身に余る伴侶を得たのに離婚したくて堪らない妻

妻は大卒、転職∞回、ニート歴数年、婚約破棄1回、ブス、何のスキルも無い子持ちパート3×歳。

夫は大卒、転職0回、同世代のそこそこ企業の出世頭、年収800万。ギャンブルしない、酒飲めない、暴力しない、金使わない、次男坊。子煩悩。

交際一年、お互い20代で入籍。20代で郊外に戸建てを購入。自家用車あり。住宅ローンはあるが、貯蓄は1000万円の大台は超えた。現在幼い一人娘が居る。

絵に描いたような結婚生活。
素晴らしい夫。夫に似て可愛い娘。
なのに妻は離婚したくて堪らない。



離婚したい理由は話し合いが出来ないこと


夫は結婚早々に妻の頭の悪さに気が付き、妻の生活態度の悪さから全てを諦め、互いの価値観の違いを埋める為の議論をしたり、何か大きな物事を決定する際に妻の意見を聞いても無駄だと判断した…だけなのかもしれない。

夫と話し合いが出来ない。
妻が「今、何を考えているの?」「何がしたい?」「何が食べたい?」「何が着たい?」「何が欲しい?」と問いかければ、夫は「別に」「何でも良いよ」「何も考えてなかった」若しくは無視。

あれっ、もしかして嫌われてるだけですかね。

エピソード①結婚挨拶は抹茶のようにほろ苦い

派遣社員の妻と正社員で上司だった夫。
交際し1年が経った頃、妻が別の会社で正社員へ転職したタイミングで入籍が決まった。勿論夫からのプロポーズは無く、半ば妻から強引に迫った形である。
入社が春。初夏、互いの両親へ結婚の挨拶へ行くことにした。妻が夫の家族に会うのはこれが初めて。義理のご両親への手土産のお菓子は何が良いかな?と聞くと夫は「何でも大丈夫だよ」と。

妻「私の好きな京都の抹茶のお菓子があるから、それでも良いかな?」
夫「いいよ」
妻「でも心配だから、一応、お義母さんに嫌いなものとかアレルギーが無いか聞いといてくれる?」
夫「分かった」

後日
妻「お義母さん大丈夫だった?」
夫「嫌いなものもアレルギーも無いって」

いざ義理のご両親に対面、手土産の抹茶菓子を手渡すと

義母「あら〜、私、抹茶、大っ嫌いなの」
そのままお菓子をゴミ箱にダイレクトIN。

妻、呆然。
夫、無表情。そして無言。
義理の父、気付かず。

妻は「とんだご無礼を…よく調べもせず…大変申し訳ありません…」と平謝り。地獄の空気の中「結婚させて下さい…」と話す。義父だけがにこやかに対応してくれた。え、これ入籍していいの?
入籍前に同居したいと私が話すと義母に「非常識!」と叱られた。「結婚式を挙げて、入籍をして、その後同居しなさい。入籍前に妊娠したら絶縁です。」とのことだった。アッ、入籍していいんだ…。

意気消沈の帰路、
妻「お義母さんが抹茶が嫌いって夫くんは知らなかったの?」
夫「知らなかったし言われなかった。見た瞬間思い出したみたいだね」
妻「(ん…?謝ったり慰めたりはしてくれないのか…?)お義母さん、私のこと嫌いみたいだね」
夫「この間、お母さんが僕の部屋を片付けた時に妻ちゃんの写真を見て『これが夫ちゃんの彼女?』って言ってたから大丈夫だよ」
※夫は妻と結婚するまで実家暮らし。夫の部屋の片付けは義母が定期的に行っており、夫は結婚するまで片付けというものを一度もしたことが無かった。
※それまで会社から自宅まで直帰していた息子の帰りが遅くなることが増えた為、一人暮らしの彼女が出来たことは何となく察していた義母。義母は一人暮らしをする独身女性をあばずれと呼んでおり、妻の印象は知り合う前から最悪だった。実際に顔合わせで「どうして実家もそう遠く無いのに一人暮らしをしているの?」と義母に聞かれた妻が「社会人になったら一人暮らしをするのが夢だったんです」と答えると義母は絶句していた。

