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#5 飲食店の枠を飛び越えろ!

富山で活動している、社会起業家・クリエーターの明石博之です。

飲食店のグランドメニューの値段を変えることは大変難しいことです。さらにそれらの食材の原価を現状維持することは、それなりの努力を強いられます。

#1 外食の経営モデルについて考える」では、お店の価格帯は、お客さんとの約束=ブランド、みたいなものですと書きました。

「ブランド=約束」というマーケティングの考え方があります。約束とは、お店がお客さんに約束することです。約束の1つが「価格帯」です。あの店に行ったら、だいたい1,000円以内で飯が食える、3,000円もあれば飲める、など。

お店側は、その約束を守るために、仕入れが高くなっても価格のほうを維持しようと努力します。仕入れが高くなったから、量を減らそうとか、質を落とそうとかしようものなら、お客さんはすぐに気づき、約束を破ったと思うかもしれません。

しかし、この考えが間違っていたかもしれないと疑ってみて、そうじゃない可能性、そして、メニューの値段が変わっても許される店とは、どんな店なのか?そういったことを考えてみました。

1.小売りのように、メニューの値段も変えてみたら…。

皆さん、下の図をご覧ください。これを見て「確かにそうだ」と思っていただけたら嬉しいのですが、生活者は、スーパーで買い物をするとき、白菜が少々高くても、白菜が食べたいと思えば買いますよね。

では飲食店が同じように、材料費が高くなったから、お店のメニューも高くしたとしたらどうでしょうか?おそらく多くの方が「営業努力が足りない」とか「客を大事にしていない」とか、そういう印象を持つと思います。

すべてのメニューを日替わりにして、最初に値段ありきで中身を考える方法もありますが、日によって当たり外れがあったら、その店のブランドはガタ落ちとなり、お客さんは、日替わりメニューの品質のバラつきが嫌になるのではないでしょうか。

伝えるプロジェクトデザイン企画書(仮説)noto用

安易な方法としては、グランドメニューを持たないという選択です。実際に、そういう飲食店はあります。さらりと筆で書かれたお品書きに、季節を感じる料理たち、そして原価計算にもとづいたお値段の表記。店内の黒板に書かれている場合もありますよね。

メニューを考えることを苦と思わず、楽しみでしかない!という料理人であれば、毎回の料理のクオリティーと、だいたいの価格帯の維持をすれば、先ほどの問題提起は気にしなくても大丈夫。…と、思うのは気が早いです。

一方のお客さん目線で考えてみると、「毎回、違う料理が食べられる店」だけではその店は選ばれないと思いませんか?加えて、「毎回食べても美味しい、外れがない」くらいになるとファンが増える気がします。しかし、人には「好き嫌い」という厄介なパーソナリティがあります。

今日はどんな料理が出るのかを、店のSNSなどでチェックできないといけませんし、予約してくれるお客さんに対して、来週のメニューまでお伝えすることは難しいかもしれません。しかし逆に、そこまでの手間を惜しまなければ、人気の店になりそうな予感がします。

2.美味しさ以上に魅力的な料理とは。

人が持っている厄介なパーソナリティのその2が「飽きる」です。美味しい料理でも、毎回同じものを食べたくはありません。3種類のランチがあれば、4回以上通う理由は見つからないかもしれません。その理屈を超越するのが中毒性を持った味付けです。ここに特化した研究している専門業者があるくらい、マーケティングでは重要な位置を占めている戦略です。

多くの加工食品で使われている旨味調味料(アミノ酸等)も中毒性のある味だと言われます。子供の頃からそれに親しんでいる人は、天然の旨味よりもアミノ酸等の旨味のほうが美味しいと感じるかもしれません。

コンビニの弁当も、スナック菓子にも同じ旨味調味料が入っていますが、私は、あの口のなかに残る独特の味が苦手ですし、この旨味調味料を摂取すると、アトピー性皮膚炎の症状が出てしまいます。

以下の記事は、個人のnoteで化学調味料について書いたものです。

しかし、中毒性のある食べ物には、どうしても罪悪感が付きまとうもので、心の声が「食べすぎると良くない」と訴えてきます。ではさらに、中毒性をも超越する魅力的な料理とは何でしょうか。私は、自然に体が求める季節感のある料理だと思います。「結局そこかよ」という声も聞こえてきそうですが、食べることの本質は、やっぱりそこだと思います。

