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伊勢神宮という特別な空間で日常が特別と気づく

こんにちは。櫻子です。

先日、伊勢神宮へ行ってきました。

伊勢神宮って、正式には"神宮"。
唯一の、他にはないっていう意味で"神宮"と知って、あ、ここに行かなければと思ったのでした。

(ふと通りがかりに入った知らない神社に貼ってあった、伊勢神宮のポスターにやられたとも言える。ものすごくかっこよかった)

目的は「わたしはこういう仕事をします!」と天照大神に宣言することだったのだけど。

宣言するような志をことばにするほど煮詰められず、御祈祷はお願いしたけれど「事業繁栄」ではなく、「神恩感謝」に丸をつけました。

家族の都合、やっと取れたお宿によって日取りが決まり伊勢までやってはきたけれど、結局計画性のない自分は変わっておらず、ヴィジョンは曖昧なまま、仕事は本名でしてないけど、御祈祷は本名?と迷ったり、ご祈祷していただいている間やっぱり「これやります!」宣言をしたほうがいいのかなぁと気もそぞろになったり、「お腹すいた〜つまらな〜い」とぶつぶつ言ってる娘を膝に乗っけながら首を垂れたり、まぁ、ぐだぐだだったのですけれど。

やっぱり、行ってよかったです。

伊勢神宮の内宮に上がって、後頭部が涼しい感じ、耳が静かになる空気の中で。

肩肘はってんなー、身体中凝るわけだよ、こんな闘争逃走反応バリバリで扁桃体ピリピリ副腎疲労だって起こすよね、はぁ、なにやっちゃんてんの、と自らの状態に呆れたり、まぁ苦手なことをよく頑張ってるよと慈しんだり。

一生懸命、神宮という聖域で特別なことを感じられるわたしの才能的なものを探していたけれど、そんなものはないなぁと情けないような気分を味わったり、「普通か」と安心したり。

胸は気合いで張らなくても、肩甲骨を下げたらいいんじゃんか、と力みが取れて。

そうか、たった独りでずっと戦ってきた気がしていたけれど、いつもそばに"一なるもの"はいたんだなぁ、と気づきました。
そして、あ、そか、あとは行動するだけなんだな、と。

特別な環境で特別なことを感じられなかったから、いつでもそうなんだってわかるって、なんだかヘンテコなんですが。

かなりフィジカルなヨガのイントラをしています。
自分も含めて、周りにいるのは自分の身体の力を信じている人たち。
そういう人たちは、スピリチュアルを遠ざけがち。
かくいうわたしも17年前に入会する時「宗教と関係なさそうだから」を理由の一つに挙げました。

わたしはボディートークという潜在意識にアクセスするセラピーを学びました。量子力学、西洋医学、東洋医学、解剖学、生理学、カイロプラクティック、哲学、エネルギー、感情、記憶、前世らしきものまでフィックスしまくった、魔法のようなバランスをとるセラピーで、まぁ、スピっぽい。

動かせる身体を整えることに囚われて目に見えないものを怖がるわたしと、潜在意識にアクセスするわたしはどうにも相容れないところがあって、実はずっと困惑していました。

それがね。
ま、それがわたし。
そんなわたしの経験の場がこの地球に用意されて、天照大神か、宇宙さんかなんだかわからないけれど、見守ってもらってるんだなと思ったら。

(ボディートーク的には、右心室にスピリットはいるそうだ)

なんだか仕事をしていける気がしたのです。

仕事って、お互いがお互いに与え合っていただきあってエネルギーを高め巡らせていく営み。

というわけで、どうしていいかはっきりしていなくても神宮は受け入れてくれたよ。だから、五里霧中でもうどうにもならないような気がする人も行ってみたらいいんじゃないかな?神さまってでかいよ、というお話でした。


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