妻「(何が大丈夫なんだ?)嫌いじゃないってこと?」
夫「初めてでびっくりしてるだけだよ」
妻「(何故妻のフォローではなく自分の母親のフォロー?)…入籍日はいつにする?」
夫「いつでもいいよ」
妻「何か思い入れある日付ある?」
夫「そう言えばうちの両親の結婚記念日は×月×日だ」
妻「(日付に拘りが無い)じゃ、その日にしよっか!忘れにくいだろうし」

ちなみにこの時のテキトーな判断がのちに功を制すこととなる。入籍日を義理のご両親と合わせたことで「妻は義理の両親を敬っている」と義母はいたく感動したらしく、その後の態度がかなり柔和になった。

夫から聞く日々のエピソードから義母が夫ちゃんLOVE!なことは感じ取っていた為ある程度は覚悟して挨拶に臨んだからか義母への戸惑いや不安は数日経てば「ま、いっか⭐︎」と思えたが、義母が抹茶菓子を捨てた瞬間、夫は何のフォローもせず無言で立ち尽くしていたことや、その後も特に何の声掛けも無かったことについてのモヤモヤは折に触れて思い出し、5年以上引きずることになる。

エピソード②精◯が届かない朝、妻は泣き崩れた

結婚して数年、夫は仕事が忙しく、22時〜23時帰宅。土日は休み。私もそれなりに忙しく、20時〜21時帰宅。平日休み。すれ違いの日々。
このままDINKSか〜もっと稼げる仕事に転職してバリバリ働くべき?てか離婚?お互いほぼ一人暮らしじゃない?これ結婚してるって言える?と考えていた矢先、コロナ禍に突入。
幸い夫婦の仕事に大きな影響は無く、失業することは無かったし、罹患して大変な目にあうとかそう言ったことも無かった。むしろお互い仕事が暇になって帰宅が早まり、自粛や外出制限で出掛けることも出来ないから家に二人でいる時間が増えた。

暇になると悩むのが妻の悪い癖である。そう、ずっと目を逸らし続けて来たセックスレスと子どもを作るかどうか問題である。
ある日セックスを試してみた。しかし、夫は機能しなかった。妻はショックだったが、妻自身も何だかコレジャナイ感があった。
不妊治療専門の病院へ行ってみた。妻の身体に特に異常は見られなかった。夫は動画などがあれば射精が可能だと分かった。しかし、中度〜重度の無精子症だと判明した。精子数だけで見れば体外受精が必要なレベルだが、夫婦共にまだ若い為、人工授精からやってみようと言うことになった。排卵日が来たら、夫が病院へ自家発電で採取した精液を提出し、それを病院で精製し良き精子濃度になった精液をシリンジで妻の膣内へ…という流れだった。
日常的にセックスした方が精子も元気になるし、夫婦のコミュニケーションあっての子どもだから、と病院に言われたが、プレッシャーがあると余計に出来なかった。
人工授精を7回試して全て失敗した。体外受精へステップアップすることになった。
人工授精の時もしょっちゅう病院へ行ったが、体外受精が始まると毎日のように病院へ通った。
その頃には妻は正社員を辞め、パートへ転向した。突然休む日が増えてしまうことが予測されたし、ハードワークをしていては子どもが出来ないのでは、と上司にやんわり辞めることを推奨されたからだ。夫は「好きにすれば」と言った。
仕事を辞めたからには、何が何でも妊娠してやろう、と思った。治療の説明会には夫婦で参加した。夫婦での参加が絶対だったからだ。妻は自主的に食べ物に気を使ったり、サプリメントを飲んだり、ヨガを始めてみたり、早寝早起きしたり、ウォーキングをしたり、治療以外でも出来ることは率先してやった。一方、夫のEDや精子のことについては触れないよう気をつけた。一緒に運動しない?とか、一緒にサプリメント飲もう、とか、夜はゲームしないで早めに寝てみよう、と誘ってはいた。けれど夫は何もしなかった。何も変えなかった。EDの治療薬も飲まなかった。妻の通院についてきたことも無かった。妻が何の検査をしてどんな結果だったか、夫婦は今体外受精のどの段階にいるのか、何も聞かないし何も知らなかった。お金は全て妻の貯金から出した。夫は人工授精の時期と変わらず、ただ、病院に言われた日に精液を提出するだけだった。

