制審議会家族法制部会第34回部会資料(論点整理)を読んで(後編)
本稿のねらい(承前)
2023年8月29日に開催された法制審議会家族法制部会第30回会議において示された「家族法制の見直しに関する要綱案の取りまとめに向けたたたき台(1)」(要綱案たたき台①)は同第31回会議においても議論の対象とされたが、同第32回会議と第33回会議においては「家族法制の見直しに関する要綱案の取りまとめに向けたたたき台(2)」(要綱案たたき台②)が議論の対象とされた。
【参考】要綱案たたき台①に関する記事
要綱案たたき台②は要綱案たたき台①のマイナーチェンジと理解したため別途記事を作成することはしなかった。
今回は、要綱案たたき台②のうち意見対立が先鋭化している論点の整理を行う法制審議会家族法制部会第34回会議における部会資料34-1(部会資料34-1)と同34-2(部会資料34-2)につき雑感を記す(以下部会資料34-1と34-2をあわせて本資料ということがある)。前者につき前稿(前編)で触れ、後者につき本稿(後編)で触れる。
部会資料34−2
▶ 要綱案たたき台①第1
【Note】
親権を単に親の義務とすることは短絡的に過ぎるが、「子との関係において、親権が親の権利ではなく義務としての性質を有するものであること(親権を子の利益のために行わなければならないこと)を明確化」するという要綱案たたき台①第1の注2に賛成する。重要なのは、誰の誰に対するどのような権利・義務なのかである。
父母と子の関係
父母は少なくとも未成年の子に対して何ら権利は有しておらず、むしろ子に対して扶養義務その他の義務・責務を負っている。また、父母は、下記自由権的な権利である親権を子のために適切に行使すべき義務・責務をも子に対して負っていると考えるべきである。
その意味で、父母と子の関係は、直接的に親権を行使する/行使されるという関係ではない。子は父母から親権を行使される対象ではなく、現行民法第818条第1項「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」はミスリードである。改正するとすれば、次のような内容が考えられる。
父母と国その他機関や第三者との関係
父母は、国その他機関や第三者との関係においては、原則として、子の財産管理や監護・教育等に関し、介入を受けないこと(妨害排除請求を含む)という自由権的な権利を有している。つまり、父母は、子の財産をどう管理するか、子の居所をどこにするか、どのような教育を与えるか、どのように養育するかなど子にまつわるすべての事項につき、国その他機関や第三者ではなく父母が責任を持って決定する権利を有する。これが親権である。
その反面、父母は、国その他機関に対しても、自身の子につき、適切に親権を行使すべき義務・責務を負う。仮に適切に親権が行使されなければ、一時保護等により国その他機関が介入する。
以上のとおり、親権は、権利の要素もつが、親権にまつわる権利と義務・責務の内容と当事者がそれぞれ異なるためややこしくなっている。
【参考】法制審議会家族法制部会第30回会議議事録と親権の雑感
▶ 要綱案たたき台①第1に関する論点
(1) 父母の責務や権利義務等
父母として子に対して負う責務等
父母は「その婚姻関係の有無や親権の有無にかかわらず、子との関係で特別の法的地位にある」(部会資料34−2・2頁)という意見に賛成する。
問題は、その「特別の法的地位」から何が生ずるかである。
現行法上は、親権行使に何らか重大な問題が発生するなど「マイナスの要素」(父母双方を親権者と定めることを否定する方向の事情)(要綱案たたき台②補足説明5頁)がないにもかかわらず、離婚後単独親権制度により親権を有しない父母が存在している。
他方で、今後は合意型離婚後共同親権が原則となるのだとすれば、親権を有しない父母とは次の2通りであり、共同親権を辞する父母(親権の辞任をする父母)又は共同親権を求めたが裁判所により「マイナスの要素」を認定され共同親権が認められなかった父母(親権喪失した父母)である。いずれも親権に含まれる事項を決定することが不適切な父母であるが、子に対する義務や責務を免れさせる必要性はなく、典型的には扶養義務は引き続き負うと考えるべきである。
また、一定の事項を決定することは不適切だとしても、例えば第三者による子への危害が発生し又は発生する蓋然性があるにもかかわらず何らの手立ても講ずることができないのは不適当であるし、また親権者である父母の一方の親権行使が適切ではないと判断される場合にそれを放置することも不適当であるから、第三者への妨害排除請求権や親権者の変更申立権や親権喪失等の申立権は維持されるべきである。いずれも子に対する権利ではなく第三者や父母の他方への権利であることに注意。
