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インターネット

インターネット、それは甘美なノアの箱舟だ。
インターネットとの付き合いは長い。物心ついた時には家にあったWindows XPに触り、好きなコンテンツに触れ、誰も知らない音楽を探したり、美少女ゲームをしたり、好きなゲームのレビューを残したり、当時見ていたアニメの片方のヒロインの悪口を書いたり、逆張りをし続けてマウントをとったり…馴染めない学校の鬱憤を晴らすように、甘美なように見せかけた汚臭のする幻想を楽しんでいたのだ。
結局、大人になった今も、インターネットという居場所から離れられないでいる。
昔に比べてマシにはなったが、人の承認欲求というのは留まることを知らない。
最近始めたこのnoteも、文字を書くのが楽しくて気づけばついつい毎日のように更新してしまっている。それが誰かに見られようが、いいねをしてもらおうが、共感してもらおうが、正直のところそこはどうでもいい。自分が書いた文章を見た人間がいるとすれば、その人間に何かを抱いてもらいたい。そんな欲なのだ。
SNSに写真や文章をあげて、いいねがいっぱい欲しいという気持ちよりも、誰かに何かを与えたい。良い気分になってもらいたい。悪い気分になってもらいたい。自分が認められたい。認められたい。認められたい。認められたい。認められたい。認められたい。認められたい。認められたい。認められたい。認められたい…
結局自分は、自分という存在がここに地に足をつけて自我を確立して生きているということを誰かに知ってて欲しいのだ。
普通に生きていると、思っているより世間は冷たくて誰も自分のことに興味が無いように感じる。
干渉の無さというのは自由だが、たまに不自由さがどうしても恋しくなってしまうのだ。
そんな欲求にインターネットはよく答えてくれる。
汚くて、醜くて、承認欲求と目立ちたがり屋ばかりの最悪な箱舟だが、そんなどうしようもないインターネットは私は愛している。
このまま死ぬまでインターネットをして、インターネットと共に死んでいく。一緒の墓場に入るのだ。
きっと私は老人ホームでもインターネットの話をしているし、一生インターネットの悪口も言うし、それでも慈愛を注がずにはいられないのだ。

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