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他者と分かり合うこと、プライベートと仕事のちがい。

最近流行の、「他者と働く」を読んだ。

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング) https://www.amazon.co.jp/dp/4910063013/ref=cm_sw_r_cp_api_i_oG8uEbEFTXBRP

まあまだ読み途中ではあるんですが…
こういうビジネス書、大体にして言ってることは非常に真っ当で、読んでいてハッとすることも多々ありつつ
一方で、非常に「当たり前のこと」だったりする、と思う。

当たり前というのは、出来て当然だよね、という種類の当たり前、ではなくて
皆自然とやってるよね、の当たり前だ。そしてそれは、職場でなくプライベートで実践している人が多いのでは?と思う。

例えばこの本で言うなれば、対話のお話。
この本で定義される対話とは、お互いのナラティブ(世界の見え方。無意識の偏見を含む自分の解釈)とそのナラティブの違いを自覚し、
相手のナラティブに立って世界を見直すことで、相手が恐れていること/相手がして欲しいことを疑似体験し、理解し、
対立しないよう歩み寄り、関係を再構築すること、を指している。

でもそれって、恋愛では普通にやってることだよね。

だって好きな人ができたら、その人のナラティブ(誰が大切で、誰が好きで、誰が嫌いで、何が怖くて、何が嬉しいのか…)を必死で知ろうとするし
その人のナラティブなや立って自分も世界を見たいと思う。その人のナラティブと自分のナラティブを掛け合わせて、素敵な化学反応が起きたらとっても嬉しい。(これはロマンチストすぎるかな)

もし喧嘩したら、(愛情と関係継続の覚悟度合いによるけど)もっともっと相手を知ろうとするし、あの手この手で、自分と相手の溝を埋めようとするよね?

なんで、仕事だ、そう思った瞬間人は普段できてたことができなくなるんだろうなあ。なんて、素朴に思う。

心理的安全性の違い、役割の定義の違い、チームとしての目的に対する当事者意識の違い、
いろんな背景要因があるけれど、まとめたらきっと、プライベートと同じ心の割き方をして傷つきたくないって気持ちがあるんだろうなあ、と思う。

傷つきたくないよね。サステナブルに働きたいし、プライベートでもたくさん傷つくし。
でも本当は、仕事でもその人らしい生き方で、傷付かずにいられる安心な空間にできたらいいのかな。

プライベートも仕事もひとつながり、
好きなことを仕事に。
そう思うのはミレニアル世代あるある、なんて言われちゃうけど…
やっぱり、仕事場でも、素のまま安心してたいし、
仕事場でも、熱意持って仕事したいよなあ。

なんて、全然関係ないことまで思い浮かぶ空白が残っているのが、本のいいところだよねえ。
YouTubeではこうはいかないな…と思った休日でした。

また明日から人事のお仕事。色々トラブルが起こっていて正直とっっっても仕事始めが憂鬱だけど、頑張ろう。

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