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マズローの欲求の5段階説への疑問

人間の欲求段階について最も有名なものは、なんといってもマズローの5段階説でしょう。

この説は様々な場面で引用されています。
この説が専門家以外の人にも広く知られているのは、その内容が私たちの日常の感覚と非常に近いものがあるからだと思います。

そして、一人の人間のあり方を考えるとき、最上位に置かれているのが「自己実現」であるというところにも魅力を感じます。

でも、初めてこの説を知った時からずっと疑問だったことがあります。
最上位に置かれた自己実現に達するには、当然、「こうありたい」という理想形が不可欠です。
ならば、「こうありたい」という思いがない人はこの最高位に達することはできないことになります。

自分の生き方の理想を抱けないのは、その人の責任であると言ってしまえばそれまでかもしれませんが、どうしても理想を持てない人も世界には多くいます。
例えば、戦下にあってそんなことを考える余裕などない人、極度の貧困にあえいでいる人などがまず考えられます。
ただ、こういう場合は、このマズローの5段階説に従って「この国の人は、いまだ生理的欲求さえも満たされていない現実を浮き彫りにし、事態の改善を告発する根拠となるという意味では、非常に大きな意味をもつでしょう。

私が、疑問に思ったのは、どんな国のどんな文化に生きていても理想を持つということができない人もいるのではないか、そういう人たちは初めから対象になっていないんじゃないかということです。
経済が発展した国に生まれ、高い水準の文化の中で生きていたとしても、何らかの疾病や特性によって「理想」という概念そのものが認識できない人は、このピラミッドの下の方に位置するしかないのです。

それに、先進国で今問題になっている若年層の自殺者の増加は、自らの可能性を信じられなくなったことと無縁ではないと思うのです。
すなわち、社会全体が「理想」や個々の「可能性」を実感しにくくなっている、そのこと自体によってこの世界に生きることを無意味だと感じる人たちにとって、このピラミッドは非常に冷たいものになりはしないのでしょうか。

そもそも、「自己実現」というのは、究極的には自分のための概念、少なくとも自分の理想を実現するという概念なのではないかと思うのですが、人間は自分のためだけに生きている存在ではありません。

むしろ、もっとも人間的な人間は、自分の理想や思いとは関係なく他者に献身する存在だと思うのです(献身を理想とするならこの最上位は当てはまるのでしょうが)。

つまり、「自己実現」よりも、もっと上の段階が存在するのではないかという疑問がわいてきてしまうのです。

どなたか、マズローに関して詳しい方、この他愛のない疑問について教えていただけないでしょうか?

<註>
この記事に採用したピラミッド図では、上から二番目が「尊重の欲求」となっていますが、多くの場合ここには「承認欲求」という名前が付けられています。


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