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鳳凰梨園(4886字)

「とうとうお呼ばれしちまった。いよいよ最期だな」
 宿舎へと戻る貨物車の荷台で師匠はそうつぶやいた。亡くなる前日のことだった。翌朝、普段なら一番に起きているはずの師匠の姿が見えず、私が部屋を訪ねると布団の上で既に息を引き取っていた。師匠は私たち〝栽培者〟の中で一番の年長者で、若い頃に果樹から転落したことが原因で片足を悪くしていた。本来そうなると栽培者としてはお払い箱なのだが、幸運なことに師匠には果樹栽培や農業機器に対する知識が豊富だった。その為に果樹園の〝管理者〟たちは栽培者の育成や機械整備の役割を師匠に与えた。管理者たちは私たちの仕事や日々の天候、間伐役のいくつかの小動物や掃除役の昆虫たちまでも管理している。ただ、その彼らもまた果樹園全体の運用を調整する為の一つの役に過ぎない。
 師匠の葬儀は淡々と進み、私たちは棺を墓となる樹の下に運んだ。周りには果実の糖度を測る為のカラクリメジロや花粉媒介用のツナギメチョウたちが無邪気に飛んでいる。棺には遺体の腐敗を促進する為の微生物群や発熱機器が埋め込まれており、栽培者は死ぬと〝堆肥者〟として果樹の養分となる役割へと変化することになっていた。私たちの日々は宿舎と果樹園を往復するだけの質素な生活だったが不満は無かった。というのも、果樹園で育てているのは鳳凰様に捧げる為の特別な果実だからだ。尖った剣状の葉と赤い果皮をしているこの果実は、その形状から鳳凰様が落とした羽に例えられている。鳳凰様はこの実を喰す時にのみ地上に降り立つと伝えられ、私たちは鳳凰様が姿を現すほど価値がある実を育てる為に生涯を捧げている。死後も自らが堆肥者として果樹園の一部となれば、それは永久に鳳凰様に奉仕し続けられるということになる。世界の全ては鳳凰様へと帰結し、私たちはすべてその輪廻の中にあった。
 果樹の下に棺を納め土をかぶせていると雨が降りはじめてきた。上を見上げて口を開くと、何滴かの雨粒が舌に落ちた。しょっぱくない水に触れるのはこういう時くらいだ。管理者たちが定めた天候計画によると、今日は雨の日だから普段私たちが散水する塩水とは異なり空から真水が降ってくる。定められた雨じゃない日の雨は空にはじかれて園内には降らず、ただ雨と空がぶつかる音が響くことになる。栽培者の一人が師匠の葬儀なのだから今からでも天候計画の変更を頼もうと言い出した。その提案に反対したのは私だけだった。管理者からは、それでは果実の品質を担保できないと許可は下りなかった。私は安心した。埋葬を終えた私たちはそれぞれ持ち寄った楽器を手に取り、師匠への追悼の意を込めて行う演奏の準備に入った。すると、管理者は墓前ではなく崖で演奏するよう指示した。私たち栽培者は日に何度か果樹園の端にある崖から、海に向かって果実の状態を鳳凰様に知らせる為に曲を奏でることになっていた。しかし今回は師匠の為の演奏だ。私たちは管理者に食い下がったが、交渉事は彼らの方が何枚も上手だった。最終的に師匠の死もまた輪廻の一部であり鳳凰様に伝えなければならないと言われると、何も言い返すことは出来なかった。冷たい雨に濡れながら私たちは崖へと向かった。

