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【vol.1】「場所の記憶」可視化の方法論における考察〜誰かの記憶に寄り添う、記憶の格納庫「LOCAL LOG」の実践から〜


要約

本探求は「場所の記憶」を可視化することの意義と方法論を模索するものである。「場所の記憶」とは、その土地を眼差す他者が向ける意識や思い出のことを指す。地方留学をきっかけに、自然環境や日常風景に対して働く情動の重要性を再認識し、それらを写真と言葉で記録するウェブサイト「LOCAL LOG」を開発した。LOCAL LOGは、個々の場所に紐づく強い記憶/細かい感情を視覚的に記録・共有することを目的としている。本探求では、LOCAL LOGの実践を通じて、その有用性や場所の記憶の可視化における意義を探った。


keywords  
Memories of places/visualization/natural environment/everyday scenery/memory sharing
場所の記憶/可視化/ LOCAL LOG/自然環境/日常風景/記憶共有


序論

1-1 テーマ及び背景について

 「掲載をお断りします。」
 下北沢の街角にある喫茶店。オーナーから放たれた一言に私はただその人の目を見つめ返すことしか出来なかった。当時、居住型教育施設に暮らしていた私は寮内発行のフリーペーパーの策定に取り組んでいた。趣のある喫茶店を選定しアポイントメントを取り、取材依頼を現場にて執り行う。その日は初めての取材依頼でカフェのオーナーに掛け合っていた最中の出来事だった。その後、オーナーが続けた意図する言葉は私に衝撃的な事実を突き付けた。
「私は再開発に反対なんですよ。」
 事の始まりは、2003年に遡る。都が小田急線の地下化を決めたとき、連続立体交差事業の一環として商店街を貫く道路整備が計画に組み込まれ、区は規制緩和などで大規模な再開発を可能とする地区計画を決めた。それを起因として、住民らが再開発によって街が大きく変わることを危惧し、反対運動を引き起こした。目の前のオーナーは商店街の分断に巻き込まれた被害者の1人だったのだ。
 開発を終えてもなお、被害を抱えながらその土地に住まう人。なぜこのような事態が引き起こされてしまったのか。そもそも「開発」とは貧しさからの脱却や豊かな暮らしを得るために機能するものとして語られている。しかし、文献調査を重ねる中でそれとは大きく反する実態が浮き彫りになってきた。下北沢の反対運動を皮切りとして北海道小樽市の事例からも読み取れるように、経済的合理性に偏向した開発は本当の意味での豊かさを略奪しているのだ。その土地を無色透明な「空間」として認知し開拓するディベロッパー側と自らのアイデンティティの一部として確立し「場所」として捉える地域住民との対立。こうした土地に対する共通認識の乖離によって場所が場所たらしめる固有性が失われ、街の主役である地域住民の民意反映が行われないまま再開発は繰り広げられる。主人公不在の舞台上には空虚なスポットライトが手持ち無沙汰に照らされている。どこに焦点を当てるでもなく。そんな舞台上で踊らされるなんて私には到底理解しがたいシチュエーションだ。
 そこで私は再開発によって捨象されゆく、人々の意識や記憶を可視化することによって、本来の街の固有性を残しながら再開発に民意性を組み込んでいきたいと考えた。「民意反映の再開発」を実現するための新しいコミュニケーションツールの開発を試みることで都市開発の在り方を再定義したい。それが実現された未来で「場所」と「空間」の対立軸を揺るがし、街の在り方に変革を起こすことができることを私は信じている。
 しかし、その未来を実現するための知識や力量が未熟な私にはまだ足りない。この大きな命題に解を与えるには長い年月がかかるだろう。しかし、そうとは知っていながらも民意反映ための解決手段を模索せずにはいられなかった。私の愛する下北沢という土地にあった過去の開発の歴史や、同じような局面に直面する日本全国の自治体が抱える課題に応えたいと強く思った。そこで今だからこそ着眼することのできる問いや視点があるはずだと考えた私は模索のための前段階として、「場所の記憶」に着眼することを決めた。それは私が将来、民意反映の再開発を可能にするためのコミュニケーションツールを策定していく上で足掛かりとなるであろう「場所の記憶」の可視化における方法論を模索する探究である。それが今回のタイトルにもなっている「場所の記憶」可視化における方法論の考察〜誰かの記憶に寄り添う記憶の格納庫 「LOCAL  LOG」の実践から〜である。拙く脆く蒼い探究成果であるが私の「場所の記憶」への偏愛をここに記していきたいと思う。

1-2 アプローチ方法について

 「場所の記憶」を可視化させ、更にその地に眠る非言語的な曖昧性や受け取り手の心の機微まで盛り込みたいと考えたとき、それは困難を極めた。そこで私は大きな妥協点ではあるが最も可視化の手法として取り掛かりやすい「写真」と「言葉」というメディアを通じた記憶の格納方法を試みた。今回はその二つのメディアを取り込んで制作したWebサイト「LOCAL LOG」を用いて場所の記憶を可視化していくことの意味合いやその可能性について探究を進めていきたいと考える。

1-3 有用性について

 本探究を通じて自らの知的好奇心のままに検証を試みることを大前提として、公共性の観点も組み込んでいきたい。そこでここでは本探究の新規性から生じる有用性について提示したい。
 まず新しい都市開発の介入の余剰を模索する糸口としての機能である。本紙で示すLOCAL LOGの取り組みと問題提起をしている「空間」と「場所」の対立における都市スケールの開発の話題の間には若干の距離が感じられることも確かである。それ故、既存の理論体系に当てはめることなくボトムアップ式で模索を重ねながら理論化していく手法を取る必要があるが、そこに大きな意味合いがあると考える。具体的には、トップダウン式の探究においてよく見られる傾向として既存の学術体系のみに終始しその範疇において解法が制約されるが、実践からボトムアップに生じる成果によって新しい解法の開拓が可能になると考えている。
 それに関連して先行研究の限界についても軽く示したい。「場所に対する愛着」に関する研究において、地理学者であるイーフー・トゥアンがこのように言及している。
「親密な場所はとらえどころがなく個人的なものであり、記憶の奥深いところに縛り付けられているものである。」
 しかし、場所の愛着に関する先行研究では、その地の固有性に紐づいて立ち上がる個人の感情などは私的さ故に空間と個人の経験が生み出す「場所」というものに詳しく追求することの難しさを孕んでおり、記憶の奥深さに迫りきれていない。イーフ・トゥアンの言う、記憶の奥深いところに縛り付けられている親密な場所の細部まで明らかに理論体系化することが出来ていないのである。ここに先行研究の欠落点を窺い知ることができる。私は将来的にそこを追求していきたい。場所の愛着を糸口として場所の記憶の可視化/共有知化を行い、街づくりへ応用することができたら本望である。その小さな足掛かりであり壮大な研究のスタート地点として本探究が活かされていけば、ここでの探究の有用性を果たすことができたといえよう。

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