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絵で表現しようとしているものは

絵は今まで“テキスト”ではなく“画像”であげてきたが、今回は、結局自分が絵で表現したいものが何なのかという現状をここに記しておきたいと思う。

確かに子どもの頃から絵を描くのは好きだった。ただ、絵画的なものというより、イラスト的なものだったわけだが。絵画的なものに関しては、小学生の時に消防車の絵が入賞したりもしたとはいえ、ほぼ観る専と言っていい。(そっちは、きょうだいのほうがうまい。あれはなかなかの逸材だったのに親は一体何をしていたのだ!自分はおそらく字を書くほうが得意だった。)ちなみに、筆者が絵に描くのは、たいていが空想である。

では現在までイラスト的なものを四六時中描いてきたかと言えば、実はそんなこともない。よそに意識が向いている時期も度々経て、今に至っている。それも、この時世の影響がなかったら、再び絵を描く気になっていたかどうか。人様の絵を拝見するのはずっと好きだったから、自分で描くよりも他の人の絵を観るほうが好きな気さえする。

それでも、やはり絵は弾みがつけばつい描いてしまうというような存在だ。やれば楽しいのだが、正直、面倒になったり気乗りしない時もあるので…。ストレス解消になっているかも、まあその時による。会心の一撃がそう出ないからだろう。描いてる間は集中してるんですけどね。どちらかといえば、カラオケで歌ったりするほうが純粋に楽しい気分かもしれない。

なのに、なぜ描く?
別に仕事でもないので、やらなくてもいいことである。
自由なはずなのだが、変な話、自分にとっては心中快いばかりでもなく。
誰かに文句を言われるわけでもないのに、思ったように描けた気がしないと胸騒ぎがしてきて、もう知らん!みたいな^^;(そしてしばらくいなくなるという笑)
ならば……でも何か表現したいものがある、ということになる…のだろうか。
じゃあ、表現したいものって……何???

こういうことを言葉で表すのは難しい。
ただ、自分なりに思い至っていることがある。
筆者の場合、それはおそらく、その絵の中の空間に流れる“空気”だ。


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死神


人を描くのが好きで、だんだん表情や心情を描写するのにこだわるようになった。一方で、衣装をデザインするのが楽しいというところもあった。ある時期に、自分の中でそのあたりの整合性がつかなくなっていった気がする。そのうち、服飾的な部分に関しては、デザインをする仕事ではないものの、衣料を扱う店で働く機会があり、商品をディスプレイすることで、その間は絵に描く方向へは意識が向かなくなった(意外と好評を得てたようです)。

そんなことを経て、またなんとなく絵でも描くかとなった時、筆者の中で自然に焦点となっていたのが“空間の気”である。何かよくわからないというか目では見えないけれどそこに漂っている雰囲気みたいなものを、目で見えるかたちで表現してみたいという。それまでと変容したのか延長線上なのか?わからないが、いつの間にかそうなっていた。

筆者の脳内には現実世界とは別の、異空間のスペースがあり、そこで感じているものも関係しているかもしれない。
ゲームやファンタジーの世界と違って、たまに何もなかったりするのだが、それだと不可思議な空気の対流はわかりやすかったりして、まあ変幻自在。一生遊べる場所だとしたら、自分としてはそれなりにおもしろい。

人は現実社会に適応しすぎると、そっち方面にはアンテナが反応しにくくなるとは思う。当秘境管理者である限り、何食わぬ顔で社会生活を送りつつ、異空に片足突っ込み続けるのが望ましいだろうが、それがデフォルトな気もする今日この頃である。

無理くり説明しようとするとこうなる、という感じの話ですみませんな^^;

妙なもん見たけどなんか元気になったわ…というスポットを目指しています