妻が「夫くんは本当に子どもが欲しい?」と聞いたことがあった。

夫「欲しいよ」
妻「じゃあ何で何もしてくれないの?」
夫「してるじゃん」
妻「何を?」
夫「…」
妻「…採卵した卵子に体外受精をする日があって、×月×日朝8時半丁度に当日採取した精液を提出しなきゃいけない。私は朝4時には家を出ておく。8時には病院に行くから、その日は早めに起きて、採取して8時半に病院に提出しに来てそのまま出勤してね」
※自宅、病院、夫の勤務先は半径2キロ圏内
夫「分かった」

そして迎えた×月×日朝、3時に起床し妻は一人ドライブ、朝マックで時間を潰して8時に病院へ到着。スマホを見ると7時50分に夫から「今起きた」と連絡。ただでさえED気味なのできっと射精にはものすごく時間がかかる。甘く見ても8時20分には自宅を出発しなければ病院には間に合わない。8時半には間に合うのだろうか。絶望的だ。採卵した卵子の寿命があるので今日この時間に精子がないとせっかくの卵子が数個、無駄になる。採卵には二週間の服薬と、一週間の自己注射が必要だった。妻は薬でホルモンバランスが崩れてとても肌荒れして、情緒も不安定になった。自己注射は怖くてやり方も慣れるまで難しくて内出血を沢山作りながら頑張った。採卵自体もとても痛くて、採卵後も数日は痛くてまともに働けなかった。妻がそんな苦労をしてやっと取れた卵子が夫の寝坊で廃棄されるかもしれない。そもそも夫は治療のことを何も知らないので事の重大さも分からない。金額だって。妻は悲しくて情けなくて虚しくて、病院の待合で涙が止まらなかった。受付の方が心配してずっと背中を撫でてくれた。夫が寝坊したと話すと、ドクターらに掛け合って下さり、9時まで待ちますと言って下さった。9時ギリギリになって、夫が病院へ来た。私の方を見たが何を話せばいいのか分からなかったようで、気まずそうな顔をして黙って去って行った。

二人の間に大きな溝があった。妻はそれに気付いていながら、気付かないふりをしていた。
不妊治療を始めて2年程経ち、妻は妊娠した。

エピソード③クラミジア発覚、そのとき夫は

妊娠成立後、性病やはしかなどの病気の検査があった。不妊治療を始める前にやるもんじゃないの?と思われそうだが、私は結婚前にブライダルチェックをしていて、その時に全てパスしていたので不妊治療開始時は検査をスルーしてお金を浮かせたのだ。で、妊娠したらその辺の検査は義務なのでやっぱりやることになった。ま、やる意味ないけど〜と思っていた。ところがどっこい、クラミジア陽性と通告された。妊婦がクラミジアに感染していると何やらかんやらなのですぐに治療することになった。パートナー同士ピストン感染してしまうので夫も治療する必要があった。クラミジアは性交渉で感染する。妻は結婚前のブライダルチェックで陰性、結婚後夫とのみ性交渉。そして妊娠後陽性。つまりは夫がどこかから貰って来た可能性が高いと言うかそれしかないのだ。コウノドリでもこんな話があるっぽい。ウェブ広告でしか見たことないけど。

妻「クラミジアの検査を受けてもらわなきゃいけなくなったから自分で泌尿器科とか探して病院行ってくれる?」
妻は夫を責めたり疑ったりはせず、事実だけを伝えることにした。
夫「分かった」

