境界を作ることの大切さ
同僚Aさんは最近定年退職した同僚Bさんのことが嫌いだった。
Aさん曰く、Bさんに人種的に許せない言葉を言われたという。
私は彼女たち2人とも大好きで、お姉さんとして慕っていたのでショックだった。
それを聞いて以後、白人であるBさんの言動を気にしてみたけど、特に人種差別的な発言はなかった。
アジア人であるAさんと何があったのか詳しいことは知らない。
先月あったBさんの退職パーティーにはAさんは当然来ないだろうと思ったが、
「やっぱり少し顔は見せておく」という。
パーティー当日にAさんは美味しいケーキを持って来て、まずBさんに
「今日は招待ありがとう」と言った。
Bさんも「来てくれてありがとう」と言った。
なんの皮肉も嫌味も感じさせない大人の挨拶だった。
ただ私にはできないなあと思った。
私にも嫌いな同僚がいる。
(おそらく)しっかり真面目に仕事をする私が気に入らなかったのだろう。その女性は私を脅した。
信頼できる数名の同僚に話したら、
「あなたは自分の仕事をしただけ。あの人が不真面目なのはみんな知ってるから気にしないこと」
と口を揃えていってくれた。
そのうちの1人にはさらに
「そういう嫌なことがあった。その章はもう閉じればいい。だからといってあの人と親しくにこやかに接する必要はないよ」
と言われた。
スーッと楽になったのを覚えている。
これこそが
境界をしっかり作る
ということだ。
もう終わったことだから、過去とは境界を作る。
相手とも、親しくするなんの義務も責任もないのだから、私との境界を作り、そこには踏み入らせない。
それ以後は、挨拶は最小限。わざわざ寄っていって挨拶はしない。
楽になった。
「その他大勢」のカテゴリーに入れておけばいい。
視界に入ると嫌な気分にはなるのだが、親しくする必要はない、私を脅すような人と接する義務もないと思うようにして開き直っている。
Aさんのようにさわやかな行動をとることはないと思う。Aさんの言動には頭が下がるが、私にはできない。
でも境界を作ったことになんの後悔もない。
そして、私にできることをして私の身を守っている自分を誇りに思う。
(見出し画像 明るい色の花は元気をくれます)
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