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子供のためのルーブル美術館(30)プッサン・この子を助けて!

ピュロスがあぶない!


むかしむかし、いまから2400年くらいまえのおはなしです。

ギリシアの北西ほくせい、エペイロス王国おうこく王子おうじとしてピュロスはまれました。

そのころは、王様おうさま地位ちいをねらって、戦争せんそうえませんでした。
そしてついに、ピュロスにも危険きけんがせまります。
使つかいたちは、あかちゃんだったピュロスをたすけようとメガラにかってしました。

ところが、

大変たいへんだ!
ピュロスがあぶない!

なんとすぐうしろにピュロスのいのちねらっててきがせまってきたのです。

まえかわ

ピュロスをまも兵士へいしは、かわこうの人々ひとびとたすけをもとめて、いしにメッセージをつけてげました。

もうひとりの兵士へいしも、ヤリのさきにメッセージをむすびつけて、川向かわむこうのメガラの人々めがけて力いっぱいげこみました。


ピュロスの運命うんめい一瞬いっしゅんにしてどうなるのか、
プッサンは、そんなピュロスのおはなし一枚いちまいえがきました。

いしやヤリをげるふたりは、力強ちからづよいまにもうごしそう。

プッサンは、レオナルド・ダ・ヴィンチの
おな身振みぶりをしている人をかえしてかくくと、もっとおおきな力強ちからづようごきがまれる」
というおしえをここでれました。

そして、
いしげている兵士へいし姿すがたは、ボルゲーゼの力強ちからづよ彫像ちょうぞうを見てアイデアがうかんだのでした。

ここで運良うんよたすかったピュロスは、のちに、古代こだいでも有名ゆうめいなとてもつよ王様おうさまになるのですが、過酷かこく運命うんめいけます。
たたかいで何度なんどもローマにつけれど結局けっきょくそれはけだった…というような。

そんなピュロスの運命うんめいかんじさせるかのように、
プッサンのは、そらにはくろくもちこめかぜ木々きぎはげしくさぶり、
遠くに白いしろマーキュリーの彫像ちょうぞうかびがっています。


Nicolas POUSSIN
Le jeune Pyrrhus sauvé 1634
D'après la Vie de Pyrrhus de l'écrivain grec 
Plutarque (vers 46-vers 120 ap. J.-C.)
ニコラ・プッサン
救われた若きピュロス 1634年
ギリシアの作家プルタークの『ピュロスの生涯』に基づく
プルターク(紀元46年頃~120年頃)

Gladiateur Borghèse
Agasias
アガシアス(ドシテオスの息子、エフェソス市出身)
通称ボルゲーゼの剣闘士  ローマンコピー

プルタルクの『ピュロス伝』から引用されたこの題材を最初に扱ったのはプッサンのようだ。
画家は、輝かしい運命の劇的な始まりを描いている。ピュロスは古代で最も有名な武将の一人である。ハンニバルは彼をアレクサンドロス大王に次ぐ2番目の武将としている(プルターク『フラミニヌスの生涯』)
ピュロスは、モロシアン軍に敗れて殺されたエピルス王イーシドゥスの息子である。
プッサンは2歳のピュロスを描いているが、彼は死の危険にさらされていることに気づいていない。父の刺客に追われる彼を助けようと、従者たちが彼を運ぶ。敵が右側から彼に加わろうとしているとき、彼の支持者たちは、川の流れの前に、石や槍にメッセージをつけてメガラの住民に助けを求める方法を見つける(プルタークはどちらか一方の方法を挙げているが、プッサンは両方を描いている)
左側のメッセージを投げる男の姿は、プッサンがボルゲーゼの剣闘士像(ルーヴル美術館)からインスピレーションを得たものである。

musée du louvre 


お読みいただきありがとうございました。
プッサンの見事な作品に、短い簡単なお話で紹介しましたので、お詳しい方には物足りなく感じられたと思います。初めての方には、お話しを少し知ってから見るとこういう絵もおもしろく感じられるかもしれません。
それにしてもプッサンの青、赤、美しいですね。
また他の作品もご紹介します。



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