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田舎道を青春と共に走るの記〜大学時代のこと〜

タイ語を勉強し始めて一週間が過ぎたか。

か、というのは、カウント開始が曖昧だからである。
ご了承を。

あまりにも果を感じられず苦しい日々なので、学生時代の思い出なぞnoteにして、現実逃避してみることにした。

ちょっとお付き合い願いたい。

私はもともと、高校生の頃から児童英語講師を目指していた。
学費の都合も、メンタルの都合もあり、知り合いが教授を務めている大学の短期大学部を志望校に選んだ。
場所は東京。

偏差値はそこそこだったので、猛勉強の日々。
推薦入試で合格した。
地元の国立大よりはレベルはいいが、私立なので学費が高い。
しかし、とにかく知り合いがいるというのが大きかったのだ。

ダンボール箱入り娘への、父親のギリギリの譲歩だった。

条件は唯一つ。
地元に戻り、就職すること。

絶対、東京から帰ってくることだった。

まあ、とにかくそんな心配は要らぬもので、一年住んで私は東京が嫌いになった。
ここで就職なんて、とんでもない。

合わない。
すべて。

田舎から出てきた私には、まずあの不安感がどうにも苦しい。
買い物をしていても、いつものを盗まれるのではないかという不安があり、おちおち外出も楽しめない。

私の住んでいた場所は、東京としては地方ながら、あまり治安が良くなく、大学密集地で学生が多く、とにかく変な声をかけられる。

夜の商売への勧誘が主だ。

そのうち一人で夜外出することを諦めた。
いちいちティッシュ配りの怪しげな人をかわすのが、ストレスだったのだ。

そして、卒業シーズンはすぐやってくる。
なんせ、学生時代は2年しかないのだ。

二年時の夏休み、私は地元に帰って自動車学校に通う日々を送っていた。
暑い中、人生最後の二ヶ月間の夏休みを、しっかり補習で使い切り休めたものではない。
それでもあとは、東京の府中免許センターへ行き、学科試験さえパスすれば本免許がもらえる段階となった。

さて、その間である。
就職活動という最難関があり、私は10月になってもまだ府中免許センターへ行けずにいた。

まずい、あと数ヶ月で自動車学校の卒業資格期限というものが切れてしまう。

思い立ったのは12月だったか、寒い冬になっていた。
住まいのアパートから府中までバスと電車を使うのだが、ここで田舎者はアクシデントを起こした。

府中免許センターならと、府中駅で降りたのだが、どうも免許センター行きのバスが見当たらない。

そう、間違えたのだ。
本当は1つ前の多磨霊園駅で降りねばならなかった。

時間はちょうど早朝のラッシュアワー。

田舎者なので、パニックになった。
免許センター行きのバスは少ないということだけは、分かっている。
逆ホームへ行き、間に合わないかもと、折れそうな心を支えなんとか下りの電車へ滑り込んだ。
とにかく時間がない。
バスの時間、ひいては試験時間が迫っているのだ。

と、その時だった。

ばちーーーーーーん!!!!!
「いったいどういうつもりなのよ!!!!」


………………へ?
私のこと???電車を乗り間違ったのが???

と、ドキドキして、声のした車外ホームを見ると、そこにはドラマのような光景があった。

美しい大人の女の方が、長身のイケメン男性を平手打ちして叫んでいたのだ。
美人の睨みはすごみがある。

ここで残念ながら扉がしまった。

………………東京、怖い。


まさに、ドラマでしか見ないような光景だった。

しかも軽くショックだったのは、ビックリしてその光景を見ているのが私ぐらいだということ。
みんな、見慣れているらしい…………


私はその時、本当に心の底から思った。

早く田舎に帰りたい、と。


かくして、大変な思いもしながらその後もその日一日色々あったが免許を手に入れ、今日に至る。

帰りの電車は平日の午後で、一車両に一人でとても優雅に乗って帰った記憶しかない。
東京に来て、始めて優雅さを経験したのもこの日だった。

あれから何年経つのか。
現在手慣れた運転で愛車を乗り回しながら、あの日の苦労というか珍道中をたまに思い出す。

そして、田舎道を悠々と走る今の自分から、たまに過去の自分をねぎらってやりながら、数少ない青春の思い出に浸っている。









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