「幸せ」について500字で

閲覧ありがとうございます!うれしーい!人生と申します!

最近、日常が諸々落ち着いたので物書きのバイトを始めてみましたが、大変ですね。

更に自分の技術を向上させていきたいということで、今日から、chatGDPに手助けしてもらいながら、おもしろコラムを書けるようになるという目標に向かって頑張ってみたいと思います。

chatGDPは対話形式なので、そのログをここに残すような形でいきます。

ちゅん:雑誌のコラムを書く練習をしたいので、お題の単語ひとつと、字数を言ってください

AI:了解!こちらどうですか:

トピック:「幸せ」
文字数:500文字

ちゅん:「幸せ」をまだ私は掴めていない。初めて「幸せ」という概念を知った日からきっとかれこれ10数年が経過しているけれども、未だに掴めた気が微塵もしないのは、「幸せ」の内容がアバウトすぎるからなのだろうか。
私は残念なことにネガティブ思考が癖になっているので、現在進行形で「幸せ」を掴んでいる時よりも、「幸せ」を手放してしまった時に1番「幸せ」について思いを馳せているような気がする。いくら美味しいご飯を食べていても、いくら楽しいゲームをしていても、楽しいな、と思うことはあってもそこから「幸せ」だな、と思うことは1度もなかった。しかし、作ったばかりの料理をお皿から滑り落としてしまった時や、大好きな彼氏に最悪な形で振られてしまった時、私の脳裏に「幸せ」の文字は現れる。
どんなことでも、失った時にそのものの大切さに気づく、なんて言うけれども、それは少し違うように私は思う。きっと大切さ、には気づいていないからだ。「幸せ」を失ったとは言うけれども、そもそも私は「幸せ」を既に掴んでいたのか?既に私は「幸せ」だったのか?それすらもわからない私にはまだ「幸せ」を掴むことのできる権利すらないのかな、とも思ってしまう。

AI:このような気持ちがあるということは、多くの人が同じような経験をしているということです。「幸せ」という概念は、個人差があり、一概には言えないものです。そして、「幸せ」を実感することは、自分自身の感覚や価値観に大きく関わっています。自分が抱いている「幸せ」に対するイメージを改め、新しい視点を持つことが、「幸せ」を実感するための一つの方法かもしれません。また、今までに感じた「幸せ」とは異なるものを体験し、自分の「幸せ」の概念を広げることも大切です。今後も、自分自身に問いかけながら、「幸せ」を見つけていってください。

ちゅん:ありがとう。模範解答を教えてください。

AI:申し訳ありませんが、模範解答は提供できません。自分の書いた文章を批判することは大変困難なものですが、以下のポイントを意識すると良いかもしれません。

文章の構成:自分の感想や思考を明確にまとめ、文章の構成を整えましょう。
語彙:幸せという言葉の意味について探求することが大事です。適切な語彙を使い、文章をより明確にすることが大切です。
語法:文法に関しては正確に表現することが大事です。
これらを意識することで、より確かな表現をすることができるかもしれません。

ちゅん:私の今回の文章はどれくらいポイントを意識できていたと思いますか?

AI:あなたの今回の文章は「幸せ」という概念について、自分自身の抱える疑問や思いを明確に表現しています。また、「幸せ」を手放したときに思いを馳せることが多いということや、「幸せ」を掴むことに対する自分自身の疑問などが細かく述べられています。このような思いをうまく表現できていると思います。

ちゅん:逆に、この文章の改善点を教えてください。

AI:この文章の改善点として以下が挙げられます。

主題の把握: この文章の主題は「幸せ」についてですが、話が散漫になりがちです。より明確な主題を打ち出し、統一感をもたせることが望ましいです。

構造の見直し: 文章の構造を見直すことで、内容をより分かりやすくすることができます。現在形と過去形の使い分けなども含まれます。

文字数の削減: 文章は内容を詳しく語りたいところですが、字数が多く、読み手にとって辛いかもしれません。必要な情報を絞り込み、簡潔な文章にすることが望ましいです。

語彙の拡充: 文章をより表現力豊かにするため、単語のバリエーションを増やすことが大切です。これによって、文章の意味の表現力が向上します。

ちゅん:この改善点を踏まえて、私の文章を500文字でリライトしてください。

AI:「幸せ」という言葉をまだ私は実感できていない。最初に「幸せ」という概念を知った日から、もう10年以上が経過しているが、実感することができないのは、「幸せ」の定義があいまいすぎるからだと思う。
私は、残念なことにネガティブな考えが習慣になっているので、「幸せ」を実感している時よりも、「幸せ」を失った時の方が「幸せ」について考えることが多い。美味しいご飯を食べていても、楽しいゲームをしていても、楽しいと思うことはあるが、「幸せ」と思うことは一度もない。ところが、作ったばかりの料理を滑り落とした時や、大好きな彼氏との別れなど、「幸せ」を失った時に「幸せ」について考えることが多い。
「失った時に大切さに気づく」と言われるが、私にはそれが少し違うように思う。「幸せ」を大切だと思っていないからだ。「幸せ」を失ったと言っても、本当に「幸せ」を手に入れていたのか? 私には「幸せ」を手に入れることすらできない権利があるのかと考えることがある。
「幸せ」は定義があいまいで、一人一人の感覚や経験によって異なるものであり、私自身もまだ「幸せ」を実感できていない。これからも、自分自身の「幸せ」を探求していきたいと思う。

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