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#20 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~

願い事

 6月にジュビ子の病気が治りますようにと参拝したが、いざ、本殿の前で私はその言葉が言えなかった。
 糖尿病が治るかもしれない。でも、ここでお願いして治ったお陰でもっと辛い病気になったら?
 猿の手の類の「願いが叶う」何かがあったら、もし、今がそれに当たるとしたら?
 病気が治る事だけが叶って、交通事故にあうかも知れない。
 糖尿病が治り、癌になるかもしれない。
 今より苦しむ事になったら?
 それでも今の寿命を延ばす事だけのお願いをするの?
 ずっと一緒にいられますように。
 そう願ったせいで、痛くて苦しいのに我慢して永く生きることになったら?
 もう、何て願えばいいのかわからなくなった。
 そこで宇宙は全てYESしかない。という言葉を思い出した。
 例えば病気が治りますように、と願うと「病気NG」という意味だが、宇宙はYESしかないので
 「病気が治りますようにと願い続けることがYES」となってしまう。
 だから「病気」にフォーカスされてしまい、常に病気が治りますようにと祈るような現実を引き寄せてしまう。
 だったらどうすれば良いのか?
 願い方は叶った形で言うと良い。
「ジュビ子は健康で幸せです」
「ジュビ子は毎日元気にご飯を食べて走り回っています」
 その願い方が正解なのかもわからないけれど、これなら確実に害はないと思ったから、そう言う事にした。
 その迷いが、またこの長い夜に突きつけられた。
 「頑張って」と言う言葉をかけていいのかわからなかった。
 これ以上、頑張らせてはいけない。
 でも、頑張らなくていいよと言ったら、もう、見捨てられたと思って早まってしまうのではないか?
 私はひたすら神に、天使に、全ての力あるものへ祈った。
「この子は、私に最上級の深い愛を教えてくれた徳のある子です。どうか痛みや苦しみを遠ざけて下さい。その痛みは私が受けても構わない。どうかこの子の苦しみを外してください」
 どんどん苦しそうになる呼吸音に、「(病院が開くまで)長いねぇ」とか、お散歩一緒に行ったねぇ、どこが好きだった?とか、美味しいのいっぱい食べられて良かったねぇ。ジュビちゃん、美味しいのいっぱい食べてたよ。とか、そんなことばかり繰り返し話しかけていた。
 ジュビ子は律儀に耳を傾けて、もう動かすことが出来ない手足をそのままに、ちゃんと聞いていた。
 私の脚にはジュビ子の体温と息遣いが一晩中伝わっていた。
 愛しい温もりとモフモフに、少しでも永く一緒に居たいと思ったけれど、それも願ってはいけないのかもしれないと躊躇した。
 何がジュビ子の1番の幸せなのか、わからないけど、こんなに苦しそうな呼吸音の前に、痛みや苦しみが早くなくなりますようにと願うしか無かった。

 5時を回る頃だろうか。
 母親が起きてきたので、ジュビ子に飲ませる水とスポイトを用意して貰った。
 私が発作で異常な汗で脱水になっていた時、病院は水を飲みたいと言っても許可が出るまでダメだと飲ませてくれなかったが、脱水による頭痛だとわかっていたので、家族にこっそり頼んで飲ませてもらって、少し楽になったのを思い出していた。
 ジュビ子にも、喉がカラカラになってるだろうから口を湿らせてあげたかった。
 スポイトで少しずつ垂らすと必死に飲もうとしてもっと欲しそうにするけれど、尿も出せないし、お腹にお水がパンパンに入ってるかもしれない状態に多く飲ませるのは苦しめるだけかも……と躊躇われ、少しでやめてしまったが、喉は辛かっただろうか。
 どうすれば、良かったのだろうか。
 無知とは辛い。何の役にも立てないのだと、ダメな飼い主でごめんね…と。
 謝る事しか出来なかった。

その日、その時

 9月27日。
 ジュビ子が家に来て13年と22日。
 糖尿病の治療を始めて122日。
 いつかくる別れは、ついに訪れた。

 5時。
 夜も明けてきて、母親も起きてきて、後は病院が開くまでの辛抱だよ、そう思いながら朝の挨拶をした。
「ジュビ子、おはよう。朝だよ。ジュビ子、今日もかわいいね」
 私はいつもと変わらぬ声で、言い方で、何も起きてないかのようにいつも通りに挨拶をした。
 人が死にかけてるって言うのに、普通に挨拶かよ!!
 と思われたかもしれない。
 だけど、愛犬と言うのは、最期まで飼い主を心配すると聞く。
 私が泣き崩れたりしていたら、ジュビ子はきっと頑張って元気なフリをしようとしてしまう。
 私がサヨナラを決意した時に見せたジャンプのように。
 ホントの所はよくわからない。
 けど、いつもの朝で送りたかった。
 いつもの挨拶を交わしたかった。
 これからも、何も変わらないよ。そう、伝えたかった。
 ずっと一緒にいるよ。そう、伝えたかった。

 5時半。
 苦しそうな呼吸音は止まり、静かだった。
 微かに動いていた胸の鼓動も止まっている。
 あれ?息してない???ジュビ子、止まってしまったの?
 私は慌てて鼻息が触れるか、手を鼻に近づけた。
 可愛い鼻息はかからなかった。

