日曜の夜はぼんやりと。組織のカタチと労働法
こんばんはlotterです。
今回は少し見方を変えてみたいと思います。
労働法には従業員をどう組織していくかについて決める力はありません。そのような組織設計についてのルールについてはなにも書かれていないのです。
ピラミッドでもいいし、フラットでもいいし、マトリックスでもいいし・・・部や課だって無いなら無いで構いません。
ということは、社内の組織は純粋に経営に必要な考慮要素から設計し、作り上げていくことができるということです。
ただ、これはあくまで理念的な話で、本当に難しいのは
採用・育成・配置を行なって
実際に組織を作り上げていく
ことです。これは全て個別の労働者への対応ということになり、労働法もがっつり関与してきます。
ただ、それぞれの場面で関与の仕方が違います。
採用の場面では、コチラの記事でも紹介した「契約締結の自由」が働きます。来るものを選べるわけなので、ここでの問題は、自社の考える組織に合った人物を採用できるかどうかということになります。
次に、育成の場面です。この場面は労働法との衝突はあまりありません。むしろ、どうやって育成の時間と機会を捻出するか・どういう内容を・どうやって実施するかということが大きな問題といえます。
ここでは、育成にあてる時間が労働時間なのかどうかという問題や、育成という名の下に行き過ぎた指導が行われた場合の救済などが労働法的な論点としてでてきます。
最後、配置の場面はまさに労働法の主要論点のひとつです。
日本の企業では、正社員は配転に制限がないものとして取り扱われるのが一般的です。その場合、配転もまた正社員の職業人生や私生活に影響を及ぼすにも関わらず、それらの影響よりも企業の人事権が優先されがちになります。
これはとりもなおさず、いわゆる日本型雇用慣行において、職務の内容や勤務地の変更が重要な役割を果たしていることの裏返しです。そして、それが社会全体の一般論として、
別に日本型雇用慣行なんて目指してもないし
採ってもないんだけど
という企業においても適用されるということです。
配転については事例を挙げて解説している記事がありますので、よければのぞいてみてください(ガチガチの宣伝)。
このように考えると、組織は概念と実践の両方から成り立っていることが分かります。
概念的な組織は、実践として得られた個々の労働者の働きぶりや能力、性格などの様々な「個性」に影響を受け、実態としての組織をカタチ作ります。反対に、労働者の「個性」は概念としての組織、例えば経営理念や上司の性格などに影響を受け、プライベートの自分とは異なる思考や言動をするようになっていく。
こういった相互の関係によって絶えず組織と個人は影響を与え合い、変化していくものだと捉えるならば、そこでの労働法の役割は、
その変化が個人の権利を侵害しないようにすること、また、
侵害してしまった場合の救済方法を設けておくこと
だと言えるでしょう。そして、冒頭のように、組織を設計し司るのは企業なので、権利侵害を防ぐ義務を企業に負わせ、かつ、権利侵害が起こってしまった場合の責任も企業に負わせる、ということに帰着する。
という説明が一応は可能なのでしょうかねー・・・。
そうなると、次の問題は
・労働者の権利とはどの範囲で認められるどういう内容なのか
・使用者に課すことのできる義務はどういった内容なのか
ということです。いってしまえば、お互い、
どこまではやらなければならないことで、
どこからがワガママなのか
の線引きをどこで行うか、ということです。
その際のスタンスは、企業側に目線を置くか労働者側に目線を置くかで随分変わります。わたしは企業側に目線を置きたいし、置くべきだと思っています。それが結局は、労働者の権利を守ことにもつながると考えているからです。
それについてはまた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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では、また。