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子供のためのルーブル美術館(24)文字が生まれた日・ルビーの目を見たら/メソポタミア

メソポタミアにようこそ

わたしはメソポタミア・バビロンの女神めがみナナヤ
そちらのあなた、、、

最初さいしょわたしとおへそをごらんになったわね。
世界せかいもっとふるいルビー、とおくビルマからはこばれたもの。どう、うつくしくなくて?

わたしたあなたを、5000年前ねんまえわたし世界せかいにおれしましょう。


古代こだいメソポタミアのウルクのおう以前いぜんのブログでご紹介しょうかいしたのおぼえていらっしゃるかしら

世界せかいはじめての文字もじいまから5400年前ねんまえ、ここメソポタミアのウルクでまれたのです。
粘土ねんどうえに、川辺かわべくさ、カラマスとよばれるアシでるようにして文字もじきました。

最初さいしょむぎにくったりったり、わすれないように記録きろくするために

それがどういうものか、わかるように絵文字えもじにしたり、
かんがえていることを文字もじにする表意文字ひょういもじつくりました。
のちには、その絵文字えもじおとをつけて 文字もじむようになっていくのです。

大麦おおむぎ あなかずりょう

おおきい あらわす文字もじ

ひと のよこに パン(またはおわん、ボール)  で、べる という意味いみ文字もじ


ときがたちいまから4500年前ねんまえには、文字もじ使つか機会きかいえて、楔形文字くさびがたもじまれました。それはクギでひっかいたような文字もじです。
はやくそしてたくさんの文字もじけるのです。

それからは、くに歴史れきし記録きろくしたり

ほかくにとの和平条約わへいじょうやくのきまりをかいてのこしたりして メソポタミアはさかえました。

現存する世界最古の外交文書


わたし友人ゆうじん、マリの時代じだいの エビ・イラフ 
かれはメソポタミアでもルーブル美術館でも超有名ちょうゆうめい、ご存知ぞんじでしょう。

でもかれのここ、

がついたかたいらっしゃるかしら。


メソポタミアにはまだまだおらせしたいことがたくさん、
モネもゴッホもいいけれど ルーブルのここもたまにはいかがでしょう。
ちしているわ。

今日の出演

時代じだいえて またわたしたちと。



Statuette de femme debout aux bras articulés
Albâtre, croissant de lune en bronze doré, yeux et nombril en rubis, bijoux en or (les fils d'or fixant les bras ont disparu) LA BABYLONIE AU 1 er MILLÉNAIRE AVANT J.-C.

両腕関節が動く女性立像
金メッキを施したブロンズの三日月、ルビーの目とへそ、金の宝飾品  バビロニア紀元前1000年
この彫像の目とへそはルビーがはめられ、これは現在知られている中で最も古いもので遠くビルマから運ばれたものである。漆喰の髪の上には三日月があり、古代バビロニアの神で、パルティア時代に絶大な人気を誇った月の神シンの娘である女神ナナヤとの関連を示唆。この置物は、女神を表現したものではなく、神の従者として、あるいは伸ばした左手で捧げ物を運ぶ故人の理想像として見るべきである。

musée du louvre 

Tablette à écriture précunéiforme
Epoque d'Uruk III, fin du IV° millénaire av. J.-C. Calcaire
前楔形文字のタブレット 3点 ウルク3世時代、紀元前4000年紀末 石灰岩

Tablette sumérienne archaïque :acte de vente d'un esclave mâle et d'une maison de la ville de Shuruppak Vers 2600 av. J.-C.
楔形文字 シュメール古代の石版:シュルパク市の男性奴隷と家の売買証書 紀元前2600年頃

Cône d'Uru-KA-gina relatant les réformes de ce prince contre les abus des « jours anciens» Argile cuite Tello, vers 2350 av. J.-C.
ウル=カ=ギナの錐(きり) 昔の 権力乱用に対しての改革について 焼成粘土 紀元前2350年頃、テッロ

Clou de fondation de « fraternité» d'Enmetena avec le roi d'Uruk Vers 2400 av. J.-C. Tello, ancienne Girsu
最古の外交文書 エンメテナ、ウルク王との "兄弟関係 "基礎釘 紀元前2400年頃 古代ギルス、テーロ
エンメテナがウルクの王子との和平条約締結に際し、バド=ティビラの神殿再建を記念して神に捧げた礎釘。この文書は、現存する最古の外交文書

女神らの背景画像
Stèle de victoire d'Eannatum, roi de Lagash dite "Stèle des Vautours" Calcaire Epoque des dynasties archaïques, vers 2450 av. J.-C.Tello, ancienne Girsu
ハゲタカの石碑として知られるラガシュの王、エアナトゥムの勝利の石碑。石灰岩 アルカイック王朝時代、紀元前2450年頃 テルロ、古代ギルス

メソポタミアにおける文字の誕生
メソポタミアで文字が誕生したのは紀元前3400年頃、正確にはメソポタミアの都市ウルクという現在のイラク南部に位置する都市で生まれた。シュメール人が財産管理を容易にするために発明したと考えられているが、すぐに他の分野、特に王室の碑文にも使われるようになった。最初の文字は穀物や家畜の取引を記録したもので、記憶補助の役割を果たした。
当時、文字は主に絵文字(物を表す)と表意文字(考えを表す)であった。シュメールの地として知られるこの地域では、文字を書く媒体は粘土が好まれ、その道具はカラマスという面取りされた葦だった。
紀元前3000年頃、記号に音という付加価値が加えられた。そのため、記号はそれが表すもの、またはそれが呼び起こす音のどちらでも読むことができるようになり、例えば固有名詞を書くのに非常に便利であることがわかった。
紀元前2500年頃、都市は特に活況を呈し行政に必要な文字の量が増加した。速度を上げるために記号は簡略化され、カラムシのくさびを使って粘土に書かれるようになり、ラテン語のcuneus(くさび)から楔形文字として知られるようになった釘のような特徴的な形になった。
この楔形文字は、紀元前3世紀から紀元前1世紀にかけて、古代近東の特定の民族によって採用され適応され、この地域全体に広まった。

musée du louvre 

お読みいただきありがとうございました。
人類にとっては大きな出来事を初心者お子様向けに実に簡単に取り上げましたが、歴史好きな方にとっては、メソポタミアの中でも特に重要なところであると思います。
歴史においてだけでなく古代の展示には驚くような芸術作品を見つけます。
今回は思いがけず女神像に出逢い、出演願うことになりました。(全然考えてもいなかったお話の展開となってしまいました) 赤いルビーがきらきらと、魅力的な女神の差し出された手はいとおしく思わず立ち止まりました。



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