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海の図書館 【物語】

#曲からチャレンジ  『渚』♪スピッツ

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『海の図書館 はじめました』

 それは、毎年7月になると現れる。
 まるで冷やし中華でもはじめるかのようなテンションで。

 ぼくの住む海辺の街は、控えめに言ってど田舎。
 民宿や海の家が建ち並ぶ隣の市は海水浴客が来るのでそこそこ栄えているけど、市境を越えたとたん、こちらは手つかずの自然が広がっている。
 唯一畑の真ん中にあったコンビニは、昨年の冬、鮮やかに撤退した。コンビニのおでん美味かったなあ。
 娯楽はついえた…かのように思われたが、また夏が来た。

 いまは廃墟と化した白亜の別荘が岬にあり、その前は岩壁と岩壁に挟まれたプライベートビーチになっている。
 ぼくは小学生の頃から勝手にそのビーチで遊んでおり、その別荘の住人からも大目に見てもらっていた。

 しかし、小5の夏、まさにその場所で海難事故が起き、人が溺れて亡くなった。どの時刻も潮の流れは穏やかだったのに、たまたまあの日は台風が近づき、ぼくも家でおとなしく過ごしていた。
 しばらく立入禁止のテープが張られていたが、翌年、懲りずにぼくはあのビーチを訪れた。そこの住人はよほどショックだったのか、あの事故以来、別荘に訪れることはなかった。

 誰も入ってこないプライベートビーチは、事実上、ぼくだけのビーチになるはずだった。

 しかしビーチに下りると、あの『海の図書館 はじめました』の貼り紙が。立入禁止の立看板の上に貼ってあった。

 え、怪しい…。と思いながらも、ここはぼくのお気に入りの場所なのにという気持から、おそるおそる覗き込んだ。

 ビーチには、漂着した流木を器用に組み立て、白い布をあしらっただけの簡易的なテントが張られていた。蓙(ござ)の上に直接どーんと置かれたささやかな本棚には、本と雑誌。
 え?今日発売の『少年ジャ◯プ』もあるんですけど!

「こんにちは」

 心臓が止まるかと思った。人の気配なんてなかったのに、いつのまに背後に?
 振り返ると、真夏のビーチには不釣合な青白い肌の女性が立っていた。長めの髪、耳にはヘチマの花を挿し、白いブラウスにシワシワ水色のロングスカートを着ている。

「あのう…図書館って…」
「どうぞ、自由に好きなものを好きな場所でお読みになって。私が厳選した珠玉の蔵書たちです。」

 この異質な空間と不思議なおねえさんをちょっと警戒したけれど、娯楽に飢えていたぼくは、1秒悩んだのちぴょぴょーんと少年ジャ◯プに飛びついた。
 そんなぼくを見て、おねえさんは満足そうに頷いた。

 あるときは蓙に寝転がり、またあるときは岸の杭につながれた小舟の上で本を読んだ。
 たった三段の本棚蔵書だったけど、来る度に微妙にラインナップが変えられていて、それらはいつもぼくの知りたい読みたいことが書かれた本たちだった。


 おねえさんの名前はウミネコさん。海と猫が好きだから、自分で付けたんだと言う。本名は教えてくれなかった。

 それにしてもこのひとはどうやって生計を立てているのだろう?どれだけ本を読んでもお金を取らない。
「お金を取る図書館なんて、聞いたことないわ」だって。
 そもそも人気のないプライベートビーチで開く図書館に、来る人間はぼくしかおらず。ぼくも友だちを連れてきたりはしなかった。なぜか小学生の頃から、ここへはひとりで来るものだと思っていたのだ。

 
 ぼくが本を読んでいる間、ウミネコさんも本を読んだり、音楽を聴きながら、つかずはなれずの距離でぼくをそっとしておいてくれた。

 ぼくは本を読む姿勢をとりながら、時折ウミネコさんのことを盗み見た。
 彼女の耳元のヘチマの花は、どうやら後ろの別荘に放置されたプランターから摘んだものらしい。
 ブラウスの胸ポケットには、たまにネコジャラシの穂が挿してある。猫好きだということだけあって、「万一、ビーチに迷い込む猫ちゃんがいたら、これで遊ぶんだ」と言っていた。ぼくが「猫、来てくれるといいね」って言うと、ウミネコさんは小さな八重歯を覗かせて笑った。


 空が紫とピンクに支配される夕暮れを迎えると、ぼくはパタンと本を閉じ、ウミネコさんに本を返却する。閉館は、真っ暗になる前と決まっていた。

「それじゃ、また明日」
「ええ、また明日」 

 ウミネコさんの耳横に飾られた黄色い花も、夕暮れに染まってちょっと切なげに映る。

 一歩ビーチを出て、砂浜からアスファルトにビーサン底の感触が変わると、ぼくはいつも後ろを振り返る。
 日の入り、本日の役目を終えてキラキラと体を海に沈める太陽。その海上の光の道すじで、曲線美を極めた尾ひれが翻る。あの人は今日も海に帰ってゆく。 

 

 そんな夏が、5回繰り返された。
 そして今年もまた、『海の図書館 はじめました』の貼り紙が、プライベートビーチに貼り出された。
 ぼくは高校二年生。17才の大人ともガキともつかない中身と見た目になった。

「こんにちは」

 ウミネコさんは年を取らない。ずっと少女のままだ。やっとぼくは彼女と同じくらいに成長した。

「ウミネコさん、また来たよ」
「ずいぶん背が伸びたのね」
「ウミネコさんは小さくなったね」
「そうかしら?」

 照りつける太陽とは対照的な青白い彼女の頬に、小さなえくぼが浮かぶ。 
 白いテントに腰を屈めて入り、三段の本棚を覗くと…。あれ?