   *

「なぜ自分の死がわかるのですか?」
 師匠は貨物車に揺られながら私の問いにしばらく沈黙した後、夜に自分の部屋へ来るよう告げた。夕食時も師匠はそれまでと変わらず、皆と宿舎の食堂で酒を飲みながら賑やかに過ごした。皆が散り散りになった頃、私は二階にある師匠の部屋を訪ねた。入室すると、部屋には最低限の家具の他に機械の修理をする為の年季が入った道具や長机一式があった。机にはツナギメチョウの幼虫が入った虫籠が置いてあり、さらに床のあちこちに古い木箱に入った機械の部品が乱雑に置いてあった。
「よく来た。まぁ、座りなさい」
 普段物静かな師匠が昔話をはじめた。私がまだ初心者だった頃の失敗談や管理者たちへの軽い皮肉など。師匠はまるで昼間の私の質問など無かったかのように雑談を続け、時間は流れていった。とても珍しい光景だった。そして、それは私に本当に師匠は死ぬのだということを漠然と感じさせた。
「さて」
 師匠は自らの口を大きく開き、私の指をつかむと自分の上あごに誘った。指先が師匠の口内をなぞり、途中で何かに触れた。師匠が咳をしたので私は慌てて手を引いた。
「すみません」
「わかるか? 上あごの真ん中あたりに半円状の玉があるのを」
「はい」
「お前にもある。確かめてみろ」
 自分の口内を探ってみると師匠と同じようなものが私にもあった。師匠は虫籠からツナギメチョウの幼虫を一匹取り出すと解剖刀で腹を裂いた。私は思わず声をあげた。そこには私たちと同じような玉があった。師匠がテーブルの上に置くと、幼虫は腹を裂かれているにも関わらず何事もなかったかのように脚をくねらせ歩きはじめた。
「万物はすべて鳳凰様への奉仕の為に存在している。ところがだ」
 師匠が幼虫の腹から玉を取り出すと、途端に動かなくなった。
「死んだのですか?」
 師匠が頷いて再び玉を押し込むと、幼虫はただ時が止まっていただけのように何の問題もなく動き出した。
「今、この虫は管理者たちの計画にないはずの死を一時的に迎えた。つまり、それは鳳凰様の輪廻の外にいたことになる」
 私は言葉を失った。
「この玉を魂珠と呼んでいる」
 師匠は床に散らばる部品たちを探り小さな鍵を取り出し、埃をかぶった酒樽を取り出した。南京錠を外し、中からずた袋を取り出した。そこには猛禽類にでも襲われたのだろう、羽が毛羽立ち動かなくなったカラクリメジロが新聞紙に包まれていた。目の周囲の白色部分が歯車のような模様になっているカラクリメジロは、果樹園のいたるところに生息している。嘴の先の検知器で糖度を調べている為、メジロが頻繁に集まる果樹は甘みが強く収穫の対象になりやすい。カラクリメジロの背の真ん中辺り、ちょうど羽と接合されている部分を開くと丸い窪みがあった。
「これは……」
「魂珠を入れるところだ。このメジロにもある。恐らく衝撃か何かで自分の魂珠が外れたのだろう」
 師匠は動かなくなったカラクリメジロを丁寧に袋にしまうと、椅子に掛けてあった外套を手に取った。
「驚いたか? 少し散歩でもしよう」
 私たちは崖に向かって歩き出した。
「昼間、なぜ自分の死期がわかるのかと尋ねたな」
「はい」
「……鳳凰様からの呼び声だ」
「えっ、すごい!」
 驚く私に対して師匠は声を出して笑った。
「嘘だ、本当はただの耳鳴りだ。お前はまだ若いから知らないだろうが、死期が近づくと耳鳴りがするようになる。そうすると管理者たちに呼ばれ、自分の寿命を知ることになるんだ」
「すると管理者たちが私たちの死を決めているのですか?」
「いや、彼らはあくまで管理しているだけだ。決定しているのは……」
「鳳凰様!」
「堆肥者になるのもまた定められた輪廻の一部だ。つまり栽培者は鳳凰様が定め、管理者が立てた計画に沿った日付で亡くなる必要がある。死期が近づくとその覚悟を持たせる為の事前準備として耳鳴りがはじまるのだ」
 師匠の耳鳴りは酷い方らしく、定期的に管理者たちの棟で検査を受けているという。かつて痛みに耐えられなくて自殺した栽培者がいたことから、管理者たちは計画通りに進むよう死期の告知や耳鳴りの手当を行うようになったという。崖に着くと真っ暗な海と無音が広がっていた。今夜は月も波もない。私たちは草原に置かれた演奏用の椅子に腰掛け、闇を見つめた。
「私はこの〝箱〟から出て外の世界を旅してみたいと思っている。比喩としてではなく本物の旅だ」
 しばらく黙った後、師匠は唐突に言った。
「果樹園の外ということですか?」
「いや、鳳凰様の外だ」
「でも世界は鳳凰様の為にあるのでしょ?」
「ここはそうだが、そうじゃない世界も外にはあるようだ」
 私は何か師匠がとてつもなく恐ろしいことを考えているように思えた。
「しかし万物は鳳凰様の……」
「では、あの魂珠はどう説明する?」
「初めて外の世界について考えるようになったのは治療を受けているときだ。管理者たちが外について話をしていたのだ。耳鳴りが酷いと言っても四六時中そうではない。あいつらもまさか聞かれていたとは思わなかっただろう。それからも治療の度に少しずつ入手できそうな外の世界の情報を集めた」
 それから師匠は外の世界についての様々な話を私にしてくれた。しかし、にわかにその話を信じることはできなかった。今夜の師匠は珍しい。死を前に混乱しているのかもしれない。あるいは耳鳴りの痛みで変な妄想にとらわれているのかも。
「お前は鳳凰様を信じているか?」
「もっ、もちろんです! まさか……」
「信じているさ。ただ、今までのように果実を育て報せを待つだけでは鳳凰様は現れないような気がするのだ。事実、誰も鳳凰様の実態を知らないだろ?」
 私は頷いた。
「鳳凰様を知るには待つだけでなく、外から探す必要がある気がするのだ」
 師匠は空の暗闇を指差して笑った。
「そこで、お前に頼みがある」

