廻る家 2

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約二年半前、まだ海斗君が大学に通っていた頃。

 美しい人が好き。それは外見も中身も。中身っていうのは、性格だけじゃなくって、血の流れ方や骨の軋み方だって当てはまる。だけどね、それって、その美しさって、完璧であること、では決してないんだ。

 そう海斗君の隣で呟いたのは華やかな装いに身を包み、頭に真っ赤なリボンをつけた彩月先輩である。彩月先輩は派手な容姿や高飛車そうに見える凛とした顔つきに似合わず、いつも冷静かつ、時々少年のように無邪気にもなる人だった。

 海斗君は、そうなんですね、と適当な相槌を打ち、しかし彩月先輩の言葉を取りこぼさないようにメモする。海斗君は彩月語録、という名前の手帳を所持しており、日々先輩の意味不明な発言を記録している。語録には、次のような言葉が記録されている。

 人の恐怖や憎悪などが悪魔化するのならば、一番強い悪魔は人間の姿をしているのかもね

 頭の中までリボンや苺が詰まってると思われたらたまったもんじゃないよ

 言語とは学問であるって意識を持っていない人間の発言からしか得られない栄養と苛立ちがあるよね

 私、愛されてるふりだけは上手いんだ

 積み上げ方を間違えた人生たちが、今日もぐらぐら揺れているね

 娯楽的不幸に甘んじていたら、何もかもが他人事みたいに思えてきちゃった


 語録は日々増え続けていたのだが、それも海斗君が休学したのをきっかけに途絶えることとなった。しかし、近いうちに海斗君は彩月先輩と再会を果たし、彼女は海斗君がここに住むきっかけになる。

 海斗君が休学届を提出してしばらくが経ったある日、日差しの降り注ぐ川沿いをあてもなくふらふらと散歩していると、見慣れた大きなリボンが目に入った。先輩、おはようございます。やあ、海斗君、おはよう。


 こんなところで何してるんですか?

 ただの散歩。でもちょうどよかった。君に会いたいと思っていたんだ

 どうして?
 
 君に頼みたいことがある。一緒に美術館に行ってくれないかな

 デートですか?

 まあ、そう思ってもいいよ

 行きますよ、暇なんで

 ありがと


 彩月先輩に連れられて美術館にやってきた海斗君は、その時初めて、完成間近の巨大な廻る立方体を目にし、思わず息を呑んだ。彩月先輩は、私が作ったの、すごいっしょ、と言ってケラケラ笑った。


 これ、もしかして家ですか?

 その通り。そして、ここに住んで欲しいってのが、君へのお願い

 俺が?どうして?

 うーん、なんとなく?よさそうだったから

 なんすかそれ

 お願い、ダメ?お仕事としての依頼だからお給料もらえるよ?


 焦りや無能感を含みつつも贅沢かつ自由な暇つぶし生活、金がもらえる奇妙な生活(定期的に彩月先輩に会える)、どちらを選ぶのか。海斗君は少し悩んで後者を選んだ。

 展示物の一部としての生活が嫌になればやめればいい。休館日には好きに出かけられる、つまりは週休二日。家賃もかからない。特に友人と呼べる人間もいない(大学進学と同時に故郷を離れこの地にやってきたため)海斗君にとっては好都合だった。

 海斗君には少々怖がりな節があったから、閉館後の美術館の隣で壁に囲まれて孤独に過ごすことには抵抗があったのだが、他にも住人になってくれる人が数人いてすぐに入居する予定であり、その人たちは皆彩月先輩の知人だから全くの見知らぬ人というわけではない、と説明を受けたことで納得した。

 彩月先輩の説明通り、三日目には住人が揃った。海斗君を含め、全部で六人。海斗君の父親ほどの年齢に見える中年男性、海斗君と同い歳の青年、三十代ほどに見える女性、海斗君より一歳若い双子の姉妹だった。彩月先輩に促されて軽く挨拶を交わし合ったが、特に相手の素性を深掘りしようとする者はなく、すぐに各々の部屋へと散った。

 最初に隣人になったのは同い年の青年、誠也だった。誠也は高校生の頃から文筆活動や楽曲制作で生計を立てている天才的なやつで、高校を卒業後、大学や専門学校には進学しなかったらしい。どうやら関西出身のようで、関西弁を話す。誠也とは、トイレや風呂場などの供用設備を利用する際にすれ違って挨拶をすることから関係が始まり、すぐに仲良くなった。

 この建造物の欠陥(はなから住宅としての機能より芸術性を重視して造られているのだから欠陥ではないのかもしれないが)は、風呂やトイレ、台所が設置されていない点にあるのだが、そのおかげで海斗君に初めて彩月さん以外の友人ができたのだった。

 浮遊して廻る家にトイレや風呂などを設置できないというのは、当たり前といえば当たり前なので、住人たちは特に不満を言う事なく、部屋から出て地面に降り立ち、共用のそれらに向かった。部屋から降りるためには、エレベーターの亜種のような装置に乗る必要がある。この廻る立方体の周辺を、エレベーター亜種は縦横無尽に移動する。

 海斗君は、外側からその様子を初めて見た時、地球と月の関係に似ていると思ったが、あまりにもエレベーター亜種が自由気ままに動き回っているから、その日が真夏日であったことも相まって、だんだん月ではなく蚊のように思えてきて、ついには月に見えた自分の感覚を疑うことになるのだった。

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