小説家のエッセイ 私は納得するのに時間がかかる 思考の癖

私はかなりめんどうくさい思考の持ち主である。

よくあるのが、自分が納得する事ができないと、次へ進めない、もしくは、ずっとその事について考え続ける、というものである。
この時自分にとって重要なのは、「他人がどう思うか・他人の気持ち」は本当にどうでもよくて、ただ「自分がどう思うか・自分の気持ち」だけが最重要事項なのだ。他者はどうっでもいい、自分の気持ちが最も優先されなければ、遺恨はずっと続く。

真面目でしっかりした普通の人から見たら、なかなかクレイジーな思考回路を持っていると思われるかもしれないが、私はこういう人間なのだ。

まあこういう性格をしているので、当然、社会の中ではしょっちゅう生きづらさを感じている。

だいたい何歳ぐらいからこの思考だろうか・・・物心ついた時から、既にこういう考え方だった。

だから、子供の時は、「何故ある日突然幼稚園なるものに行かなければならなくなったのか?それが終わったら小学校?私は進学する事に納得していないが?」とか思いつつ通学していたし、

大きくなったら、自分の意志とは関係なく何かを決定されたり、いわゆる「理不尽」にぶつかるたびに、「私はこう考えているのだからこうでなくてはならないのだ。そう強いる方が間違っている」と思った。

今私は30歳で、もうすぐ母になろうという頃だが、大人になっていろいろ経験を積み、多少は考え方が柔軟になったにせよ、基本的な部分は変わっていない。

例えば元カレと結婚したかったのに、できなかった時も、「どうしてそうなるんだ」となかなか納得する事ができなかったし、夫と結婚して、私が改姓した時も、元々私は、自分が名字を変えるつもりは一切無かった。男性側に変えてもらうつもりだったのだ。もしくは生涯独身。
夫は、どちらでもいいよというスタンスだった。夫の父が婿で、夫の父が名字を変えた側だったので、男性が改姓する事に抵抗は無かった。
で、じゃあ夫が変えればいい、と思っていたのだが、昔気質な私の両親が、「ロカが名字を変えて嫁ぎなさい。そうでなければ認めない。うんたらかんたら」とめんどうくさい事を言い始めて、私と両親は大喧嘩になった。この時も「名字を残したいという私の気持ちが軽視されている」という怒りでいっぱいだった。
すると冷静な夫が、「どちらの名字にするかは僕の両親の意見も聞くべきだ。ロカの親が単独で決めていい事じゃない」と言ってその場を収めた。冷静で中立な意見で両者を鎮静化させてくれたので、それ以上言い争いしなくて済んだ。
夫の両親に意見を聞いてみると、「できれば名字を残して欲しい=ロカが改姓する」事を望んでいるようだった。夫は、「双方の親の意見をまとめると、ロカが改姓する方がいいみたいだね」と言い、私自身も、最終的には「人生で名字が変わるイベントはそう無いし、なんかワクワクすっぞ!」と思えた=最終的には納得できたので、これに対してぐちぐち思う事は無いけど、この時納得できなかったら、今頃夫婦関係は最悪だったかもしれない。結婚もやめてたかも。

世の中の仕組みや理不尽に対していろいろ思う事はあるのだが、全部書いていたらきりがないので、上記の一例を挙げた。
今思うのは、今お腹に居る子供をどう育てていけばいいのだろうか、という悩みである。
自分の子供が自分に似た性格だったら、子供が世の中の理不尽に遭った時、親である私自身が世の中の理不尽に納得していないのに、子供に「世の中は理不尽なものなのさ」って言いたくないし、言う資格が無いと思うのだ。
自分に似てなかったとしても、同じ目に遭った時に、同様の事を言いたくない。理不尽な事が起こる方が間違っていると思っているからだ。もし仕事のためだったら報酬の為に多少自分の本心と違う事をするとしても、一円も報酬が発生しない子育てにおいて、子供に本心と違う事を言いたくはない。子供に対しては本心から向き合っていたいし、お金がもらえる訳でも無いのに適当な嘘をつくメリットが無いではないか!

だから、自分の子供が理不尽に遭った時には、「そんな理不尽はおかしい!」と言って戦いを挑み、理不尽を正していけるようなパワーがある強い子供に育っていって欲しい。子供の心を、子供自身で守れるような、強い子供に育てたいと思う。それでもし大人になった時、世の中の仕組みを変えられるような職業についているなら、最高だ。その辺は子供の職業選択の意志を尊重したいところだが。

私の親は理不尽に耐えられるようには育ててくれなかった。だから、私はそうならないように、パワフルな子供に育てていきたい。それが一番いい方法かもしれない。

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