「ジャ◯プも本もないよ」

 そこには、古ぼけた大学ノートが数冊、支えをなくして横たわっていた。

「だって、あなたの興味がそこにしか向かっていないのだもの」

 悲しげな微笑がとてもよく似合う。なぜそんな顔をするの?
 今日は帰って出直したほうがいいのかなと一瞬思ったけど、目に映るノートの引力に抗えず、ぼくは本棚に手を伸ばした。

 ノートの表紙には年月日が記されている。一番旧いものは、10年前の夏まで遡った。短い文章が日付ごとに分けられているところをみると、どうもこれは誰かの日記らしかった。

7月21日
やっと夏休みになった。今日から約1ヶ月半は学校へ行かなくてすむ。夏の間は、海の見えるお家で過ごせる。両親は、私が外で遊んで元気になれば…と考えているのだろう。

 ノートの上から目だけ覗かせて、ぼくはウミネコさんの姿を探した。彼女はテントの外でデッキチェアに横たわり、ヘッドホンで音楽を聴いているようだ。
 悪いことをしている気分はぬぐえないが、ぼくはものすごい勢いで見知らぬ人の日記を読み進めた。

学年が上がるにつれ、彼らの私への攻撃はエスカレートするばかり。親友だと思っていた子も離れていった。でも、学校へは行かなくちゃ。両親が心配しないように。夏休みがあってよかった。そして、夏休みが終わるのが怖い。
またあの子が泳ぎに来ている。いつもひとり。あの子も友達いないのかな?

今日もあの子は海で泳いでいる。ひとりなのに、目一杯はしゃいでいる。
私はまだ外に出る勇気がない。自分と同い年くらいの人に遭遇するのが恐ろしいし、楽しげな人たちを見るのも辛いから。
でも、ここにはひとりの時間がたくさんある。本も山ほどある。それが私を安心させる。

高校に上がっても状況は変わらない。みんなは私をターゲットにすることで自分の安全を約束されているらしい。本当は転校したかったけど、ここ二年で成績は著しく落ち込み、他校を受験できる学力もなかった。
今年もあの子はこの海にやって来た。あんなに泳ぐことに没頭して、ひとりなのにひとりじゃないみたい。

 じっとりとこめかみに汗が流れる。日記に登場する“あの子”とは、ぼくのことなのだろう。じゃあ、この日記は誰の目線で書かれたんだ?答えはひとつ。海の図書館の後ろに聳える白亜の建物の住人としか考えられない。

子猫がうちに迷い込んできた。必死で家族にお願いし、飼ってもいいことに!名前は“海ちゃん”にしよう。
少し背の高くなったあの子がビーチに今年も現れた。私、猫と今日から一緒に暮らすんだよ!って教えたい。けど、あの子は私を知らない。

 そこからしばらくは、飼いはじめた猫の海ちゃんとの生活が綴られていた。一変した日記。同じ人のものとは思えないくらい幸福感の溢れる文章が続いて、ぼくもうれしくなる。
 ビーチに寝そべるウミネコさんの指が、聴いている音楽のリズムを刻んでいる。

台風が近づいている。雨はまだ降っていないけど、風は強まり、いつも穏やかな目の前の海も濁って、波が高くなってきた。“海ちゃん”はしきりに顔を前足で洗っては、窓から海の様子を見つめている。
あの子もさすがに今日は来てないみたい。よかった…

 そうだ。あの日ぼくは海へ行かないよう母から見張りをつけられていたのだ。横浜から叔父が新しいゲーム機とソフトを持ってきてくれて、ふたりでずっとゲームをしていた。ど田舎の小学生には刺激的な一日だった。そして翌日、もっとショッキングなニュースが…。

 ちょうど日記は次のノートへと移る。文字は群青色に銀の縁取が見える不思議なインクで書き始められていた。

“海ちゃん”が脱走してしまった。母が買い出しから帰ってドアを開けたほんのちょっとの隙をついて、外へ飛び出してしまったのだ。
慌てて私もビーチへ出たが、遅かった。“海ちゃん”の小さな足跡は波打ち際で途絶えていた。私は泣きながら彼女の名を叫んだ。

すると、微かに風の音に混じって“海ちゃん”の鳴き声が耳に届いた。私は名前を呼び続け、目を凝らし波間を見た。そして、“海ちゃん”の小さな白い頭が見え隠れするのを見つけると、一目散に海へと走った。
スカートが脚にまとわりつき、さらに水の中では思うように進めない。そうこうしているうちに、“海ちゃん”は波に翻弄され声も出ない。私は夢中で飛び込み、手が彼女の体に触れると同時に、背後の砂浜めがけて思い切りよく放った。

