多様な大人に囲まれて。

数時間前、私は荒ぶっていた。
コンビニの駐車場で納豆巻きを食べながら


「いい歳して何も出来ることがない、どうして生まれてきたのだろう」

と、泣きわめいていた。
情けない。

しかし、今は、もうとりあえず生きるしかないでしょ!と思うメンタルの強さを発揮している。

多様な大人に囲まれて


友人こそ少ないが、私は実に多種多様な大人に囲まれて育った。
幼稚園の頃から登園拒否、特技もお金もなく、ついでに現在職までないという筋金入りの社会不適合の私がなぜか生きていられるのは彼らのおかげである。
多種多様な大人たちだからこそ私を否定せず受け入れてくれたのだ。
そのおかげで自己肯定感が高く、何者にも折ることの出来ない精神を手に入れられたと思っている。

成田離婚男、ハイパー高学歴なのに10年ニートをしていた男、個人主義を極めた帰国子女、強すぎる韓国女、とりあえずモテまくる画家、由緒正しい家系に生まれた大和撫子‥‥等々

本当に個性豊かな大人たちが私の人生に関わってくれた。
私を尊重してくれた。

個性の暴力と言えるレベルの彼らだが、共通して教えてくれたのは

「こうじゃなきゃいけないことは何もない」

ということだった。

その教えのおかげで、今日まで生きてこられた。

学校に行けない時
遠足のお弁当を一人で食べた時
3年遅れで大学に入学した時
就活がうまくいかなかった時
なんかしらないけど死にたくなった時

どんな時も「こうじゃなきゃいけないことは何もない」という教えが私を救ってくれた。

個性豊かな大人たちがそれぞれ独自の視点で社会とは、世界とは、人生とは、と色々な話をしてくれたおかげで他人に対する許容範囲も広がったと思う。

私の人生は客観的に見たらきっとどうしようもないものだろう。
何もない。
何も成し遂げていないから。

けれど、最高な大人たちと出会えたので、私はこの人生をとても気に入っている。


昨日、個性豊かな大人たちの一人が亡くなった。

大和撫子だ。

彼女は今時珍しいくらい綺麗な日本語を話し、驚くほど達筆な字で手紙をくれた。
よく送ってくれた胡麻豆腐は本当に美味しかった。

「いくつになっても挑戦する気持ちを忘れてはいけませんよ」

と言っていた。

とても素敵な女性なのに生涯独身で過ごした。

「結婚というシステムには合わないと思ったのよ」

と言っていた。

最後に電話をした時、

「引っ込み思案なのも可愛いけれど、もう少しだけ外の世界に出てみたらいかがかしら?」

と言っていた。

私は社会不適合者である。
人と会話をするだけで頭痛肩こりに悩まされる。
人が集まる場所がとても苦手だ。
人と会った後は2日くらい寝込む。

でもそれでいい。
人と話して頭痛肩こりに悩んじゃいけない
わけでもないし、
人が集まる場所が好きじゃなきゃいけない
わけでもないし、
人と会った後2日寝込んじゃいけない
わけでもない。

ただ、

「もう少しだけ外に出る」

これだけはもう少しだけ外に出なければならない。

と、解釈しておく。


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