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第1章 論理的思考

1.論理的思考

 今回の内容は以下の3つです。
1.論理的思考の定義
2.非論理的思考の定義
3.論理的思考の意義

論理的思考の定義

 まず、論理的思考の定義について。
 論理的思考の定義は、言葉と言葉の意味上の関係を考えることです。

 以下の文章は、論理的な文章といえます。

前提①:ソクラテスは人間である。
前提②:すべての人間は死ぬ。
それゆえに、
結論③:ソクラテスは死ぬ。

 では、なぜ、この文章が論理的な文章といえるのでしょうか?
 それは、①と②の前提を認めたら、③の結論が必ず導き出されるからです。要するに、言葉と言葉に意味上の関係があるからです。(参考図書:野矢茂樹『新版 論理トレーニング』)

 このことをもう少し詳しく解説してみましょう。

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 「①すべての人間は死ぬ」「②ソクラテスは人間である」という2つの前提を認めた場合、「③ソクラテスは死ぬ」という結論は必ず導き出されます。なぜなら、①すべての人間は死ぬのであれば、②人間であるソクラテスは、当然③死ぬからです。
 ただし、注意点が一点あります。今回は前提が誤りである場合は考えないということです。例えば、「①すべての人間は死ぬ」という前提は、将来、不死の薬が出来た場合、ある人間は生き残る(=すべての人間は死ぬ訳ではない)ので、誤りとなります。また、「②ソクラテスは人間である」という前提は、将来、人類の歴史がさらに解明されて、実はソクラテスが宇宙人である(=ソクラテスは人間ではない)ことが証明されたら、誤りとなります。しかし、今回、それらの前提が誤りである場合は考えません。なぜなら、今回はあくまで2つの前提①と②が正しいと認めた場合、「③ソクラテスは死ぬ」という帰結が導き出されることを論じているからです。すなわち、今回の論証に前提が誤っているか否かは関係がないからです。 

 では、なぜ、先ほどのソクラテスの論証は論理的な文章といえるのでしょうか?
 それは、2つの前提「①すべての人間は死ぬ」と「②ソクラテスは人間である」という文が、結論「③ソクラテスは死ぬ」という文と、「それゆえ」という結論を示す接続語によって、それらの文相互の意味が適切に関係付けられているからです。要するに、この文章が論理的な文章といえる理由は、文と文、すなわち、言葉と言葉の意味上の関係があるからです。

 しかし、これだけの説明ではいまいちピンと来ない方もおられると思います。そこで、非論理的思考を定義することで、論理的思考の定義をより明確にしてみます。

非論理的思考の定義

 次に、非論理的思考の定義について。
 非論理的思考の定義は、言葉と言葉の関連性しか考えないことです。

 以下の文章は、非論理的な文章といえます。

前提①:ソクラテスは人間である。
前提②:すべての人間は死ぬ。
それゆえに、
結論③:ソクラテスは空を飛ぶ。

 では、なぜ、この文章が非論理的な文章といえるのでしょうか?
 それは、①と②の前提を認めても、③の結論が必ずしも導き出される訳ではないからです。要するに、言葉と言葉に意味上の関連性しかないからです。(連想ゲーム『マジカルバナナ』と一緒)

 このことをもう少し詳しく解説しましょう。

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 「①すべての人間は死ぬ」「②ソクラテスは人間である」という2つの前提を認めても、「③ソクラテスは空を飛ぶ」は決して導かれません。なぜなら、①すべての人間は死ぬのであれば、②人間であるソクラテスは、死ぬことはあっても、③空を飛ぶかどうか分からないからです。
 このことを連想ゲームの『マジカルバナナ』に喩えましょう。マジカルバナナとは、前の話者が述べた単語と関連した単語を次の話者が述べていくゲームです。例えば、「バナナといったら黄色、黄色といったらピカチュウ、ピカチュウといったらポケモン」というように、前の話者が述べた単語と関連した単語をどんどん述べていきます。しかし、それらに何らかの意味のつながりはありません。そして、以上の連想ゲームは、先ほど挙げたソクラテスの論証と同じです。なぜなら、「①すべての人間は死ぬ」「②ソクラテスは人間である」という2つの前提は「人間」という単語で関連しているだけであり、「②ソクラテスは人間である」という前提と「③ソクラテスは空を飛ぶ」という結論は「ソクラテス」という単語で関連しているだけで、それらの前提と結論には意味上の関係がないからです。

 では、なぜ、先ほどのソクラテスの文章は非論理的な文章といえるのでしょうか?
 それは、2つの前提「①すべての人間は死ぬ」と「②ソクラテスは人間である」という文が、結論「③ソクラテスは空を飛ぶ」という文と、「それゆえ」という結論を示す接続語によって、それらの文相互の意味が適切に関係付けられていないからです。むしろ、2つの前提「①すべての人間は死ぬ」と「②ソクラテスは人間である」という文は、結論「③ソクラテスは空を飛ぶ」という文と単なる関連性でしかつながっていないからです。要するに、この文章が非論理的な文章といえる理由は、文と文、すなわち、言葉と言葉の関連性しかないからです。

 以上の論理的思考の定義と非論理的思考の定義についてまとめました。

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論理的思考の意義

 最後に、論理的思考の意義について。
 論理的思考の意義とは、自分とは異なる意見を持った他者を想定したときに、自分や他人の意見を飛躍なく説明、理解するために考えることです。

 では、なぜ論理的思考の意義が自分とは異なる意見を持った他者を想定したときに、自分や他人の意見を飛躍なく説明、理解するために考えることになるのでしょうか?
 それは、すべての人間は自分とは別個の身体や考えを持っているので、自分とは異なる意見を持つ人間に対して自分と同じ意見を理解出来るように物事を飛躍なく説明する必要があるからです。(出口汪『論理力短期集中講座』フォレスト出版)

 しかし、これだけの説明ではいまいちピンと来ない方もおられると思います。そこで、論理的思考の意義を道案内に喩えることで、論理的思考の意義をより明確にしてみます。

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 まず、道案内開始です。あなたは警官です。ある日、あなたの住む街についてあまり詳しくないお婆ちゃんに最寄りの駅を案内することになりました。
 次に、街の全体像の把握です。あなたは現在地から最寄り駅までの道のりを思い出します。
 さらに、目印となる信号の提示です。あなたは現在地から真っ直ぐ進み、何本目の信号を右折するか、左折するかを伝えます。今回は現在地から真っ直ぐ進んで、3本目の信号を右折することとしましょう。
 そして、目印となる建物の提示です。あなたは目的地の付近に薬局など目印となる建物があることを伝えます。なぜなら、そのお婆ちゃんが3本目の信号を右折したと思っていたら、実は2本目の信号を右折してしまっていた場合もあります。その時に、目的地の付近にどんな目印となる建物があるか伝えることで、お婆ちゃんは自分が進んでいる道のりが正しいかどうかが分かるからです。
 最後に、ゴール達成です。お婆ちゃんは無事に最寄り駅に到着できました。やったね。
 以上の道案内と論理的思考の意義は同じです。なぜなら、論理的思考も自分とは異なる意見を持った他者を想定したときに、自分や他人の意見を飛躍なく説明、理解するために考えることだからです。

第一章のまとめ

1.論理的思考の定義:言葉と言葉の意味上の関係性を考えること
2.非論理的思考の定義:言葉と言葉の関連性しか考えないこと
3.論理的思考の意義:自分とは異なる意見を持った他者を想定したときに、自分や他人の意見を飛躍なく説明、理解するために考えること

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