 ノートを掴む手のひらの皺から汗が滲む。どうしても気になって外を見ると、デッキチェアにウミネコさんの姿はなかった。
 紫とピンクの空がテントの外に広がっている。そろそろ時間だ。でも、まだ読みたい。読まなきゃ。


 引き裂かれるようなジレンマに襲われていたその時だった。テントの背後から人の気配と砂を踏む足音が聴こえてきた。
 ぼくはノートを手にしたままテントから飛び出し、
「ウミネコさん?!」と呼びかけた。
 しかし、そこに立っていたのは、白い猫を抱いたご婦人と、花束を持つ初老の紳士のふたりだった。

 時が止まったかのようにぼくらは固まり、長い沈黙が流れた。

「キミはひょっとして…毎年うちの前の海に泳ぎに来ていた少年ではありませんか?」

 コクンと慎重に頷くと、第一声を放った紳士の表情が少し和らいだ。彼の言葉から、白亜の別荘の人たちだと瞬時に理解した。
 ご婦人は涙を浮かべてお辞儀をした。腕の中の白猫は、ぼくを通り越してじいっと海のほうを見つめている。

「今日は娘の命日なんです。よろしければ、キミも一緒に手を合わせてくれないだろうか?きっと娘も喜ぶはずです…」

 ぼくは首を傾げた。すると、紳士の言葉を継ぐようにご婦人が話してくれた。

「娘はいつもあの窓から、あなたが泳ぐのを眺めていたそうです。」
 建物を振り返ると、たしかに二階にはビーチを見下ろせる出窓があった。

「外へ出るのを極端に嫌がっていた娘が、ひとりで楽しそうに泳ぐあなたを見て心のバランスを保っていたのだと思います。夕飯時には、自分が泳いでいたかのようにあなたの様子を話していたんですよ」

 そう聴いて、ぼくは困惑した。
 友達がいないわけではなかったが、ひとりでいるのが楽だったぼく。昔からそうだ。それを見ている存在にも気づかず、呑気にはしゃいでいた自分を思い出し、無性に恥ずかしくなった。


 暮れてゆく海に向かい、紳士は花束を捧げた。ぼくは波にもまれ沈んでゆく花を見ながら、ぎこちなく手を合わせた。

 アオーン ナオーン アオーン ナオーン…

 白い猫が悲しげな声で鳴く。猫は身をよじってご婦人の腕から抜け出すと、タタッと波打ち際に駆けて行った。刹那、「海ちゃん!」と婦人が慌てて猫をつかまえに走った。
 波に少し浸かった海ちゃんの足を、やさしい白い指が水の中からそっと押し戻すのをぼくは見た。




“海ちゃん”が波の届かない所へ降り立ったのを見届け、私も砂浜に向かい泳ごうとした。しかし、つぎの大波に足を掴まれ、私の体は海の底へと引きずり込まれて行った。

目覚めると、光の筋が地面に突き当たる場所に、私は横たわっていた。揺れる景色、小さな泡、逆立つ自分の髪に驚き辺りを見回すと、カラフルな魚の群れが、私の横を通りすぎてゆく。脚にはスカートがまとわりつき…いや、違う!昔おとぎ話で見た絵本に自分は飛び込んでしまったのかと混乱した。

慣れると尾ひれは実に優雅に水を掻いた。
自由だ。心までもが自由。
しかし、こちら側にまだ来るべきではない人がいる。

この海はとても穏やかだけど、ある地点を境に流れが早くなり、とても危険だということがわかった。
あの子は泳ぎも上手くなって、年々沖の方へ、もっと遠くへ泳ごうとしている。
あの子を守らなくては。どうしたらいい?私にできることは何?

この世のものではないなんて言えるのかしら?
私は自由だもの。想像したことは実物となってちゃんと存在する。大丈夫。できるわ!

我ながらユニークだなって胸を張る。そう、本来の私はこういう性格だった。学校で辛い目に遭う前は、いつも楽しいことを見つけて好きなことを躊躇わず好きと言えた。

あの子はどんな反応をするかしら?楽しいなって思ってくれるかしら?海で泳ぐことも忘れるくらいに。

 

 海からの風が、剥がれかけた貼り紙の端を踊らせている。よかった、まだテントはそのままだ。
 彼女はいるよね?きっと、ヘチマの花をクルクル指でもてあそびながら、ぼくが来るのを待っている。

 ウミネコさん、あなたに抱く途方もない切なさが一体何なのか、今日はそれが知りたいんだ。

 強い風が吹き、ついに紙は真夏の空へと吸い込まれていった。

『海の図書館 はじめました』



~end~


最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀
この記事は、ピリカさん企画の『曲からチャレンジ』に参加しています。

スピッツの『渚』という楽曲からイメージして書きました。『渚』の動画が貼れず申し訳ありません!

🌼雨野よわさんの素敵なイラストを、みんなのフォトギャラリーより見出し画像に使わせていただきました。

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