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修行とは

みなさまゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか?

ゴールデンウィークにたまたび(魂旅)の報告記事を書こうと思っておりましたが、先にたまひろから書いてもらうことになりました。

予告記事がアップされていましたよ〜

食事をすること、
これもまた、修行である。

乳がん末期、症状が悪化して、食べ物が飲み込めないことが多くなりました。その中で深まりを見せる人生という旅路。

食事を通して命と向き合う。

たま旅、山形編始まります。

たま旅中、食事を通して命と向き合うたまひろから私も色々学ばせてもらいました。

報告記事、ぜひお楽しみに。

私は来週から16日の皆既月食(蠍座満月)へ向けて忙しくなるソウルワークに備え、いつもより多めに瞑想して整えております。

溜め込んできた膿が出るタイミングだったり、

目覚めのための大きな変化変容が促されるタイミングですね。

私自身自分を整えるとともに、部屋の模様替えをしてスッキリしました。フィールドが変わるとまだ断捨離するものが出てくるんだな〜と感心しながら、また一段とシンプルになりました。

たまひろの

食事をすること、
これもまた、修行である。

にリンクして、

今私はある本を読みなおしています。

『エブリデイ禅』

(シャーロット・浄光・ベック 著)

私は基本同じ本を2回以上読むことはかなり稀なのですが、この本は今回で3回目。毎回自分の理解が深まっていってるのを感じます。

たくさんの気づきを促す良書ですが、

修行の繋がりで少しだけシェア。

修行とは、宇宙の成り立ちを頭で理解することではありません。熱心に修行すれば、そのような事柄についての知識をいくらか持つようになるかもしれませんが、それは修行ではありません。

修行とは、何らかの恍惚の状態を達成することではありません。何らかのヴィジョンや光を見ることでもありません。これらは起こり得るし、長い間、座っているとそういったものを見るかもしれませんが、それも修行ではありません。

修行とは、特別な力を持てるようになることでもなければ、何年も座って、定力(心を乱さない力)と呼ばれる個人的能力を開発することでもありません。定力は坐禅の自然な副産物ですが、それを追求することは、悟りへの道ではありません。

また、善い面に光をあてることでもありませんし、いわゆる「悪」と呼ばれているものを取り除くことでもありません。善くなろうともがくことは、修行のあり方ではないのです。

では修行とは何なのでしょうか?

それは本にわかりやすく書かれています。

一文だけ抜粋しますと、

禅とは、人生を積極的に生きることであり、

人生に進んで参加していくこと。

と書かれています。

これはたまひろが書いていた

食事をすること、
これもまた、修行である。

も含んでいます。

おもしろい例え話が書かれてあったのですが、

私たちはテーブルから立ち上がるとき、座っていた椅子を元に戻さないことがよくありますね。

私たちは「椅子は重要ではない。私は禅堂に行って、真理の話を聞かなければならない」と感じているのです。しかし、真理はその椅子なのです。

私たちは今いる場所に存在して生きることをせず、どこか他に真理を探しているのです。

他にも感情や自分との向き合い方や、たくさんの地に足ついた真理が書かれています。

とてもおすすめですが、それでもすべてを鵜呑みにせず、『今』自分が自分らしく生きるために「なるほど!」と思うところの視点を取り入れてください。

私は古き良き、そして変わらない真実を、

これからの新時代に柔軟に活かしていくという視点で読みなおしています。

本には我を捨てることについても書かれていますが、これからは個を活かす時代。

我に飲まれずに我を活かすにも、

やっぱりここに書かれてある修行的視点は、

真に自分らしさを発揮するための土台としてとても大切だな〜と改めて思いながら読み進めています。

じっくり読んでいるのでゴールデンウィーク中に読み終わらないかもしれませんね〜

でも今ここでシェアしたことに意味があると感じています。

明日はたまひろが何度か行ったことのある鏑射寺に連れて行ってもらいます。

これはたま旅山形からの流れで私がお願いしました。この流れはまた報告記事に書きますね。

奇跡を期待することは、この本からは反対のところにあったりするのですが、

新時代のテーマは、それぞれが個を活かす時代がきたからこその多様性と柔軟性。

色んな矛盾を超えたり、含んだりしていきながら真理の探求もしていきたいと思っています。

そしてあえての!

明日は絶対何かが起こる。

またセッションに循環させていただきます🙏









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