 ジュビ子、逝っちゃったの?
 そう、声をかけると5分後の5時35分。
 慌てたように息を吹き返し、動かせる筈もない頭を何度も持ち上げて、こちらを見ようとしているかのように思えた。
 どうしたの?
 私がジュビ子の顔を覗き込もうと体勢を変えた時には、パタっと停止し、全てが止まってしまった。
 何か言いたかったの?
 伝えたかったの?
 何か、見たいものがあったの?
 ジュビ子、本当にもう動かないの?
 私はしばらく抱き寄せていたが、身体が硬直してしまう前に体勢を整えてあげなきゃ、と思い、もう苦しくない体を、横にした。
 痛いのなくなって良かったね。
 頑張ったね。えらかったね。
 ありがとね。
 ジュビ子は最期に彼女の生き方を、そして死に方を見せてくれた。
 いつか来るであろう私の死も、怖がらずに迎えられるように。
 今の病気で死を近く感じるようになり、不安や恐怖もずっと何処かにあった。
 けれど、それに対してのアンサーすら、ジュビ子が教えてくれたように思えた。
「逝っちゃ嫌だよ」
 私は最期まで、それを言わずに済んだ。

葬儀

 悲しみに暮れる暇もないように、葬儀があると聞く。
 その心理はわかりやすかった。
 私は2時にジュビ子が急変してから、ネットで頼んでいた犬の飼育の本をキャンセルしていた。
 そして虹の橋を渡り、すぐにした事は、定期購入していたドッグフードのキャンセルと退会。
 冷静に着々と片付けているように見えるだろうか?
 私は恐れていた。
 ジュビ子が本当にいない……と思い知らされる頃にうっかり忘れていた彼女の為のものが届いたら、正気を保てる自信は無かった。
 自己防衛が働いたのだ。
 そしてきっと、やるべき事が終わった頃に訪れる、救いのない悲しみや寂しさの波の為にも。
 火葬の情報をスマホで調べ、葬儀場でやってもらうか、出張で来てもらうかで、また判断は飼い主に任されるのだな、と、責任の多さに改めて気づく。
 一睡もしていないが、そのままお風呂に入り、見送る準備をした。
 ジュビ子のお目目は何度閉じさせようとしても開いていた。
 しっかりと、何を見たかったのかな?
 そんな事を考えていると、ドッグフード解約の返事が届いた。
 そこには、最期まで飼い主を心配して、顔を覗き込むようにして亡くなる子もいる。
 最期まで想うことは飼い主の事なのだと書かれていた。
 最期の力を振り絞って何度も起き上がろうとしたのは、目をあけて見ようとしていたものは……
 私の顔なの?
 ならば尚更、沢山笑わなきゃ。
 私は無駄にニコニコ笑顔でジュビ子に話しかけていた。
 動かない手は手入れにはとても便利で、肉球の間の毛のカットを出来た。
 かわいいジュビ子。
 女の子は身だしなみを整えて。
 虹の橋にはイケメンワンコがいるかもしれないからね。
 ジュビ子の毛も欲しいけど、我慢するよ。
 だってギザギザの部分があったら恥ずかしいもんね。
 ジュビ子は美人さんでかわいいから、きっとモテモテだよ。
 それにしても、なんというキャリアウーマンだろうか。
 私に手をやかせることなく、最期まで強い意思で、自分を貫いたまま息を引き取った。
 全てジュビ子の計算通りに。
 全てを背負って秋の空に旅立った。
 私の理想の女はジュビ子になった。
 可愛くてカッコよくて、自分を持ってて、決めたことはやり遂げる、慈悲深く、無償の愛で支えてくれる。
 そんなクールなジュビ子みたいになりたいよ。

入れ物へと変わる時

 9月の暑さの中では、まだ遺体はすぐに異様な臭いを放っていた。
 鼻の穴から茶色い液体や血が流れてきた。
 ヴィヴィアンの赤いチェックのタオルハンカチを鼻の下に置いた。
   散歩の時にヨダレや鼻水を拭くためによく使っていたハンカチだった。
 あんなに出したくても出なかったウンチは、おしりの穴から少しずつ出てきた。
 拭き取ってはアルコールでキレイにし、穴に綿を詰めるが、次から次へと綿を押し出し出てくるのであった。
 やっと出たね。
 ウンチ出たね。スッキリするね。良かったね。
 そう声を掛けながら何度もアルコールで拭いては綿を詰め直した。
 亡くなる前には粗相をする事が多いと聞くが、尿は一滴も出ず、体の下に敷いたタオルを汚すことも無かった。
 さっきまであたたかかったモフモフの君はどんどん冷たく硬くなってゆく。
 火葬の問い合わせをした時に、お腹にドライアイス等があれば置いてあげて下さい、と言われたので、大きめの保冷剤を2つ置いていたから、そんなに中身が出てくることが無かったのだろうか?
 それでも火葬のお迎えが来た時に抱き上げたら大量の血や茶色の液体が溢れた。
 ホワイトセージとお線香を焚いていたけれど、全く効き目が無いほどに、硫黄のような臭いが立ち込めていた。
 こんなにも早く、魂が抜けてしまうと入れ物は傷んでしまうのか。
 今までのわんこ達は庭に土葬だったけれど、ジュビ子は初めての火葬だから、初めての事がいっぱいだった。
 ジュビ子の体が完全に入れ物へと変化しても尚、その冷たく硬い肉球と手を握っては離せずにいた。
 この手を離す日がこんなにも早く突然来るなんて。
 火葬の車が少しでも遅れますように。
 ほんのちょっとでもいいから、もう少し手を繋いでいられますように。
 予約は午後の時間だった。
 この日の午前中は人生で1番早いスピードで過ぎた。

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