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目にまつげが入るくらいの事。

多分、 私が今悩んでいることは、 目にまつ毛が入るくらいの 小さなことだ。
だけど、 それが結構痛い。涙も出るし。

誰でも経験があると思うけれど、 どこに入ったかわからなくて、 指で探ったり、 目薬をさしたり、 色々なことをして 入ったまつげを 出そうとするでしょう。

例えば、 昨日 近所の人に言われたんだけどね、 この地域で暮らすのに車がないということは、 足をもぎられたようなものだよなって。

確かに私の地域は、 とても のどかだから 95%以上の人が、 車を持っている。
仕事や 買い物 どこに行くにも車がないと不便。 これはわかる。

でもね、 車椅子になって、 車を手放した 私の前で言うことではない気がする。 ただ、 配慮にかけた人だ。 と思えばいいと言い聞かせながらも、 みんなそんな風に思ってるのかな ? なんて思ってしまって。 気持ちが暗くなった。

しかも、障害児の虐待のニュースを見て おじさんが言った言葉があるの。
その虐待を受けていた施設の子供たちは 自分で食事をとることができない。
意思疎通は何とかできるけれども、 自分で体を動かすことができない。 かなり重度の障害を持つ 子供たちだった。

結局、何の役にも立たないのだから、 生きてる意味なんかないよな。
人の世話になっておいて、 人の手を借りている以上 、 少しくらいのことがあったって 仕方ないよな。 そう言ったの。

私は生きることが、 人の役に立つか 立たないかで 価値を持つものではないと思っている。 誰かの手を 煩わせたなら 生きていなくてもいい とも取れる 発言 だった。
これは この人の価値観だから、 みんながみんな そう思ってるわけではない と思う。
端的に言えば これは、 役立たずは 虐待されてもいい。 死んでもいい ということを言っている。
でも実際そう考えている人は、 多いような気がする。 私も、 車椅子になってから、 人の裏を よく見るようになったから。

私は、 どうしても 虐待されている子供たちに、 自分の将来を重ねてしまう。

そうすると、 暗くなる。 どんなに頑張ったって、 良くなる 病気ではない。 今より悪くなって、 人の手をたくさん借りなければ、 生きていけなくなった時、 邪魔者扱いされるんだろうな。

いつも、 前を向いて 明るく 最善を尽くして、 生きているつもり。 できることは全部自分でやって 、人生を 明るくしなくちゃ せっかく生きてるんだからって。

そんな暗い未来のことなんて、 考えたって 意味がなくて 無駄だって分かってる。
今月は 大イベントがあるでしょう。
なのにこんなことが 頭を駆け巡っている。
やっと、 画面の向こうにいる推しに会えるのに その ことだけ 考えていたいのに。
目の中に入ったまつげのように、 こんな暗い未来の想像が 私の頭を混乱させている。
全く ダメダメだな 私は。
推しがいつも言ってるじゃない「すべて最善」
歌ってるよ🎵明日の天気より今日の空見上げよう~♪って。
落ち込まないで、 私。 私の人生はこれから。推しにも みんなにも会えるし 元気になるから大丈夫。

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