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<地球>は明らかに人間の住むところではない、ガルーラ旋風、無子高齢化社会、生存は賭博に等しい、メローな頽落形態、存在論的詐欺、

四月十三日

抽象的労働を無償労働(あるいは安価な労働)という剰余とともによりよく捕獲するために、包摂しつつ排除する世界機械は、国家、法、戦争、暴力といったものの協力がなければ機能することはできない。

マウリツィオ・ラッツァラート『耐え難き現在に革命を!(マイノリティと諸階級が世界を変える)』「第二章 グローバリゼーションと革命のなかにおける女性と人種」(杉村昌昭・訳 法政大学出版局)

午前十一時三三分。緑茶、ガーナチョコ、アーモンド。体調はまあまあ。日々の体調をいちいちこうやって「報告」するのはあまりいいことではない、という自覚はある。コンディションセンサーとしての役割を引き受け過ぎることは明らかに私の本意でない。人には「言動一致」への志向性があるようだから、「きょうはだるいな」なんて書くと、「きょうはだるいな、なんて書いたからにはだるそうに振る舞わねば」となって、けっきょく予言の自己成就的なことになってしまう。ネガティブ自己診断はきょくりょく避けた方がいいかもしれない。できればムカつかずに生きたいならば。おいおいそのへんの凡庸な啓発本みたいなことを書くなよ。いま越路吹雪の「サン・トワ・マミー」が聞きたい。隣の年金&借金爺さんが読まずにそのまま郵便受けに入れてくれる読売新聞の一面トップは、
人口「自然減」最大83万人
17年連続 75歳以上2000万人台
何もいまさら騒ぐようなことじゃないよ。この「日本列島」に一億人以上も人間が住んでいると考えただけで気が狂いそうになるのは俺だけ? そもそも世界はつねに人口過剰だ。むしろそのことこそ問題にすべき。本当の問題は「少子化高齢化」なんかじゃなくて、何か不快な「世界」がすでにつねに存在していることなんだよ。新聞は、というかマスコミは、というか俗人の問題意識はいつもかなり変である。ちかごろは他人の頭の弱さが気になってしかたない。どうでもいいことを問題にするセンスもときにも大事だが、どうでもよくないことをダイレクトに問題にするセンスはそれとは比べものにならないほどに大事である。「なぜ何ものかがすでに存在しているのか」という問題にどうして「人々」はそこまで無関心でいられるのか。この暴力的なくらいの無関心に日々私は苦しめられている。なぜ新聞はこのことを一面で主張しないのか。遅かれ早かれ消滅する「人間」のことなどどうでもいいではないか。ガキなど生まれてこない方がいいに決まっている。いい年してそんなことも分からない大人は束にして燃やしてしまえ。高齢化がなんだ。少子高齢化を定型通りに憂える言論人を見るたび平生は穏健な私も「早く死ね」と叫んでしまう。「日本人」はバカみたいに桜に群がるけど、その桜の美徳すなわち「散り際の潔さ」を見習うつもりはないようだね。年を取れば取るほど「生の醜さ」が目に付きやすくなってきた。生まれたときにはもう人間は醜い。ぎゃあぎゃあ汚く泣き喚く幼児を見ていると嫌でも「業の塊」という言葉が脳裏に浮かんでくる。老人とはまたべつの腐臭を感じる。義援金が振り込まれたらしい。ぜんぶ本に使おうか。いまトマ・ピケティの『資本とイデオロギー』が読みたい気分。さっきから引っ越しか工事か知らないが二階がダンドンダンドンうるさい。すべての集合住宅を爆破したい。ビル・ゲイツって誰だっけ。二人の恋は終わったのね、許してさえくれないあなた。メメント・モリ。ボストンレッドセックス。コブシで抵抗する二十一歳。もう許してくださいマーマレード。みんな大好き大阪万博。洞察がすべてなんだ。恥辱器官A+虐殺器官D。さんざめく港町。さらばスバルよ。イスラエル諜報機関。ハマチ食いたいね。

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