【呟】6年間の努力ってなんだろう…
相変わらず暑い日が続いてますね・・・
そんな日は、いつも通り仕事をしながらボヤきます😆
前回から説明しているようにボヤき中の言葉は、タメ口で書き殴りますので、言葉遣いについては、ご容赦願います。
さて人が変わったかのようにボヤいていきましょう!
これまでの投稿で『センス』について説明してきたが、今回はセンスではなく、それ以前の話として『努力するってなんだろう』をテーマに綴っていく。
自分は小学1年生から高校3年生までサッカーを続けてきたが、アラフォーとなった今、やっと努力という言葉がどういう事なのか、少しずつ理解してきた気がする。
余談にはなるが、きっとこの努力の意味を幼くして理解できた奴が、その道の頂点に立っているのだと思うし、今もその道で活躍できているんだなと思う。
ではタイトルである「6年間」という数字は何を指すのか、これは画像とリンクしているのだが、『日本においての英語教育』について疑問に思うことがある。
僕らの世代では、中学生から高校生までの6年間、英語の教育を義務教育というカテゴリーの中で受けることができる。今では幼稚園や保育園から英語に触れる機会があり、小学生の授業から英語が始まる。
小学生の時から英語を習うことになれば、計12年間英語を学べる機会があるということになる。だがもちろん毎日必ず英語があるというわけでは無いので、12年間ピッシャリ学習するといったレベルではない。
一旦その細かな頻度の話は割愛するが、大体の学生に英語は何年間学んできましたか?というと自信満々に「6年間学んできました!」と答える。
話を分かりやすくするために、スポーツで例えよう。
自分はサッカーを12年間習って今に至る。
アラフォーとなった今、サッカーは年に数回しかやらない。
しかし12年間積み上げたものは非常に大きな威力を発揮し、そこらのにわかサッカー出身者には、絶対に負けない。
もちろんサッカー経験は?と聞かれれば、12年間やってきました!と答える。
日本国内でしっかりと英語を聞き取り、英語が話せる人の割合は、『たったの3%』でしかない。
今まで自分の英語能力にフォーカスを当てて、こんな考えをしたことは、僕自身一切なかった。きっとみんなもそうだと思う。でも考えれば考えるほど奥が深く、『おかしい世の中だ』と思える。
大体の人が6年間〇〇を習っていれば、基礎はできる。試合をすれば、試合が成り立つ。(もちろんプロになる、ならないの話は別だ)
でもどうだろう。
英語に関して、外人と会話ができるだろうか?
伝えることは、かろうじてできても聞くこと(聞いて理解する)がまずできないと思う。
では誰が原因で6年間も習ってきたことが全くできないのか・・・。考えてみよう。
人のせいにするという目線で話せば、教育の精度にあると思う。もちろん英語は普段使う頻度が少ないので、重要視されていないのかも知れないが、優秀な英語の先生が少ないのではないかと思う。
部活で言うと、弱小高校の”名ばかり顧問”というような、英語に対して大したスキルを持っていない先生が英語を指導しているから、というような気もする。
もちろんそのために、中学校は外人の先生を月に1回招き、教育環境を作る。でもこれって意味あるのか?そして必ず外人の先生の横に担当教員がチョコンと座っている。『これなんの場なんですか?』って感じが否めない。
外人の先生が発した言葉を、担当教員が解説して、何を行うかは担当教員が説明する。いかにも日本人らしい無駄な教育という気はしないか?