なお、後者の申立権については、権利ではあるものの子の利益のために行使されるものであるため一定の濫用防止措置が必要であり(家事事件手続法第271条参照)、かつ、当該申立権を適切に行使するための情報提供措置も必要となる。
【参考】フランス・ドイツの民法典
子の人格の尊重/子の年齢・発達の程度
「父母が子との関わり合いをする際に一般的に求められるものとして、父母が子の人格を尊重すべきことや、父母が子の年齢及び発達の程度に配慮すべき」(部会資料34−2・4頁)との意見に賛成する。
あくまで一般条項に過ぎないが、親権喪失等の判断の事情になり得るため重要である。
【Note】子の意見の把握・尊重
子の意見を把握・尊重することを明文化する必要はないと考える。
この点、未成年の子とはいえ1人の人間であるから、その子について何らかの事項を決定する際に意見を聴取しないというのは人格を無視することになる。したがって、子の意見を把握し尊重することは重要である。
しかし、子の意見を把握・尊重することを明文化すると、自ずと裁判所も安易に流されることになる結果、子の意向に不当な影響力を行使するインセンティブが働く可能性がある。
上記のとおり子の人格の尊重が掲げられれば、「子が1人の人格的な主体であるとの認識を前提とするものであるから、子が人格の主体として形成した意見等を尊重・考慮することは、子の人格を尊重することに含まれていると整理することもできる」し、また上記のとおり子の年齢及び発達の程度に配慮することが掲げられれば、「その意見等をどの程度の重みをもって考慮すべきかについても、その年齢や発達の程度に応じて判断されるべきである」と考えることができる(部会資料34−2・5頁)。
自己と同程度の生活を維持することができるよう扶養(生活保持義務)
扶養の程度について自己と同程度の生活を維持することができることを基準とする「生活保持義務」には反対である。まったく理解し難い。
この扶養義務の目的は「子の心身の健全な発達を図るため」であるとされており(部会資料34-2・6頁)、そうである以上、自己と同程度の生活を維持することができることは必ずしも求められないはずである。
生活費や教育費にどの程度の金額をかけるかは幅(裁量)があるはずで、「子の心身の健全な発達を図るため」最低限必要な金額は当然支出するとしても、それを超えて支出することが求められる根拠がない。これは父母が離婚しているかどうかにかかわらず同じはずである。
例えば、資産1億円・年収2000万円の非監護者がいるとして、自身は生活費として年200万円しか費やさないのに、資産や年収面だけを見て、一般に生活費や教育費として年500万円必要と判断されれば年500万円を支払う必要があるのだろうか。
また、父母の離婚前は教育費として年200万円であった(それはその世帯の資産・年収からすれば低額だったかもしれないが最低限必要な金額を超えていることは疑う余地がない)として、父母の離婚後、父母の資産・年収は変わらないとして、非監護者の資産や年収面だけを見て、一般に教育費として年300万円必要と判断されれば年300万円を支払う必要があるのだろうか。
なぜ父母の離婚により扶養義務の程度が変わるのだろうか。
上記のとおり「子の心身の健全な発達を図るため」最低限必要な金額は当然支払うべきだが、それを超えた部分は支払う者の判断(任意・オプション)であり、一定の期待はあるかもしれないが、権利性を備えることはない。
父母間の人格尊重・協力義務
これも当たり前のことであり一般条項として規定することには賛成する。
問題は、この人格尊重や協力義務に違反した場合の効果である。
(2) 親権行使の限界(「子の利益」)
上記のとおり、父母は、国その他機関や第三者から子の財産管理や監護・教育その他一切の事項につき介入を受けずに決定することができるが(=親権)、それはすべて「子の利益」のために行われるものであり、自己又は第三者の利益のために行ってはならない。これは当たり前であるが、それを明確化することに賛成である。
【Note】親権の義務としての側面を強調・明確化すること
上記のとおり、父母が子との関係において親権を適切に行使する義務を負うことを明確化することには賛成する。
しかし、その場合、親権とは何か、つまり上記のとおり父母が子に関するあらゆる事項の決定を国その他機関や第三者から介入を受けない自由権的な権利であることもまた明確化しなければならないと思われる。
なお、親権を「親責任」や「親義務」のような義務・責務を強調する名称とすることは反対である。ここでいう義務・責務は、上記の親権の意味ではなく扶養義務その他親権の有無にかかわらず父母として子に対して負う義務のことだと思われるためである。
これらの義務・責務は「父母が負う義務」として規定すれば足りる。
以上
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