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思考力を鍛える新書【第30回】ヒトゲノムを編集してよいのか?

連載第29回で紹介した『インフレーション宇宙論』に続けて読んでいただきたいのが、『ゲノム編集の光と闇――人類の未来に何をもたらすか』である。本書をご覧になれば、「生命の設計図」である「ゲノム」を操作する技術がどこまで進んでいるのか、その技術がどのようなメリットとデメリットを人類にもたらすか、なぜ生命倫理の問題を考えなければならないのか、明らかになってくるだろう。

著者の青野由利氏は、1957年生まれ。東京大学薬学部卒業後、同大学大学院総合文化研究科修士課程修了。毎日新聞社科学環境部を経て、現在は毎日新聞社論説室専門編集委員。専門は生命科学・科学ジャーナリズム。『生命科学の冒険』(ちくまプリマー新書)や『インフルエンザは征圧できるのか』(新潮社)など著書も多い。

さて、2010年のノーベル生理学・医学賞は、「体外受精技術の確立」という業績により、ケンブリッジ大学名誉教授の医学者ロバート・エドワーズに授与された。彼は、1978年7月25日、世界最初の「試験管ベビー」を誕生させたことで知られる。その後、彼の技術によって誕生した体外受精児は、世界で700万人から800万人といわれる。

「体外受精」とは、男性が精子、女性が卵子を提供し、医師が顕微鏡上で受精させた後に、女性の子宮内に直接注入することを意味する。この方法は、通常の性交で精子が卵子に侵入できない受精障害がある場合や、卵管が受精卵を子宮に運べない場合などに対する「不妊治療」に用いられるのが普通である。しかし、この技術が誕生したため、生命倫理上、かつては想定されなかったような問題が生じた。

想定外の一例を挙げよう。1988年、イタリアで、離婚経験のある48歳の女性が再婚した。彼女は、新たな夫との間に切実に子供が欲しかったが、子宮の障害によって出産は不可能だった。そこで彼女は、前の夫との間に生まれた当時20歳の実娘に、代理出産を頼んだのである。つまり、彼女は、自分の卵子と新しい夫の精子を体外受精させ、この受精卵を自分の実娘に移植して、代理出産させたわけである。この実娘は、遺伝上は「自分の異父兄弟(姉妹)」を出産したことになる!

その後イタリアでは、夫が凍結保存していた亡き妻の卵子と自分の精子を体外受精させ、この受精卵を自分の実妹に移植して、代理出産させた事例も明らかになった。この実妹は、遺伝上は「自分の(亡き兄嫁の)甥(姪)」を出産したことになる!

これらの事例は、カトリック教徒の多いイタリアで「神を冒涜する行為」とみなされ、強く批判された。イタリアの司法当局は、どちらかというと生殖医療への法的関与に消極的だったが、2004年、「非配偶者間の卵子提供」と「代理出産」を全面的に禁止した。現在のヨーロッパ諸国でも、これらの技術は禁止されたままである。

日本では、2006年、子宮ガンのため子宮を全摘出した30歳代前半の娘のために、50歳代後半の実母が代理母となったケースが話題になった。実母はすでに閉経し、自然分娩できない状態だったので、多量の女性ホルモンを投与しなければならず、高度な危険性も覚悟の上だったというが、無事に2400グラムの「孫」を出産した(これらの「代理出産」や「ベビービジネス」に関する賛否両論については、拙著『哲学ディベート』(NHKブックス)をご参照いただければ幸いである)。

「神の領域」に近づく第1段階が「体外受精」であれば、第2段階は「受精卵」の操作といえるだろう。かつての「遺伝子組み換え操作」は、植物や家畜では応用されてきたが、複雑なヒトゲノムを編集するほどの精度がなかった。ところが、2012年に「クリスパー・キャス9」と呼ばれる精度が高く安価で、しかも効率のよいゲノム編集ツールが登場し、状況は変わった。2018年11月には、中国の研究者が、ついにヒトゲノムを編集した受精卵から双子を誕生させたというのである!

ゲノム編集ベビー出産の目的が「遺伝性疾患の予防」に留まり続ける保証もない。好みの目の色や肌の色を持った、背が高くて、運動能力の高い、生活習慣病にもかかりにくい子どもがほしい――。人々のそんな欲望をこの技術がさらにかき立てるとしたら。そして、目的が何であれ、いったんゲノム編集した子どもが生まれてくれば、しまったと思っても、元に戻すことはできないのだ。(p. 168)

「ゲノム編集」がどのように機能するのかを理解し、どこまでゲノム編集を応用してよいのかを考えるためにも、『ゲノム編集の光と闇』は必読である!

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