【他伝:オウムさん③】死ぬための勇気
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どうも、LOLerです!
読みはローラーを想定しています。一応。
私は家で作業することが苦手なため、この記事を書く際にはいつも、カフェを利用しています。
今回は、人生で初、PRONTOを利用させていただきました。
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今回は、オウムさんが不登校時代に感じた苦難と、育まれた愛の物語を。
死ぬための勇気
中学1年生も終わる2月の頃、所属していた女子テニス部でのいじめを苦に、学校へ行けなくなってしまったオウムさん。
母親は、登校を拒否するオウムさんを、なんとか学校へ連れて行こうと、部屋から引きずり出すこともあったそうです。
当時の担任の先生も、オウムさんの家を訪問し、学校へ来ることを勧めたそう。
しかし、心の健康が崩れているオウムさんにとって、中学校は恐怖の対象。
決して、「行きたい!」と思えるような場所ではありませんでした。
また、同時期にオウムさんは精神科病院での診察を受けていました。
診断の結果は、パニック障害。
当時の診断結果はオウムさんにとって、ショックなものでした。
それからは、毎日の薬の服用を余儀なくされました。
自分に降りかかる様々な出来事に、「死んでしまいたい」と思ったこともあったそうです。
睡眠薬を使ったオーバードーズ(薬の過剰摂取)で自殺を試みたことも。
「勇気がなくて、死ぬことはできなかったんだけどね」
笑いながら当時を語る彼女。
死を選択することに、勇気を出さなければならなかった彼女を、抱きしめてあげたかった。
「出逢ってくれて、ありがとう。私に会うまで、生きていてくれてありがとう」
私には月並みの語彙力しかないため、こんな言葉でしか伝えることができません。
“死ぬ勇気があるならば、なんでもできる”
こんな言葉が、ドラマや映画の中でしばしば使われることがあります。
でも私は、死を選択するときに奮い立たせる“勇気”が、生きるための“勇気”と同じであるとは思えません。
何かを捨てるための覚悟と、何かを創造するための覚悟のように、同じようで全く別物。
だからこそ、どちらの勇気をも奮い立たせてくれた、私の友人を心から尊敬したいと思います。
体育担当の先生
オウムさんの心の疲弊が徐々に進むころ、体育を担当する中学校の先生と母親が面談をすることになりました。
体育を担当する先生は、生徒の学校生活に関する悩みや相談を受ける役職も兼任していたそうです。
「私は教員ですが、無理に学校に連れていこうとしないでください。
今は、家でやりたいことをして、心を休める時です。
お母様も少し休んだ方がいいと思います。」
母親自身も、オウムさんの弱っていく姿を目の当たりにし、精神を衰弱させていたそうです。
また、先生は“フリースクール”へ通うことを提案してくれました。
※実際にオウムさんが通っていたのは、“フリースクール”と同じような支援をしている別の団体です。正確には“フリースクール”とイコールではありません。
フリースクールとは、
各々の理由により、学校へ行きたくない、行くことができない子供たちのための、支援機関です。
個人やNPO法人により運営され、仕様も様々です。
例えば、通学タイプのものや、先生が自宅を訪問するタイプのもの。
オウムさんの勧められた支援機関は、通学するタイプのもので、その機関への登校が、中学校の出席日数にもカウントされるというものでした。
※出席日数のカウントに関しては、フリースクールと地域の学校の連携が、うまく取れているのかによって変わるそうです
※以降、オウムさんの通っていた支援機関をフリースクールと記載します
学校への登校は拒否していたオウムさんですが、「引きこもりにはなりたくない」という意識があったそうで、このフリースクールへ通うことを決めます。
実際に通い始めて気がついたことは、自分よりも壮絶ないじめを経験している人がいるということでした。
「私ね、性格悪いんだけど、自分より不幸な人が居ると、自分はまだ、大丈夫なんだと思えるんだよね」
オウムさんは、少し目線を逸らしながら、罰の悪そうな笑顔で、語ってくれました。
フリースクールへの通学を始めたオウムさんですが、可愛いらしい学校の制服は、クローゼットの一番奥にかかったまま。
「昼間にね、スーパーとか、コンビニに行こうと思うじゃん。
