摂食時代_大学1年_

摂食障害寛解までの道②(拒食~過食、入院・退院まで)

(上記画像は過食嘔吐が始まっちゃった頃の私。初音ミクの足を目指していたけど、3次元の人間が目指すもんじゃないですね)

この記事では、私が摂食障害の症状を強く抱えていた時から今までの気持ちの変遷、症状の変遷を書いていきます。読んでほしいのは、主に今摂食障害に苦しんでいる人、その家族や友人や恋人。後半になったら、摂食障害に限らず、何らかの“生きづらさ”を感じている人も、もしかしたら少しは参考に慣れるかもしれません。 あまり楽しい話ではないですが、少しでも”自分だけじゃない”、“自分も抜け出せる”そんな前向きな気持ちを持つ一助になれたらうれしいです。
摂食障害寛解までの道①はこちらから:LINK

拒食から過食へ

食べないことが正解だと思い込み、食べなくなってからしばらく経つと、体の不調が目立つようになりました。
頭が痛い、体に力が入らない、関節がギシギシして痛む、心臓が時々すごく痛くなる、眠れない…etc. 
でも不思議なことに、そんな不調の中でもサークル活動やバイトを詰め込むことが、「頑張っている」「進んでいる」感じがして安心できました。
とにかく、活動を止めること、何も変わらないことが嫌で、がむしゃらに予定を詰め込んで、ああもう無理だ立てない、ってなったタイミングで倒れこんで寝る。
意識がなくなるように寝るまで、体力を搾り取って何かをしていることが、私にとって正しい日常なんだと思っていました。

そんな生活をしていたら、体だけでなく、当たり前ですが心にも不調は出てきます。
情緒不安定ですぐに泣いてしまうし、ずっとイライラしているし、そんな自分が嫌で更にイライラが募るし、不安と焦燥感でいっぱいな頭は常に冴えた感じで、夜になっても全く眠れなくなりました。

誉められた話ではないですが、この頃私の母は睡眠薬を常用していて、私もその恩恵にあやかっていました。
つまり医者にかからず、母親が服用している睡眠導入剤をもらっては無理やり眠るようにしていました(今ならわかる、これは絶対だめ。)

睡眠薬も耐性が付き効かなくなると、アルコールにも頼るようになります。とにかく寒くて、眠りたくて、アルコールと睡眠薬を同時摂取するようになると、私は夜中に起きだす癖が付いてしまいました。

夜中に起きてしまって、ほとんど意識が朦朧とした中、体が求めたのはお菓子でした。
恐らく脳が飢餓状態になって、不足していた糖質をすぐに補えるものを「食べろ~」と指令を出していたのだろうと今なら思えます。
でもその当時は、食べたくないと心は思っているのに、物凄い衝動、欲求に駆られることが怖かった。
泣きながら、朦朧とした意識の中でお菓子を頬張るようになりました。

これが過食の始まり。
次第に量が増えていき、お中元でもらった30個くらいパウンドケーキが入った箱を丸々一箱、深夜に物凄い速さで平らげてしまうようになっていきます。

家族への告白

過食をするようになってしばらく経ち、ある日異常な量のお菓子が消えていることに気づいた母親が、「あなたが食べたの?」と聞いてきました。
薄々自分がいわゆる“摂食障害”であると気付き始めていた私は、ここで言わないともう言えない、今がチャンスだ、そう思って家族に打ち明けました。
医者の兄と母親を収集し、「最近なんか私おかしいんだよね」と語りだした日のことは今でも忘れません。どう思われるか、物凄く怖かった。

医者の兄は「それヤバいよ。摂食障害だよ。すぐに病院に行ってきちんと病気として治療を受けるべきだよ」と教えてくれました。
食べたくても食べられない人を毎日見ていて、食事をとても大切にしている兄からしたら理解しがたいだろうに、冷静に医者としての見解を述べてくれた兄の顔も、くっきり思い出せます。

母は、「それは異常よ、気をつけなさい。夜中に一人で食べるのはやめなさい、最近せっかく痩せて綺麗になったんだから。またデブるわよ」と言っていたと記憶しています。
この時勝手に、「やっぱりこの人は私が痩せているほうがいいと思っているんだ」「私が大量のお菓子を食べるなんて気味が悪いと思っているんだ」つまり、「理解してくれないんだ」と思いました。
今ならわかります。普通の人からしたら、普通じゃないから、すぐには理解できないんです。当然です。

