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だったものに馳せる

夜型人間の私が半ば強制的に朝型人間になり数日が経ちました。実家の掃除をひたすらしては除菌、母が退院する準備です。退院が決まってはなくなり、の繰り返しでその度に一喜一憂するのは疲弊が余計に増えると思い期待しないことにしました。本人が頑張っている分一番辛いだろうし、悔しいと思うのです。私がここで落ち込んでる暇はないのです。薄情と思われるかも知れませんが、母に笑顔でいつも通りに電話したいのです。

皆さん、中原中也は好きですか?私は大好きです。思春期に患った厨二病も影響しているでしょう。当時よく分からないまま純文学や詩を読んで、そのままズブズブとアングラカルチャーへ傾倒していきました。中也はさほどサブカル感はないと思いますが。汚れっちまった悲しみに……などは有名ですよね。
中也が医者の息子で神童だったり、酒癖の悪いクズだったり、といったところも私は楽しい人だな、と思っています。中也が遺した詩には死を思わせる作品がたくさんあります。死んだ者、遺された者、それらの傍にいる者、様々な場から死を作品にしています。その中に【骨】という作品があります。私はこの詩をいたく気に入っています。気に入って、というと言葉が違うかもしれない。しっくりきた、という感じです。

私が初めて火葬場で骨を見た時、言い表せない不快さで耐えられませんでした。大好きな祖母の骨でした。皆が悲しみながら当然のように骨を拾っている事が気持ち悪かったのです。それはもう遺体でもない、祖母の面影は一切ない、偶然見つけたらびっくりしてしまう人骨です。祖母のものでなかったらどう思うか?と質問した事があります。
そんな気持ち悪いことを言うな、と言われました。私はそう答える人達が気持ち悪いと思いました。

 祖父が亡くなった時、私は頑なに骨を拾いませんでした。見ることも。骨になってしまったら、私の気持ちも全てなくなったことにしてしまう気がしました。あまりにも理不尽だと思いました。

そこから今度は人体解剖学の本を読むようになりました。骨を特別な物にし過ぎな自分を変えるためです。骨にこんなにも執着して、葬儀もすっぽかすままではダメだ。と思いました。
同時にもう人の死ぬのは嫌だと、次は自分にならないかと思っていました。

父が死んだ時、無心で骨を拾う自分がいました。これは父だと断言出来る要素無しの骨を骨壷に入るよう砕く職員さんを凝視していました。全ての骨は入らないから処分と聞いた時、だったら持って帰りたい、と思いました。私にくれよ、捨てるなよ、と声に出したつもりなのに、ため息しか出ません。不甲斐なかったです。

 いつも一緒に暮らしてきた犬が死んだ時、この子を私は食べたいと思いました。骨を見て泣きました。人の骨より愛犬の骨が私には大事でした。確かに愛犬の輪郭をしている骨には生きていた時と変わらない感情がありました。
もうすぐ骨を埋めに行くことになりました。10年近く家に置いていました。寂しい。悲しい。物理的に離れるのがつらい。つらいです。
今いる犬達とこの先、一緒に骨格標本にして欲しい。海外で実際になった方がいたのを知り、わりと本気で思っています。
死に立ち会う強さがもう私にはないので、皆より早く死にたい。そういう希死念慮がずっと私から離れません。
死んだらどうなるの?と、大好きな祖母に質問してなんとなく理解した3歳の時から抱えている希死念慮は拗らせすぎて私の手にも負えません。
おばあちゃんが死んだ時に私もう耐えられなかったんだよ。こんなにへんてこな人間になっちゃった。随分前に私はぶっ壊れてたんだな。

母が死ぬのが怖いです。


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