あの時感じる視線が、嫌だったな。」
本来、学校で授業を受けているはずの時間帯、
中学生くらいの女の子が1人で、スーパーにいても、
私は気がつかないかも知れません。
でも、当人にとっては、そんな日常の一幕が、
「普通ではないこと」
を、感じる要因になってしまうのです。
放課後の訪問者
学校へ足を向けられないままのオウムさん、実は、そんなオウムさんを幾度となく訪ねていた人物がいました。
同じクラスの男子生徒。オウムさんが、当時、想いを寄せていた人物でした。
彼は、担任の先生から、オウムさんと家が近いからという理由で、週に1回程度、学校での配布物の配達を依頼されたそうです。
彼が来るようになって始めの頃、オウムさんは
人に会うための心の準備
ができていませんでした。
まして、自分が着ることのできなくなった制服を、普通のように着ていて、
自分が行けなくなった学校にも、普通に通っている彼に会うことは、
当時のオウムさんにとっては、とても勇気が必要なことだったと思います。
しかし彼は、配布物がない日にも、
「今日はお菓子の日」
なんて言って、オウムさんを訪ね続けました。
「その子、オウムさんのこと好きだったんじゃない?」
「んー、わかんないけどね」
クスッと笑うオウムさんの表情に、乙女心が垣間見えました。
何度も何度も、訪れる彼に、罪悪感と驚き、それに勝る喜びを感じたオウムさんは、ついに自分自身で、玄関の扉を開くことを決意しました。
「あの頃さ、外にも出ないから、髪もボサボサで、私可愛くなかっただろうなあ」
そんなことを言いながら語るオウムさん。
ちょっとだけ、耳のふちが赤くなっていました。笑
その後は、彼が来るたびに会話を重ねたり、暇だからと始めたお菓子づくりの完成品たちをふるまったりと、彼との距離を少しずつ縮めていきました。
そして、オウムさんの想いは募り、溢れ、彼に伝えることとなります。
オウムさんの想いを知った彼は、
「好きとか付き合うとかは、今は分からない。
だけど、俺が一緒にいて、お前が前向きになれるなら、一緒にいたい」
※中学生でこの発言できるの天才すぎる
※この話、映画化できませんか。素敵すぎ。
この時、オウムさんの胸には、喜びのほかに、もうひとつの思いが湧き上がります。
“彼と一緒に、卒業したい”
この思いは強く、約1年間のフリースクールへの通学に終止符打つことになります。
※愛の力って偉大ですね!
中学3年生では、学校側の配慮で、オウムさんは、彼と、オウムさんの幼馴染(女の子)と、同じクラスになることができました。
新学期初日、クローゼットの奥にはもう、制服はかかっていません。
まずは、保健室に登校したオウムさん。
なんとか教室の前まで、たどり着きます。
やはり、教室へ入る勇気は、そう簡単に持てるものではありません。
あと一歩の勇気が出ず、どうしようかと悩むオウムさんの元に、彼が現れ、
「行くぞ」
と、一言。
絶叫するオウムさんの、背中を押して、教室への扉をくぐりました。
はじめこそ、「なんで学校に来なかったの?」なんて質問をしていたクラスメイトたちも、しばらくすれば、良くも悪くもオウムさんのことを、空気として扱ってくれたと言います。
また、同じクラスになれた、オウムさんの幼馴染である女の子。実は、幼馴染には、いじめのことも、学校へ行けないことも話していなかったそうです。
※当時は中学生で携帯を持っている人は、あまり多くありませんでした。
幼馴染から愛のある叱責を受けながら、はじまった新学期。
その年、オウムさんは皆勤賞だったそうです。
そして、念願の卒業式。
もちろん、彼と共に卒業を果たしたオウムさんは、
誰も知らない高校へ行きたいという思いから、引っ越しをします。
その後、彼とは遠距離のため自然消滅だったとのこと。
※映画だったら、結婚している流れですが、これはノンフィクションなので。
※ちなみに今年の1月、成人式で彼と再会。イケメンだったとのこと。
次回予告
今回も、とてつもない長さになってしまいました。
申し訳ありません。
大学の課題のレポートも、こんなふうにかけたらな……。
さて、次回の記事では、オウムさんが鎧を脱ぐきっかけになった、数々の出会いについて執筆していきます!
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
では、また!
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