頭の良い生徒であれば、お前この場にいらねぇよ・・・って心の中で思っていると思う。(そんな僕みたいな性格の悪い人は少ないと思うが・・・)
あーだこーだ言っても仕方ないので、何かがおかしい。
(一旦これで次の議題へ)
次に自分を否定的に考えてみる。
きっと英語が話せる日本人は、高校や大学から『英語というジャンル』に興味を持ち、海外留学や個別塾に通って英語を前向きに学んでいる。もちろん親の影響などもあると思うが、他人と比べ英語についての姿勢が違うはずだ。
自分が英語に興味を持てなかった理由として、『英語を学ぶ=通訳という仕事』といったイメージを強く抱いており、中学生ながらどうせそのうち『IT駆使やツール』ができるから、英語なんて学ぶ必要はない、と無理矢理学ばない都合の良い解釈をしていた。(通訳の仕事なんかきっと無くなるんだと)
でもそれは間違っている気がする。
確かに昨今の技術(AI等)は発達しており、英語→日本語へ変換してくれるツールは、どこにでもある。スマホでもチョチョいのチョいだ。
しかしいくら意味を理解しても、こちらから発信することはできない。ツールとして存在するかもしれないが、使いづらそうだ。
自分がパッと発信したい英語をありのままに発信できる能力があれば、当然リスニングは容易なはずだ。つまり英語を用いてコミュニケーションを取るには、ツールでは実現しない。
岸田首相やこれまでの日本の首相がカタコトの英語を話している姿、日本人アーティストによる和製英語は、聞いていて不愉快になる。(自分が話せないくせに不愉快だ笑)
自分の解釈を深掘りしていくと、英語が話せないのは自分にも問題がある。(これは間違いない)
同じスポーツを同じ環境で同じ年数習っていてもAさんBさんCさんでは、絶対に差が出る。これはセンスなんかじゃない。努力だ。
サッカーの上手いAさんは、サッカーが下手なCさんよりも確実にサッカーに触れ合う時間が長い。それは環境を超えた話であって、環境なんて関係ない。
ブラジル人のプロサッカー選手は、環境が良かったのか?そんなことはない。すぐに環境やセンスを例に挙げて、自分がやらない(やれない)状況を作り出す、そんな奴が沢山いるが、俺は嫌いだ。
環境なんて関係ないの意味を証明する。
日本とブラジルを比較してみよう。
正直、どのスポーツも昔より今の方が環境が良い。
しかし圧倒的に昔から環境が良いのは、日本だ。
天然芝でサッカーができる環境は、僕らの時代少なかった。もちろん僕らの上の世代は、もっと少ない。
2024年の世界の裕福な国・地域ランキングは、
1位:ルクセンブルク
2位:マカオ
3位:アイルランド
4位:シンガポール
5位:カタール
6位:アラブ首長国連邦
7位:スイス
8位:サンマリノ
9位:アメリカ
10位:ノルウェー
うーん、どこも強くない。
アイルランドとノルウェーくらいか?
ブラジルもサッカー大国ってことで、サッカーには国として力を注いでいる。今は昔に比べて、だいぶ環境は良くなっていると思う。
じゃあ昔はどうだったのか。
環境としては最悪だったはずだ。
(詳しくは知らないが笑)
ブラジルの優勝
1958年大会
1962年大会
1970年大会
1994年大会
2002年大会
過去23回?開催されているワールドカップ。
古ければ古いほど、ブラジルが優勝している。
これは、環境が関係ない証となる。
もちろん環境にはいろいろな意味が含まれる。
スポーツテクノロジー、人種、影響、色々とあるが、とにかく幼少期からサッカーに触れ合う時間が長かった国、それがブラジルだ。(詳しくは知らない笑)
2000年未満代の時期、ブラジルに天然芝の環境なんかあった?スパイク・ボール、当たり前のように一人一つ持っていたか?優秀な指導者はいたのか?
環境なんて関係ない。
やるか、やらないか。
これに尽きる。
余談になるが、唯一環境面で成果を発揮できないスポーツがあるとすれば、水泳だと思う。水泳選手に黒人が少ない。これは差別的社会問題もかなり影響しているが、陸上同様に人種的に黒人が水泳をバリバリに始めたら、きっとボルトのような選手が、じきに出現するだろう。
今回の記事をまとめていく。
なぜこんなことを考えたのか、それは『企業の教育』がきっかけだ。
面接でよく研修や教育の環境が良さそうだから死亡しました!という学生が7割ほどいる。申し訳ないが不採用にしている。
英語やスポーツの話をまとめると、環境も大事。
だけど、一番大事なのか自分。
その証明がどれだけ優秀な指導者がついても、やる気のない奴は上手くならない。きっと英語もそうだろう。
優秀な指導者がいれば、やれる人の確率を底上げすることは可能だが、結局やれる奴の人数は、あまり変わらない。おそらく『きっかけ』的な要素に過ぎないと思っている。
じゃあ教育や研修なんて企業として力を入れる必要はない、ってことじゃなくて、企業としては底上げの努力はする。でも最終的にはお前次第だよってこと。
大手企業の研修が素晴らしいのか?そんなことないと思うよ正直。
じゃあなんで大手企業の社員に優秀な人材が多いのか。
努力できる奴を採用しているから。
努力できる可能性値みたいなものを見ているから。
これに尽きると思う。
ってことで、要は期間や環境なんて大したことない。でも英語教育については、ちょっとレベル低いよね。日本って面白いよね、って話を今日はしたかった。
最後に・・・海外では外国語を2年みっちり勉強して、話せるレベルだそうです。(どこの国かは知りません笑)
それではGood luck!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?