数日後
妻「病院行った?」
夫「行ってない」

さらに数日後
妻「病院行った?」
夫「行ってない」

妻「(この人絶対病院行かない…)」

困り果て、次の妊婦健診で「夫がクラミジアの検査をしてくれないんですけどどうしたらいいですか?」と相談した。
ドクターは仕方ないなぁ、という顔で「自費で良ければ抗生物質出しとく。ほぼ100%夫さんも感染してるだろうから飲ませといて」と言って薬を出してくれた。
帰宅後、夫には置き手紙で「クラミジアの薬、検査無しで貰えたから飲んどいて」と書いた。
直接話すと余計な事を言ってしまいそうだったからだ。
夫が飲んだかどうかは不明だ。その後セックスレスなので妻に感染することは無い。だからもうどうでも良い。

エピソード④そして妻は適応障害になった

妊娠中に夫から体調を尋ねられたことはなかった。身体を気遣う発言も無かった。幸いつわりは軽い方だったし、身長が高いせいかあまりお腹も目立たないタイプだったので妻は産休まで元気に働いた。妊婦健診も、夫はついてこなかった。妻が夫にエコーの動画を送っても「見てない」としか言わない。素人がエコーを見ても何が何か分からないから意味がないので見ない、とのことだった。胎動があったと伝えても怖いからと言って夫が妻のお腹を触る事は無かった。夫が家事をしてくれるようなことも従来通り無かったし、夫は相変わらず何も変わらなかった。それでも妻は夫と仲良く過ごせるよう努めた。2人きりの最後の時間だから、休みが被るとデートへ誘った。子どもが生まれる前に思い出を沢山作ろう、と思った。

子供が生まれた。スーパー安産だった。痛みに強過ぎる妻は子宮口が9cmになるまで病院に行かなかったので数十分で産まれた。母子共に健康。コロナ禍で立ち会いは不可。1人で産んで1人で入院した。
妊娠中は元気だった妻、産後も身体は元気だったのだが、産後のホルモンバランスの乱れが顕著だった。初めての育児は孤独で、不安で、赤ちゃんが泣いて眠れないことが辛いのに不安な気持ちが強すぎて悩んで悩んで眠ろうにも眠れない。漠然と死にたい、という気持ちだけが脳内を占めていた。赤ちゃんを殺して私も死ぬ、と1ヶ月間毎秒考えた。夫は育休が1日も取得出来なかった。その代わりに妻の実母が泊まり込みで一ヶ月住んでくれた。だが基本的な赤ちゃんのお世話は妻が主体で、母は沐浴を手伝ってくれるのと、洗濯をしてくれる係だった。食事の支度は断られたので毎日湯煎で温めるだけの宅配を手配した。掃除も断られたが何とか交渉し、週1回クイックルワイパーをかけてもらうことにした。毎日やることがなくて暇だから自宅に帰りたい、と実母に1ヶ月間泣きつかれた。では赤ちゃんのお世話を1日数時間代わって私を寝かせて欲しいと言うとそれは出来ないと言われた。夫はオムツ替えして、や、着替えさせて、と妻が命じれば何とかやってくれた。ミルクも作ってくれた。だが自分から抱き上げたり名前を呼ぶような事は無かった。夜泣きも、やはり、気付かずに熟睡していた。
結局妻は産後うつになった。私が居て夫さんも協力的で恵まれた環境なのに…と実母に責められた。
本当にそうだと思った。情けなくてまた死にたかった。
行政の介入で即精神科に通院し断乳、服薬した。母乳をあげれなくてまたうつだった。入院も勧められたが夫や実母に子供を任せられないと思った妻は断固拒否した。
子どもは新生児期を過ぎると夜ぶっ通しで7時間寝る赤ちゃんになった。そんな子は聞いたことがない。めちゃくちゃ親孝行な子どもである。そのおかげで妻は睡眠時間を確保出来て、だんだん正気を取り戻し、だんだんと子供を可愛いと思えるようになり、この可愛い子を生かすために私は生きたいと思えるようになった。大体産後4ヶ月でうつ状態から回復することが出来た。
夫も生後3、4ヶ月程して子どもに表情や感情が現れるようになってやっと子どもが可愛いと言う感情が芽生えたようで、4ヶ月もすれば妻無しでも子供と2人きりで数時間過ごせるぐらいに成長した。
全て順調に思えたある日、妻の不眠症が始まった。めちゃくちゃ寝る子どもで夜泣きも少ないのに、毎晩、今までの人生の嫌だったこと辛かったことがフラッシュバックし続けて眠れないのだ。結婚挨拶の日の義母の剣幕…夫の無関心…不妊治療で泣いた日…泣き声で眠れない夜に隣で夫に爆睡される虚しさ、孤独。もっと昔の子供の頃のイジメの記憶。両親との嫌な思い出。就職したての頃のパワハラ、セクハラ、その後の自分の散々なやらかし人生…。不眠の夜→8時間寝る夜を交互に繰り返すようになった。平均すれば4時間ぐらい寝てるってことだから良いか?と自分で納得していたが、生後半年で保育園へ預け復職することが決まっていたのである程度毎日睡眠時間を確保出来ないと詰むよな…睡眠導入剤でももらうか…と思って再び精神科を受診したところ、適応障害と不眠症で再び服薬の日々が始まった。
薬のおかげで、大きな問題無く働き始めることが出来たし、子どもは幸いスクスクと育っている。
毎日あわただしいおかげで何かを悩む時間も無く、ただ必死に目の前の家事育児仕事に向き合う日々だ。
夫とは子供の世話があるので会話はある。ただ、体に触れたり、労りあったり、そう言った事は無くなった。いや、初めから無かったか。今は子育てと言う重大ミッションを遂行する仕事仲間だ。感情的にならない夫の存在がありがたい時もある。子どもに関するお金は惜しみなく出してくれる。子どもが体調を崩したら病院にだって連れて行ってくれる。何の問題もない。むしろスーパーイクメンだ。家事はしないけど。なのにどうして妻はこんなに孤独で虚しいのだろう。無いものねだりなんだろうか。

