お願いだから気づいて。

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自立は責任が増えということ

高三の夏、担任に聞かれた。 自立…私にとって、それは大きな目標であり すぐそばにある目標でもあった。 自立って何か、いきなり聞かれても はっきりとした答えは出なかった。 私にとっての自立はゴールではなく スタート地点だと思ったからだ。 小さな目標大きな目標を立て目的を立てる。 だが、それを達成したから自立とは私は感じない。 達成出来たからこそ、 そこからのスタートが自立だと私は思う。 高三ながらこんなことを先生に突きつけた私は、 良くも悪くも先生の、気持ちを動かした。

    • 子供心を有限に。

      20歳になり、一歩大人の道に進んだ。 そして、世間からも成人として認められ、 喫煙も飲酒も許された歳になった。 私は、20歳という節目の歳を迎えたことにより 大きな目標を掲げた。 「ポジティブに考え、前を向いて生きよう」と 躁鬱患者の私にとってはきっと今は躁の時 鬱の時の私がちゃんと考え行動してくれるかは分からない。 だけど、このまま「仕方ない」で終わらせてしまうのは 勿体ない気がする。 何事にもチャレンジし続ける人間になっていきたい。

      • 19歳うつ病の日常

        私はほぼ毎日とあるスーパーで働いてる。 でも色んな客と接しながら毎回死にたいなと思ってる。 地元の友達とこえが似ていた。 過去の自分に似ている。 自分の家族と瓜二つの家族が買い物に来る。 毎回、辛いくらい苦しいくらい羨ましくて 自分が嫌になって苦しくなる。 夜遅い帰り道は暗くて、一通りも少ない。 前まで嫌いだったカミナリも、 嫌いだった暗さも、もうどうでもいいくらい 何も感じなくなった。 助けて欲しいと思いながら 殺してくれって思う自分がいる。 生きていたいと思いなが

        • 世間からすれば立派な大人。

          私は19歳。今年で20歳になります。 今の私の気持ちをここに綴らせてください。 私は親が毒親であり、私自身精神的にも肉体的にも 疲れたしんどい、そう思い周りの手を借り裏切り いま、身分証の無いまま働いています。 だれも、自分のことを知らないとこで暮らしたい。 そして誰も私の過去を知って欲しくない。 そう思いながら怯えながら生きています。 そして、親元を無理やり離れ、なんの用意のないまま 周りに連れられて県外に出て、 右左も分からない世の中で暮らしています。 身分証がない

        自立は責任が増えということ

          毒親から逃げるための第1歩

          私は、ある日を境に、ストレスが原因で しょっちゅう倒れてしまうよいになりました。 精神科の先生が口にしたのは 「今の家庭環境のままじゃ、治らない。」 当時の私は中学生。 何度も親から逃げたいと思った。 でも、逃げられなかった。 親から逃げることが怖かった。 親から何をされるのか怖いんじゃなくて もし自分が消えて、親がどうなってしまうのか 分からなくて怖かった。 親はどんな手を使おうが 私を自分の見える視野の中に入れようとする。 どんなに自分の子に暴力をふるおうが 親の気分

          毒親から逃げるための第1歩

          スーパーの異常な体力

          私はスーパーで最近働き始めた。 最初は興味本位だった。 元々働くことは大好きだった。接客業が好きだから。 でも、私の思い描いたアルバイトではなかった。 面接を受けその日に採用が決まり、 必要品を用意し初めての出勤をした。 元々飲食店やコンビニなどをしていたため 2日で研修は終わった。 スーパーは、役割分担があると思っていた私は 品出しとレジを同時進行なことにも驚いた。 信じられなかった。 あんな広い中で「レジ応援」を呼ばれたら行かなきゃ行けないさすがに体力が不安だった。

          スーパーの異常な体力

          生きててくれてありがとう

          小四の夏、 カウンセラーになることを夢見てた 「誰かの役に立てる仕事がしたい」 小四の私はまだ体も今みたいに成長はしてないけど 確かに、誓ったのは覚えてる。 生まれた環境は決して裕福ではなかった 実の父親はもう私の記憶には 何も無いんです。 唯一の母親は母子家庭で 私を育ててくれました。 けど、どこかで今でも切れそうな糸が 「パチンッ」と切れてしまったのか 母親は私が知っている母親では無くなった いつの間にか物心ついた時から 母親からの暴力が当たり前でした 冷たい目線、言

          生きててくれてありがとう