少年院で生まれた詩【読書感想】
今回ご紹介する本は『空が青いから白をえらんだのですー奈良少年刑務所詩集ー』(新潮社 編:寮 美千子)
(1)この詩をどう読めばいいのだろう
私の好きな漫画「チ。地球の運動について」(小学館 魚豊)のなかに、「迷いの中に倫理がある」というセリフがある。
これは、『空が青いから白をえらんだのですー奈良少年刑務所詩集ー』を読んだとき、私が抱いた感情に近い気がする。
この本は、何らかの犯罪を犯して奈良少年刑務所に収容されている受刑者たちに、この本の作者が情操教育の一環として詩の授業を行い、その授業の中で生まれた受刑者達の詩を集めた詩集である。
この本を読んで私の胸に去来した最初の感情は、「困惑」であった。
受刑者たちの書いた詩を、どのように私の心の中に留めたらいいのか。今でも処理しきれずにいる。
(2)「彼ら」と「私たち」の違い
もし仮にこの受刑者たちが犯した犯罪の被害者が私の身内であったなら、私は復讐心に憑りつかれ、同じ苦しみを犯人に与えるために地の果てまで追いかけることにいささかも躊躇しないだろう。
しかし、そのような罪を犯した者が、こんなにも優しい詩を書くという事実に、この人間という生き物の輻輳性に、私はただ困惑した。
特に受刑者たちが書いた母親に対する詩は、「私」と「彼ら」の間にある(と思っていた)境界線を消し去ってしまった。
一つ一つの詩が、私の築き上げてきた価値観の根底を激しく揺さぶるのだが、そこに紡がれている言葉の一つ一つは、怒りや悲しみなどの激情に彩られたものではなく、あまりにも素朴な母親への感謝の言葉の数々であった。そして控えめながらも、切実な愛の欲求の言葉であった。
なんの修辞表現も伴わない無防備な言葉だからこそ、醸し出される人間の根源的な愛への欲求がそこには描かれている。そして彼らはそれが極端に満たされてこなかったと言うことも、彼らの言葉を通して即座に理解される。
だからこそ彼らの詩は私にとって非常に「都合が悪い」。
この感情は、愛に恵まれてこなかった者たちに対する「同情」とも違う。不都合なものに対して否定しきることができないような、ばつの悪さが私の心を支配している。
私がたまたま愛情に恵まれていただけであって、それ以外「彼ら」と「私」は元々あまり変わりがなかったのではないか。
(3)人間の多面性
人の世の複雑性をある程度は理解しながらも、私は「悪者はやはり悪者で、自らの犯した罪に相当する罰を受け、もだえ苦しみ後悔し続ければいい」という考えを、人生の原則の一部として採用して生きてきた。
ただその「悪者」の中に、私と同じ「何か」があった。そしてそれは、私を人として最も肯定してくれる要素と同じ性質のものであった。それを彼らの詩は、ハッキリと私に見せつけてきた。
犯罪者とは何なんだろう。
犯罪者を犯罪者たらしめるものは何だろう。
私はなぜ彼らの詩の中に「私自身」と同じ何かを見出せるのだろう。
「私」と「彼ら」を分けるものは何だろう。
そこにいるのはただ人間だけなのか。
では人間とはなんだろう。
(4)最後に
彼らが何を書こうが、被害者のかたの許しがない限り罪は贖われないだろう。繰り返しになるが、私の身内が被害者なら犯人を絶対に許せないだろう。しかしその事実とは別に、上記のような様々な疑問が沸いてくる。そんな本だった。
また、事故に遭遇したときや、仕事で大きなミスをしかけたとき、私も容易に加害者にも被害者にもなりうると感じさせられる。
絶対に第三者として語ってはいけない事であると肝に銘じると、自戒を込めて最後にのべておく。
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