イメージ的には料亭を思い出させるのですが、店内の装飾からはじまり、テーブルの小物、器などを総動員して季節感を演出し、その設えをステージに旬の食材が使われた料理が登場。「あなた、今これが食べたいんじゃない?」と言わんばかりのプレゼンテーションに、思わず身体が喜んでしまう。そのような食べる体験は、中毒性のある味を超越するはずです。

決して、庭園や広間の個室があるような特別な店での話ではなく、そのようなプレゼンテーションは、料理と器と、ちょっとした飾り物だけで十分だと思います。お客様のことを思い、「この季節にはぜひこの食材を召し上がってほしい」「この季節は体力が落ちるから、ちょっと贅沢にこれを加えてみよう」などの心遣いに、自分の潜在的なニーズを自覚してしまう瞬間が訪れる。そんな貴重な体験をしてみたくありませんか。

3.きれいごとを実現する方法を考える。

先ほど述べたことは、ちょっときれいごとに聞こえるかもしれません。旬の食材を使い、仕入れによって値段も変わり、グランドメニューのような固定価格を持たないうえに、お値段も少々高い。私でさえ、いかにも万人受けしない、限られた人しか利用できない店のイメージを持ってしまいます。

上手にブランドをつくり、これを当然のようにやっている店もある一方で、ビジネスとして成立させるには大変な努力が必要だと想像します。理想を追求するために、利益が出なくなってしまえば本末転倒です。

ここまで、飲食店の経営の難しさを、料理や店舗運営そのものの枠組みで考えてきましたが、ここからは、その枠を取っ払って話をしていこうと思います。前回の記事の冒頭にも述べた「飲食店という存在の不自然さ」について、もっと考えを深めて、さらにどんな可能性があるかを探求してみたいと思います。

こちらは、前回の記事はこちらです。

そのために必要なことは、お客さんとの新たな関係づくりです。シェフが料理をつくって、それを店で提供し、お客さんに喜んでもらうという場である以上の価値が求められる時代になると思います。この動きは、すでに一部で始まっています。

ものすごくシンプルな業態だけに、提供する価値の幅を狭めてしまい、出口が見つからずに無理をしてしまう。それが今の飲食店の実態ではないでしょうか。

新たな関係づくりとは、「提供する」から「共有する」という関係になることです。多くのシェフには「ねー、ちょっと聞いて下さいよ、めっちゃ美味い牡蠣が手に入って、お客さんにも食べてもらいたんですよー!」のような気持ちがあると思います。

逆に常連さんから差し入れをもらったり、いい産地を紹介してもらったりすることもあるでしょう。そんな気持ちを双方で分かち合える関係づくりです。その「シェア」の手段を広げる、みたいなイメージです。

ざっくりと図にしてみるとこんな感じです。

伝えるプロジェクトデザイン企画書(仮説)noto用

コロナショック以降、色んな活動を模索している店やサービスプラットホームが沢山あります。オンラインで料理を教える、シェフがセレクトした食材を産地直送で送るなど、ハッキリ言って、以前よりも料理人の活動範囲が広がっていると思います。

飲食店は、お客さんと豊かな食を実現する手段の1つで、料理人が食べていくための唯一の手段ではないはずです。ぐっと活動範囲を広げてみると、店で食べる料理の値段は、材料代でも、手間賃でも、美味しさだけでもない、もう1つ上のステージのモノサシで測ることができないでしょうか。

ちょっと話は横にそれてしまいますが、「教育」というと専門性が必要なような気がしますが、「学び」となると急に親しみをもって、自分の言葉で語れる対象となります。同じように「料理」となるとシェフが語る世界のように思いますが、「食べる」となると誰でも語れるテーマになりませんか。

だれでも語れるテーマとして位置付ければ、シェアできることが増える。飲食店からお客さんへの一方通行のサービスでは終わらない。そういった方向に、明るい未来があると信じています。

今回は以上となります。次回は、飲食店とお客さんとの新たな関係を「コミュニティ」として捉えて、考えてみたいと思います。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

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