菊池寛

追悼:M税理士!

最高の死に方

今年も確定申告の季節となり、例年のように、税務書類を催促する電話が、M税理士事務所から掛かってきた。今年は、M税理士本人ではなく、夫人からである。私は開口一番「このたびはご愁傷さまです」と述べた。M氏が急逝したことは、寒中見舞いの葉書で知った。

昨年の夏、M氏は、いつも通り翌日の仕事を机の上に準備し終わると、突然倒れたそうだ。あっという間に呼吸と心臓が停止して、救急車を呼ぶ間さえなかったという。いわゆる「心不全」である。夫人によれば、警察まで死因の調査に入ったというから、正真正銘の「突然死」だったわけである。

M氏の自社ビルは、事務所と自宅が別の階にあって、夫人も税理士の娘さんも事務員も一緒に働いている。家族がどんなに仲が良いのか、傍目に見ていてもよくわかった。夫人は電話で声を詰まらせて、「やっと最近、話せるようになったんですよ」と、夫の亡くなった様子を話してくれた。

それにしても、救急車に乗ることがなく、病院に行かず、入院することもなく、病状を告知されたり、痛く辛い思いをすることもなく、日常生活を送りながら一瞬で急死するとは! 周囲は唖然とするしかないが、本人にとっては「最高の死に方」なのではないだろうか!

M氏の風貌

M氏は背が低く小太りで、風貌は作家の菊池寛に似ている。煙草が大好きなのも、そっくりだった。話し込んだり、領収証の計算に夢中になると、煙草の灰が机やズボンの上にポタポタと落ちる。家族や事務員はそれを見ているのだが、もう諦めているのか、誰も何も言わない。不思議な光景だった。

最初に相談に行ったとき、私はアメリカから帰国して、アメリカの州立大学が設立した日本校に専任講師として勤務していた。日本の大学でも非常勤講師を務め、商社でコンサルタントをしたり、著作の印税も入り始めていた。そのため、一般の大学教員よりは、ずっと複雑な税務処理が必要だった。

その前年、必要経費や控除の方法を何も知らないままに自分で確定申告を行ったところ、当時の私としては莫大な所得税を支払う羽目に陥った。そこで税理士に相談することにしたのである。紹介してくれた知人によると、M氏のモットーは「明鏡止水」である。法律の範囲内であれば、可能な限り顧客の立場を考えてくれる人物だということだった。

初めて事務所に相談に行った日、話が終わると「それじゃあ、一杯飲みに行きましょうか」と誘ってくれた。彼は、私の経歴や著作の話をフンフンと聞きながら、時々チラッと値踏みするような眼で私を見た。今思えば、私が嘘をついたり不正を行わないか、信頼に値する人間なのかどうか、確認していたのかもしれない。

M氏の忠告

近年は、書類だけのやり取りだったが、考えてみれば、彼ほど私のプライバシーを知っている人間はいない。というのは、M氏は30年以上にわたって私に関連して出入りするあらゆる「金銭」の動きを知っているからである。

結婚し、長男と長女が生まれて扶養家族が増えた。マンションや車やセカンドハウスをローンで購入した。本務校や非常勤校の給与や賞与はもちろん、何を連載して、どんな本を出して、それらが何部売れて印税が幾らなのか、研究費や交際費の諸経費も含めて、彼はすべてを把握しているのである。

私が「外国為替証拠金取引(FX)」に手を出して、そこそこ儲けた年があった。ところが、その翌年には、損失を出した。その翌々年には、それを上回る損失を出した。その次の年には、もっと大きな損失を計上した。

3年連続の損失を見かねたのか、普段は何も言わないM氏が、珍しく処理済みの税務書類に「FX取引はお止めください。税理士として忠告します」と、手書きのメモを挟み込んでいた。

ところが、ちょうどその頃、3年の研究を経て、為替変動の斬新な数学的予測方法を発見した(これは今でも、かなり有効な方法だと思っている)私は、M氏の忠告を聞くつもりなどなかった。実際に、その年のFXでは私の作った売買システムが大成功して、過去3年間の損失を一挙に取り戻すことができた。この年度の確定申告では、M氏は何も言わなかった。

そこで非常に強気になった私は、レバレッジの高いポンド円と利率の高いトルコリラ円の両建てで勝負に出た。当初は莫大な利益が出て、六本木ヒルズに引越そうかと思ったくらいだが、年末が近づくにつれて両通貨は裏目に動き、結果的に3年分の合計損失の2倍以上の特大損失を出してしまった。つまり、やはりM氏の忠告を聞いておけばよかったというわけである(笑)。

M氏の顧客には、経営者や社長クラスの高額納税者が多く、そもそもM氏自身が高額納税者である。だから、私の確定申告など暇つぶしのようなものだろうと思っていたが、今回の電話で夫人から「主人は毎年、先生からの書類を楽しみにしていたんですよ」と言われて、驚いた。

おそらくM氏は、私の確定申告の書類を開き、一年間の「金銭」の流れを追いながら、私の一年間の行動を頭の中で再現して、一緒に笑ったり泣いたりしてくれていたのだろう。そう考えてみると、税理士の仕事は、単なる「税金」計算の処理を遥かに超えて、むしろ「文学的」な作業ともいえる。彼が菊池寛に似ていたのも、当然のことなのかもしれない。

#エッセイ  #コラム #人生哲学 #死に方 #心不全 #追悼 #あなたに出会えてよかった #税理士 #確定申告 #FX

Thank you very much for your understanding and cooperation !!!