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著者が語る:『反オカルト論』<「六曜」の迷信>!

『反オカルト論』は、「非論理・反科学・無責任」な妄信を「欺瞞=オカルト」とみなす一方で、その対極に位置する「論理的・科学的・倫理的」な人類の築き上げてきた成果を「学問=反オカルト」とみなすという「広義」のスタンスに拠っている。

21世紀の現代においてさえ、「オカルト」は生き続けている。社会には「血液型占い」や「六曜」や「十干十二支」のような迷信が溢れ、「占星術」や「祈祷治療」や「霊感商法」のような妄信が跋扈している。さらに、「生まれ変わり」を煽る<医師>、「研究不正」を行う<科学者>、「江戸しぐさ」を広める<教育者>が存在する。その背景には、金儲けや権威主義が絡んでいるケースも多い。

本書では、「騙されない・妄信しない・不正を行わない・自己欺瞞に陥らない・嘘をつかない・因習に拘らない・運に任せない・迷信に縛られない」ために、自分自身の力で考え、状況を客観的に分析し、物事を道徳的に判断する方法を、わかりやすく対話形式で提示したつもりである。

その「第7章:なぜ運に任せるのか」の「占いと六曜」には、次のような問題が登場する(pp. 247-253)。

助手 大分県佐伯市が、市制十周年を記念して、二〇一六年元日から二五年大晦日までの十年分の日記を記入できる『佐伯市10年ダイアリー』を作製したそうです。A5判四百ページの冊子五万冊で、経費は二千五百万円。
 二〇一五年末に佐伯市の全世帯に配布する予定だったのに、「六曜」が掲載されていたため、取り止めになったそうです(『西日本新聞』二〇一五年十二月二十六日付)。これが全部廃棄処分になったら、あまりに勿体なくて……。
教授 暦に「大安」や「仏滅」などを規定する「六曜」に対して、行政は「科学的根拠に基づかない迷信や因習で、偏見や差別など人権問題につながる恐れがある」と指摘する立場だからね。
 その自治体当局が、公的刊行物に「六曜」を掲載すれば、騒動になるに決まっているのに、関係者は、印刷製本が終わるまで気が付かなかったのかな……。
助手 二〇〇五年、滋賀県大津市職員互助会が発行し、全職員に配布した『大津市職員手帳』にも「六曜」が掲載されていたため、約三千八百冊が回収されたそうです。
 大津市は、一九九〇年以降、職員手帳への「六曜」記載を止めていたにもかかわらず、当時の新市長の意向で復活させたということですから、こちらは意図的だったようです。
教授 そもそも「六曜」は、中国の「陰陽道」の「暦占い」が室町時代に伝わったものだが、一般の暦に記載されるようになったのは江戸時代でね。
 旧暦の一月一日は「先勝」、二月一日は「友引」、三月一日は「先負」のように予め順番が決まっていて、「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の順にローテーションを繰り返し、月末でリセットされる。
 その動きがイレギュラーで「神秘的」な印象を与えるが、旧暦月の初日以外は、機械的に「六曜」を順に当てはめているにすぎない。
助手 その「六曜」が、どうして人権問題と関係してくるんですか?
教授 徳川幕府は、厳格な「士農工商」の身分制度を制定し、その枠に収まらない火葬や動物の解体などは、被差別部落民の仕事とされた。そして、祝事は「大安」、弔事は「仏滅」に行うという因習が一般庶民の間に広まった。もし仕事を「大安」や「仏滅」で分ければ、そこに差別意識が生じる可能性もあるだろう。
助手 「六曜」は、現代社会にも根強く残っていますよね。結婚式場は「大安」の日から埋まっていくみたいだし、父の葬儀のときには、「友引」などとんでもないと騒いだ親戚がいたため、「仏滅」の日にしました。
教授 カレンダーに「大安」や「仏滅」などが記載されていると、つい気にしてしまうのが人情かもしれない。だから、そのような迷信を掲載することを止めようと行政指導しているわけだよ。
 しかも、この種の「暦占い」は、「六曜」に限らないからね。たとえば二〇一六年一月一日を考えてみると、「旧暦」は「十一月二十二日」、「六曜」は「友引」、「十干十二支」は「壬午」、「九星」は「一白水星」などと、いろいろな「運勢」が勝手に決められている。
 しかし、これらも一定の規則に従ったローテーションの結果で、科学的根拠はまったくない。
助手 朝のテレビでは「星占い」や「血液型占い」が放映されています。ネットにも数えきれないほどの課金占いがありますよ。
