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祝!ノーベル物理学賞・真鍋淑郎氏――フォン・ノイマンの孫弟子

2021年10月5日、プリンストン大学上級研究員・真鍋淑郎氏が、ノーベル物理学賞を受賞された。心よりお祝い申し上げたい!

受賞の理由は、「気候の物理的モデリング、気候変動の定量化、地球温暖化の確実な予測」に関する偉業の数々であり、ドイツのマックスプランク気象学研究所教授・クラウス・ハッセルマンとイタリアのサピエンツァ大学教授・ジョルジョ・パリージとの共同受賞である。

そもそも「気候」のような複雑系を長期的に予測することは非常に困難であり、今回の3氏は、気象分野としては初めてのノーベル賞受賞者となった。ともすればシミュレーションに過ぎないなどと軽んじられることもある「気象学」の研究に、ノーベル「物理学」賞が授与された意義は大きい。

真鍋さんは受賞が決まったあとのインタビューで「東京大学の地球物理教室にいた当時、天気予報を発展させて気候モデルを作っており、はじめは好奇心でやっていたが、アメリカに呼ばれて、コンピューターも使い放題で、全地球的な気候モデルの開発を始めました。1960年代のアメリカは冷戦を背景とした競争の中にあって非常に科学研究に力を入れていて、電子計算機の導入も盛んで、アメリカに呼ばれたのも幸運だったうえ、計算機が急速な進歩を遂げたというのも幸運で、いろいろな幸運が重なって今に来ている」と話しています。

フォン・ノイマンとジョセフ・スマゴリンスキー

さて、「天気予報の父」といえば、ジョン・フォン・ノイマンである。この点については『フォン・ノイマンの哲学』で次のように説明した。

一九五一年九月、ノイマンは「アメリカ数学会」の会長に選出された。渡米後の彼は、コンピュータ開発とゲーム理論に加えて、エルゴード理論に関する重要な成果を挙げている。

たとえば、閉じた空間において、気体分子の運動はどのように記述されるだろうか。一般に、力学的運動の長時間平均が数学的な位相平均に等しいとき、つまり長時間平均が一定の確率的な平均に収束することを「エルゴード性」と呼ぶ。

もし「エルゴード性」を計算できれば、閉じた空間の気体分子の運動から、地球全体の大気の予測にまで応用できる。ノイマンは、エルゴード理論に関連する統計力学と流体力学の研究を含めて、この分野だけで三六編の論文を発表している。

当時は、飛行機による高層大気観測が始まり、気象観測網が整備され始めた時期である。ノイマンは、一九四八年、シカゴ大学の気象学者ジュール・チャーニーを高等研究所に招聘して、「大気モデル」の共同研究を始めた。

そこで二人は、気象力学の基礎方程式を「MANIAC」にプログラムして、観測値を入力し、気象予測を行う方法を生み出した。これが現在の「天気予報」の基本方式である。つまりノイマンは、「天気予報の父」でもあったわけである。

1953年、プリンストン高等研究所のノイマンのグループに加入したのが、ニューヨーク大学大学院博士課程を修了したばかりの29歳のジョセフ・スマゴリンスキー(Joseph Smagorinsky)である。彼は、大学時代にニューヨーク大学・ブラウン大学・マサチューセッツ工科大学を転々としながら、最先端の数学・物理学・気象学を学んだ逸材である。

ノイマンは、1955年、大統領科学顧問の最高峰である「原子力委員」に就任し、アメリカ合衆国気象局に「大気循環研究セクション」を設立するように働きかけた。そして、彼の能力を高く評価していたノイマンは、弱冠31歳のスマゴリンスキーを大気循環研究セクションのディレクターに就任させたのである。

スマゴリンスキーは、ノイマンとチャーニーが開発した「気候モデリング」をコンピュータ・プログラムに組み込む最終段階の研究を進めた。その過程で、1958年、彼が日本から招聘したのが、東京大学大学院博士課程を修了したばかりの27歳の真鍋淑郎だった。

したがって、昔ながらの師弟関係で見ると、真鍋は「スマゴリンスキーの弟子」であり、それはすなわち「ノイマンの孫弟子」であることを意味する!

アメリカの懐の深さ

ここで注意してほしいのは、ノイマンがハンガリーからの移民(1937年合衆国市民権取得)、スマゴリンスキーの両親がベラルーシからの移民、真鍋が日本からの移民(1975年合衆国市民権取得)だということである。

私もアメリカの大学と大学院で7年以上を過ごしたのでイメージが浮かぶのだが、専門分野(とくに自然科学)では、あくまで研究内容が最優先され、国籍や年齢など些細な個人差は、まったく気にならない。

渡米当時の若い真鍋氏が開発されたばかりの貴重なコンピュータを使えたように、優れた研究には莫大な予算が配分され、研究者は最先端技術を自由自在に駆使できる。世界から優秀な研究者が集まって自発的に「合衆国市民権」を取得したくなるような研究環境を生み出しているアメリカは、実に「懐が深い」と思わざるを得ない。

真鍋氏は、アメリカに移住した理由を次のように述べている。

ノーベル賞受賞を受け、プリンストン大学で行われた記者会見では、なぜ国籍を変更したのかという質問が上がった。

「おもしろい質問ですね」と答えた真鍋さんは、国籍を変更した理由について、「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。調和を重んじる関係性を築くから」と述べ、以下のように語った。

日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません

「だから、日本人に質問をした時、『はい』または『いいえ』という答えが返ってきますよね。しかし、日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではないのです。実は『いいえ』を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。とにかく、他人の気に障るようなことをしたくないのです」

その上で、真鍋さんは、「アメリカではやりたいことをできる」と語る。

アメリカでは、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです

真鍋さんによると、研究のために使いたいコンピューターはすべて提供されたという。米国の充実した研究環境や、資金の潤沢さを伺わせた。

最後には、「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と語り、会場の笑いを誘った。

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