脇道 寄り道 分かれ道
迷子になることは好きですか?
私は好き…というか、「道があるんだから、どこかには出るだろ?」ぐらいの感じで気楽に考えるタイプ。
過去には、方向的にはこっちだ!と思って進んだら行き止まりやら、道が曲がっててどんどん違う方向に行ってしまうやら、幹線道路から外れてしまって目の前が海!やら、林道に迷い込んで山の稜線に出てしまったこともあったり(笑)
現代社会にはナビなんて便利なものがありまして、自分の現在地、つまり座標を知らせてくれるんですな。良い時代です。
ただ、常に最短距離とか、最短時間とか、人気のドライブルートなんかを案内されてても飽きるんですね。同じ情報に沿って動いてるから、いつも同じようなところを通るし、なんなら通る人も多かったりします。最大公約数の多数派ってヤツ。選んでおけば無難なルートね。 もちろん限りある時間を有効に使おうと思えば、それはベターな選択肢だろうし、私だってあまり迷いたくないときは使わせてもらってます。通過時間とか到着時刻も読みやすいしね。誰かと予定を合わせるとか、土地勘の無いところで時間通りに到着しなきゃならんとか、そういうときは凄く便利。文明の利器ってスゲー!万歳!って感じ。
でも、そういう縛りが無いなら、なるべく知らないルートに入ってみたい人なんですよ、私は。
だいたいにして、どこに行っても道路標識はあるし、よほど人里離れて無ければ民家もコンビニもあります。昔からのセオリーで考えれば、川沿いには町や村があるはずだし、明かりのあるところには人がいますからね。疲れたら、いったん止まって一息ついて考える。これが大事。
自分だけの発見やら絶景に出逢えるかもしれませんからね。ときには迷うことも必要なんだなと思います。
幹線道路もいいけど、脇道が好きなんです。旧道とか生活道路が好き。その町の歴史とか盛衰の跡みたいなのが見えるのがいいんです。
先日、母の誕生日でお寿司を食べに行ったんですが、そのときに、ふと「時間と情報量」のことが頭に浮かんだんですね。
例えば、ある場所まで移動するのには多様な手段があるわけです。大昔は徒歩で移動するしか無かったから、徒歩のスピードで得られる情報が重要だったのですな。だから約4Kmごとに「一里塚」があったり、十里ごとに宿場があったりしたのですよ。
自動車や鉄道が発達することで陸の移動がスピードアップ、海外への移動も船旅から航空機が主力になって圧倒的に時短が実現したんですね。すると、それまで徒歩のスピードで得られてた情報には触れられなくなってしまいます。この辺りをどう天秤にかけるか、だと思うんです。
なんでも速ければいいってもんじゃありません。ゆっくり歩くことで見える景色もあります。
自動車での移動だって、景色を楽しみたければ寄り道したり、脇道に入ってみたりすればいいし、先を急ぐのならお金を払って高速道路を利用するのもいいと思います。選択肢が多いことは良いことですよ。でもね、万人が選ぶベターな選択肢が絶対に正しいわけじゃないんです。迷って試行錯誤して、自分だけの絶景を見つける選択肢だってあってもいい。
途中にあるものに価値が無いと思うなら飛ばせばいいんです。でも、途中にこそ価値があると思う人も確実にいるわけで。
人生も同じだなと…
メインストリームを歩く人は確実にいるけど、そこから外れた人に価値が無いわけじゃないです。
路傍の花を愛でることを忘れないような人生でありたいと思います。
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