教授 「六曜」も「占い」の一種だからね。この種の迷信を無批判・無自覚に拡散するメディアやネットの責任は、非常に重大だ。
 これは以前、立命館大学名誉教授の安斎育郎氏から聞いた笑い話だがね……。
 日本が真珠湾を攻撃した一九四一年十二月八日は「大安」。だから、日本の勝利は最初から約束されていると信じた人がいたそうだ。
助手 でも「大安」の日は、アメリカにとっても「大安」じゃないですか?
教授 あははは、引っ掛かったね! 日本が奇襲した八日未明、ハワイは日付変更線の向こうだから、アメリカ時間では七日。そして、この日は「仏滅」だったというわけだよ。
助手 すごいコジツケ!
教授 「大本営発表」に浮かれた当時の日本では、そんな非合理なコジツケさえ謳われたということだ。
 短期決戦でアメリカに打撃を与えたかった日本軍は、続いて一九四二年六月五日、ミッドウェー島を攻撃した。当時の総司令部が「六曜」を気にかけて作戦日程を選んだのかどうかは知らないが、日本時間の五日は、勝負事に先んじれば勝つという「先勝」、アメリカ時間の四日は、厄日とされる「赤口」だった。
 ところが、現実のミッドウェー海戦では日本軍が大敗し、そこから日本の悲劇が始まった。
助手 どんな日だって、勝つ人がいれば、負ける人もいるでしょうし、幸運な人がいれば、不運な人もいます。ですから、「日」に「吉凶」があるという考え方自体、矛盾しているとしか思えないんですが……。
教授 まさに、その「矛盾」に翻弄される人々を嘆いたのが、親鸞だった。彼は最晩年に『愚禿悲歎述懐和讃』十六首を遺しているが、その八番目に次の和讃がある。
 「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」
助手 どういう意味?
教授 「なんと悲しいことなのか、僧侶も世俗の人々も、良い時刻や吉日を選ぶことに固執し、天や地の神を崇めて、占いや祈り事ばかりを行っているとは……」
助手 親鸞といえば、浄土真宗の宗祖ですよね。「六曜」の中に「仏滅」があるから、仏教用語とばかり思っていたんですが……。
教授 とんでもない! すでに話したように、「六曜」は、中国の「陰陽道」の「暦占い」が伝わったもので、古代から戦争や賭事を占うために使われた俗信。仏教はもちろん、日本古来の神道ともまったく無関係だよ。
 そもそも、室町時代に伝播した「六曜」は、「大安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡」だったが、それが江戸時代に「泰安・流連・則吉・赤口・周吉・虚亡」になった。その後、引き分けを意味する「流連」が「友引」に、半吉を意味する「則吉・周吉」が「先勝・先負」に変わった。すべてについて凶とされる「空亡」と「虚亡」は、何も得られない「物滅」に変化し、それが明治時代初期の暦で「仏滅」と書き換えられたらしい。
助手 言葉からして、そんなデタラメに変化していたんですか!
教授 まさにデタラメだよ。しかも、室町時代から現代に至るまで、多くの人々は、実際には「六曜」の「吉凶」など信じていないだろう。
 だが、「仏滅」に結婚式を挙げたり、「友引」に葬式を行えば、古くからの慣習に反したと不安にかられたり、世間に余計な波風を立てるかもしれない。こうして人々は、自ら因習を引きずり、迷信に縛られていく。その有様を、親鸞は「かなしきかなや」と嘆いたんじゃないかな。
助手 カレンダーに「六曜」を掲載すべきでないという理由が、よくわかりました。
教授 というか、すでに明治政府が厳しく禁止した経緯もあるんだがね。
 明治五(一八七二)年十一月、明治政府は「今般太陽暦御頒布に付、来明治6年限り略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候」という太政官布告を発布している。
助手 暦に一切の「占い」を掲載することを、全面的に禁じていたわけですね。
教授 それが「表現の自由」のおかげで、逆に野放しになってしまった。いかに「表現の自由」といっても、オカルトやデマを野放しにしていいというわけではないんだが。

読者は、「六曜」についてどのようにお考えだろうか? これほどまでに根拠のないデタラメが、なぜ今もカレンダーや手帳に記載されているのだろうか? それでも結婚式は「大安」で葬式は「仏滅」に実施すべきなのか?

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