つまりは妻は夫に好かれてないってこと

妻は昔から夫を尊敬している。パッパラパー借金女だった妻は定職に就き転職せず堅実に昇進し貯金が出来る夫を本当に心から尊敬している。自分に無いものだらけだ。そして感謝もしている。取り柄のない私に何も求めてこないし、お金の使い方や働き方や家事に文句を言われたこともない。妻が毎日遊びに行っても構わない。
ただ、夫のことが分からない。何も伝えてこないからだ。聞いても無言だ。何も伝わらないし、何も変わらないし、何も分かり合えない。つまり、夫にとっては妻にそれだけの価値が無いと言うことなのだ。好きじゃ無いのだ。かかわりたくないのだ…(話し方ハム太郎みたいだな)。
妻と真正面から話し合うのはめんどくさい。結婚していれば昇進も出来る。子どもがいれば両親も喜ぶ。世間体が保てる。離婚は世間体が悪い。ただ、それだけなんだと思う。
クラミジアの感染源はいまだに不明だ。特定の女性なのか、ワンナイトのような女性なのか、お店の女の子なのか、そんなことは極論どうでもいい。真実を知っても辛いだけ。そこじゃなくって、何も言わない、何もしないでただじっと嵐が過ぎるのを待つその夫の狡さが憎くて堪らない。たったこれだけを理由に離婚したいと考える妻は愚かなのだろうか?

妻は産後一年で一気に老けた。子育ての肉体的なしんどさはもちろんあるけれど、それ以上に精神的に参ってしまった。それまで臭いものに蓋をして生きてきたツケが回ってきたのだ。もうパンドラの匣は開いてしまった。黒い感情は溢れ続けて止まらない。子どものことは大大大好きで、愛しくて、守りたい。子どもにはパパ大好きでいて欲しいから、妻は夫のことを褒めている。おかげで子どもはすっかりパパっ子だ。あぁ、だけれど、どうして妻はこんなにも苦しいのだろう…幸せって何だろうか。


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