今日のラブリー!観察は愛。
今日も仕事を抜けて、自宅へと急いで帰る。家で具合の悪い愛鳥、ばなちゃん(本名ばなな・オカメインコ ・♀12歳)が待っているから。
ここ数か月、ずっとこんな暮らしが続いている。
こういう事態になって初めて、育児や介護の現場に思いを馳せる。わたしはそのどちらもほとんど経験がない。
だから今、この体験をとおして「心配」とのつきあい方を練習中だ。
家の鍵を開けて「ただいまー!」とドアを開ける。
ばなちゃんが元気だった頃は、鍵をさしたその瞬間に「ピョーッ!ピョ―ッ!(おかえりー!)」の鳴き声がしたけれど、今はほとんど反応がない。
ドキドキしながら、急いでばなちゃんのいる部屋に上がる。
大丈夫。
生きてる。
息している。
寝ている。
ほっ。
安堵感とともに
「寝てた?」
「ごはん食べた?」
「おりこうさん!」
と声をかけながら、ばなちゃんを取り巻くすべてを観察する。
顔や表情。目の輝き。餌やお水の減り具合。フンの状態。体重測定…。
観察は、言葉の通じない生きものとのコミュニケーション。
観察はケア、愛なのだなとおもう。
そう考えると、これまで十分に「観察」ができていたかなと心が痛んでしまう。
後悔や罪悪感が襲ってくる。
でも、今さら仕方ない。
今できることを精一杯するだけだ。
ケアの時間を終えて、お茶を飲みながらほっと一息つく。
明日のことも何にも考えず、ただ、ぼーっとばなちゃんを眺める時間。
わたしの至福の時間だ。
ふと…もしかしたら、今までで最高に幸せなのかもしれないな、と思ったりもする。
大切なものを大切にできる幸せ。
ケアができる、という幸せ。
そうだ。今、わたしは幸せに満ちている。
そんな2020年の年の瀬。
明日は冬至だ。
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