「今を生きてる?」の見分け方
私から書籍がなくなったら、、、
想像するだけでも怖い。
でも本がないと生きていけない、と思うこと自体が「執着」なんだよなと我に帰る。
どこどこのクッキーじゃないとだめと思うぐらいならそもそも食べなくてもいい。
コーヒーを淹れるならどこ生産の煎り具合はこれぐらいの挽き具合はこれぐらいの、と思うぐらいなら飲まなくていい。
目の前にある食物をそのまま味わえるようになりたいと思う。
読書するときもそう思う。
すぐに思考があちこちに飛び回り (瞑想コースの先生は「枝から枝へ飛びまわるお猿さん」とそういう思考を名付けた) 今読んでいる書物から、今晩はなにを料理しようか、あそこをそろそろ拭かねばと頭の中は小旅行を重ねる。
いつの間にやら10ページ読み進んではいたけれど、じゃあその10ページをかいつまんで説明せよと言われれば、なにも頭に入ってきてはいなかったことに気づく。
そして10ページ戻って読み直す。
無駄に使ってしまった時間に嘆く。
読書というのは、そのときその時を生きているかのバロメーターになる。
その書物にグイイっと入り込み一気に読み進め、もしかしたら外では大きな音がしていたかもしれないけれど、それも耳に入ってこず没頭していた。
なんてことがたまにある。
たまに、、、。
読書の時にその一文一文1ページ1ページに浸ることって意外に難しいことなんだと思う。
読みたいと思って手元にある書籍。
その一期一会を大切に、手の中にある書物をそのまま味わって読み進めたい。
読了したらそれなりの感想というのはある。
値段の割に合わない
余白が多すぎ紙の無駄
誤字が多すぎる
〜である〜なのだ調で読みにくい
言い古された言葉の羅列
またこんなテーマの小説
でも、読み終えたら、本によっては線を引いたりメモをしたりということはあっても、もう過去のこと。
読書中にその時その時の「今」を生きていたように、読み終えれば、頭を切り替え次の書籍にまっさらの頭で向かい合う。
仮に似たテーマの本を読み続けることがあっても、読み終えた本との比較はしない。
その本その本とあるがまま向き合って読み進める。
難しいけれど、とても至福の時間。
読書の時間を持てているという幸せを感じつつ、その時その時を生きているのかどうかが読書する際に立ち現れる気がする。
(見出し画像 アイスバーグ という薔薇だそうです。匂いは嗅ぎませんでしたが、控えめな咲き方が素敵でした)
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