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122. 記憶の凸凹を抱きしめる

bonjour!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。記憶の整理のために始めたこのフランス滞在記も今号で122話目。一つのテーマについてこんなに長きに渡って書き続けることは人生初です。今号は先に書き進める筆を少し止めて、わたしがフランス滞在記を書く意味について振り返ってみたいと思います。


2020年5月29日から書きはじめたフランス滞在記。途中バカンスを挟みながらかれこれ3年ほど毎週書き続けてきました。

3年前の今ごろはちょうど「わたし、滞在記を書かなきゃ!」とnoteをはじめた頃でしょうか。大体25話くらいで完結かな?という気持ちではじめたので、その頃の自分に「ねぇ、3年後もあなた、書き続けているよ。今なんと122話目ですよ」なんて声をかけたらびっくりすると思う。というより、「え、そんなに書くことになるんですか?じゃあやめておこうかな・・」という返事が返って来るかもしれない(笑)。

わたしが滞在記を書くルールはいたってシンプルです。

・ 出てくるものをただ書く
・ 同じペースで飛ばさず進む
・ 今の記憶とのシンクロする感覚を楽しむ

毎週、ひたすらこれをやり続けています。当時撮った写真を見ながら、自分はどんな思いでこのシャッターを切ったのかな、どんな感覚が想起されるかな、ということに気持ちを向けると自然に言葉が出てくるので、それをただ書き留めるのです。

結果的に人気がある記事もあれば、全く読まれない記事が出てきます。ついつい一喜一憂しそうになるのだけど、そんな時は2番目の「同じペースで飛ばさず進む」というルールを思い出します。一つずつ一つずつ、丁寧に記憶の上を歩く「自分の足取り」の方に気持ちを向け信頼してみるのです。

すると、場所によってはすごく熱量を持ってどんどん書ける部分(書きすぎてしまう部分)と、なんだかぼやけていたり、ここはできれば避けて通りたいという部分が出てきます。摩擦の違いと言った方が良いでしょうか。前者はよく思い出せる部分だし、後者はよっぽど注意を向けないと記憶に登ってこない部分でしょう。

時にはまるで記憶のエアーポケットにでもハマったみたいに、まったく何も出てこない時もあります。そんな時は、「書きたいことがない」ということを書きました。

こんな風に、「同じペースで飛ばさず進む」を心がけて毎週書き続けて気がついたことは、「人間の記憶って本当に凸凹している」ということ。

何も意図せず、ただただ思い出せることって凸の部分で、その下には思い出されることのない凹の部分があるはずです。途中、一番摩擦の強いコロナ禍でロックダウン宣言が出された時のことを書いている時に、これは一種のトラウマ療法だと気づくことがあったのだけれど、それは凸凹のどちらの部分にも意識を向けてあげることで、結果的に凸凹としていた不整地が正され、記憶がスムーズに流れていくようになる、ということなのだと思います。

トラウマというと、どちらかというとネガティブに捉えられがちですが、要するに「人生の記憶の中の凸凹が激しい部分」なのだろうなと考えるとストンと胸に落ちます。そこにダイレクトに挑もうとすると、とても大きな気力が必要になるし、わたしにとってはダメージが大きいなと感じました。

何より、凸凹はその人の個性そのもの。決して消えないのでワークなどを通して解放される部分ももちろんあるけれど、付き合っていかなくてはいけない部分の方が多いのではないでしょうか。そんな時、こうして全体を通して書くという試みは、時間はかかるかもしれないけれど有効だなと思います。書くという行為は、ゆっくりゆっくり記憶の通り道をならし、自然に流れるようにして、凸凹しているところもそうでない部分も等しく抱きしめてあげることなのかもしれないと今強く感じています。

来週からはじまるこちらの企画も、人生を7年周期で辿っていくというものですが、要するに人生の凸凹を抱きしめて、時間が人生という道(川かな?)を自然に流れるように整えてあげる、ということをやっているのですね。これってフランス滞在記とおんなじだ、今朝方気づいて心がほぐれる感覚がありました。

noteを始めてから3年。書きたいもの、アウトプットしたいものをひたすら出し続け、自分がやりたいことを探ってきたけれど、ここ最近、ここまでバラバラだったものがつながってきた感覚があります。石の上にも3年って本当なのですね。続けないとわからないものってありますね。ここまで続けてきてよかったな、わたし、この道でいいんだなぁと思えました。

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