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自分らしさを知る方法

私たちは、どうして自分の顔を知っているのでしょうか(こんな疑問を持つ人は少ないと思いますが)。

本来人間の目は、構造上自分の顔を直接見ることはできません。
それでも私が私の顔を知っているのは、鏡や窓ガラスなどに「映った」自分の顔を見たことがあるからです。あまりにも当たり前のことですが、自分らしさとは何かと考えるとき、この「映る」(「映す」)ということがとても大切になります。

アメリカの社会学者C.H.クーリー(1864-1929)という人は、「遺伝により継承されるもの以外は、他者とのコミュニケーションにより生成し形成される」1)と考えました。そうして創られた自我を「鏡に映った自我」(looking-glassself)と名付けました。

簡単に言えば、自分という人間は自分を他者という「鏡」に映してみなければ見えないし、創り出すこともできないということです。
自分らしさや個性は、他ならぬ自分のことであるにもかかわらず、それを知るためには、相手に話しかけ、働きかけて、相手という「鏡」に自分を映さなければ見えないのです。
人間というのは本当に不思議な生き物だと思います。

さて、2021年第38回ユーキャン新語・流行語大賞に「親ガチャ」という言葉がトップテンの一つに選ばれました。
受賞に際して、次のようなコメントが添えられています。

「ガチャガチャで出てくるアイテムのように親を自分で選べないことで、親が当たりだったりはずれだったりすることをひと言で表現したことば。生まれた時の環境や親で自分の人生が決まっているという人生観が今の若者に広がっているのだという」

「現代用語の基礎知識」選 第38回ユーキャン新語・流行語大賞 https://www.jiyu.co.jp/singo/

確かに、人の生き方に遺伝の影響はあるでしょうし、音楽家の家庭で育った子がその影響を受けて優れた才能を開花させることがあるように、生まれ育った家庭の影響を無視することはできません。
クーリーの指摘が正しければ、子どもが最初に「鏡」として自分を映し出すのは親です。
親の影響は絶大でしょう。
でも、やがて子どもは家庭から地域へ、そして学校へと生きる世界を広げていきます。
そこで多くの「親以外の人」と出会うことによって自分を映す「鏡」を増やしていきます。
新しい「鏡」は新しい自分の発見につながります。
そして、今後の人生で彼らがどんな「鏡」にどれだけ出会うかは誰にもわかりません。
だからこそ、彼らの可能性は無限であるといえるのです。

「生まれた時の環境や親で自分の人生が決まっているという人生観」を持っている子どもほど、私たちの磨かれた「鏡」を必要としています。
子どもたちは、先生方とふれあい、会話しながら、先生方を「鏡」として自分を映し出し、その反応を確かめ、自分という人間を少しずつ創り上げていきます。

私たちが「鏡」であるためには、子どもに対する臆見(思い込みや決めつけ)をできるだけ取り除き、ありのままの生徒を見ようとする姿勢が必要です。その姿勢は、きっと私たちの「鏡」の研磨剤になるはずです。

私たちは、それぞれの立場で一人でも多くの生徒の「鏡」となることで、子どもたちが自分でも気づいていない可能性を映し出せる存在なのだと思います。


1)白山社会学研究19-29 C.H.クーリー社会学の特質(東洋大学学術情報リポジトリ)
file:///C:/Users/nanako/Downloads/hakusanshakaigaku17_019-029_OCR%20(1).pdf

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