でもこの当時は、「もう人には言えない」と思い込んでしまいました。

過食嘔吐の始まり

普段食べ物を受け入れていない胃に突然大量のお菓子が舞い込むと、当然胃はびっくりします。胃が痙攣して、めっちゃ気持ち悪くなります。
で、どうするかと言ったら、耐えられなくなって吐き出しちゃいます。

初めてちょっとだけ吐いてしまった日。
ああ、出せばいいんだ、ってすとんと考えが落ちました。これが過食嘔吐の始まり。

そこからはもう止められず、深夜に起きだして、詰め込んで、吐いて、これが毎日のように続くようになりました。

次第に、夜中過食したときだけだったのが日中にも侵食してきて、ほんのちょっと、おにぎり一つでも、チョコ一個でも、体の中に残っていることが怖くなってしまいました。

授業中も、サークルの活動中も、バイト中も、ずっと「食べたい」「食べたくない」「食べたなら吐きたい」ばかり考えるようになっていきました。

でも誰にも言えない。だから、明るく振舞おうとしていました。
…が、今思えば明らかに情緒不安定だし、異常なほど他人の評価にビクビクしていて、接しづらい女だっただろうなあ、と思います。(笑)

治したい、という気持ち。入院を決意するまで。

過食嘔吐が常態化してしまってから、どんどん体の不調は激しくなっていきました。とにかくずっと寒い。頭が痛い。心臓や胃やら、どこかはよくわからんけど、とにかく内臓が色々痛い。

加えて、外にいるときの自分と、一人でいるときの自分とのギャップがすごく激しく乖離していって、どんどん心も健康ではなくなっていきました。

そんな時、ある日母親に過食嘔吐がばれてしまいました。

その時のことはあまりよく覚えていないのですが、母親がすごく感情的になっていたことを覚えています。異常、気持ち悪い、みっともない、吐くくらいなら食うな、などを言われた気がします。ここはあまり覚えていないので、もしかしたらその当時のマイナス思考で被害妄想が広がっているかもしれませんが…

それでも本気で心配してくれた両親は、私に休学して入院するように言ってくれました。
でも、摂食障害患者であると世間的にレッテルを張られてしまうことも、お休みして人生に空白を作ることも怖かった私は、絶対に嫌だと拒否し続けました。

入院しないためにも自力で治さなくちゃいけない、と本気で焦り始めたものの、まともに食べられない以上、脳の飢餓状態を抑えることはできません。
過食衝動も止まらず、だんだん「どうせ吐いてしまうなら、バレないようにやらなきゃ」と考えるようになってしまいました。

バレないように吐くために、変な試行錯誤を続けました。ネットで同じ病気の人のブログを見て、“コツ”を学んで、場所を変えたり、方法を変えたり。
我ながら、くだらない調べものに多くの時間をかけてしまったなと思います。

でもそんな生活を続けているうちに、とうとう叔母にもバレてしまいました。
バレた、引かれる、怒られる、そう思って必死に謝ったのを覚えています。
でもそんな私に対して、昔同じように過食嘔吐を経験したことがあったらしい叔母は、泣きながら抱きしめてくれました。

嘔吐した後で震えが止まらない私に対して、叱りもせず、ただ一緒に泣いてくれた叔母の涙を見て、心から本気で治したい、治さなくちゃいけないと強く思いました。

そこで、入院を決断しました。この時の体重は32キロくらい。身長が低いので命の危険がすぐそこ、という状態ではなかったかもしれませんが、病院で測定した新陳代謝は常人の3分の1程度まで落ちていました。

次の記事ではこんなことを書くよ!

次の記事では、入院から退院後、大学院進学、就活までを書こうと思います。
案の定本記事では暗い感じになってしまったけど、そして多分次も暗くなってしまうかもしれないけど(笑)
それでも、この記事で触れた、両親の厳しい言葉と心配と、叔母の涙と、気にせず接してくれた友人と、そして今私の周りにいる優しい人たち、みんなの気持ちで少しずつ前向きになれました。
この一連の記事の最後の最後に、その前向きになったきっかけをまとめたいと思います。
自分が思うよりも、家族や友人や恋人はあたたかい気持ちで、同じくらい苦しんで、頑張って一緒にいることを選択してくれているんですよね、きっとね。

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