   *

 崖に到着すると雨はますます強くなってきていた。崖の先端近くにある指揮台を中心に半円状に広がった椅子たちもずぶ濡れで、私たちは礼服や外套の袖で座椅子を拭いてそれぞれの席に着いた。遺体を発見した時、私は前日の晩に言われた通りに師匠の上あごから魂珠を取り出してカラクリメジロの背中に入れた。師匠はカラクリメジロの体で空から飛び立つつもりだった。雨の日と自分の死ぬ日が重なるのは吉兆だと師匠は喜んでいた。だが、魂珠を入れてしばらく様子を見てもカラクリメジロが動く気配はなかった。違う役割の者同士では無理だったのかもしれないと私は思った。やがて下から他の栽培者たちの声が聞こえてきた。私は咄嗟に出窓の帳にカラクリメジロを隠し、皆を呼びに部屋を出た。
 演奏の準備が整うと指揮者役の仲間が右腕を上げた。私も弦を握り、提琴を肩に乗せた。その時、一羽の鳥が飛んでいるのが見えた。カラクリメジロだった。演奏が始まった。師匠への別れの旋律は雨の落ちる音とぶつかりながら空の外へ、地中の師匠へ、そして鳳凰様へと届けられる。灰色の空は何かを吸い込もうとするかのように全開だった。突然、猛々しい鳴き声が近くで聞こえた。果樹の枝が不自然に揺れる。黒い影が見えたかと思うと、次の瞬間には鋭い嘴が飛んでいるカラクリメジロを捕えていた。作業効率が悪くなった動物たちを狩る役を与えられているマビキトンビだった。カラクリメジロを咥えたトンビはそのまま果樹園の奥に消えていった。そして曲が終わった。演奏が終わると拍手のような音が海の向こうから聞こえた気がした。
 宿舎に戻り師匠の部屋に入ると出窓は開いていた。雨風が吹き込み物が散乱し、机や床は濡れている。カラクリメジロを包んでいた新聞紙も湿り、床に貼りついていた。
〝海水農業…自動栽培体系を実現…鳳凰梨園が開…観光客向けの催し…による演奏会…〟
 師匠から聞いた話の単語が新聞記事の節々に見えたが、全体が雨水で滲んでいて何を書いているのかよく理解できなかった。私は部屋の片付けをはじめた。師匠の道具はどれも古いがよく手入れされていた。一見、乱雑に置かれているように見える部品たちも師匠なりに整理されていたのがわかった。片付けを終えた時、出窓にあの毛が逆立ったカラクリメジロが立っていた。メジロはこちらを振り返り甲高い声を一度だけ上げると飛び出した。窓に駆け寄ると、カラクリメジロは全開の空に向けて真っ直ぐと進んでいた。マビキトンビの声が遠くで聞こえた。強い雨に加えて突風が吹く。それでもカラクリメジロは最短距離で外に向けて飛び続け、遂に空の外に出た。間に合わなかったトンビの嘆き声が果樹園に響く。鳳凰様が外から探すことを望んだのだと思った。カラクリメジロが灰色の外雲の中に消えていく姿が見えなくなるまで目で追い続けた。あの先の世界で、初めて師匠は鳳凰様と対面する〝者〟となるのだ。【了】

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